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誰かの役に立ってしまうかもしれないnoteの書き方

noteにはnoteのお作法がある。明文化されていないが、なんとなくのルールというかやり方が存在するのが分かってきた。

世の中にはどんな場にもTPOが存在する。

noteではどのような文章が好まれるかを理解して、そのためにはどんな工夫をすればいいか私なりに考えた。

その結果としてnoteでは「結論をポジティブにする」のが良いのでは、ということを思い付いた。

実際にそれはどんなことか例示してみたい。


例えば「散歩中に空を飛ぶ大きな鳥を見た」というような文章を書きたくなったとする。こんな徒然の日記みたいなものでも、結論を前向きにすることで、なんとなくnoteの文章っぽくなる。

こんな結論にしたらどうかというのをやってみる。


それでは開始!

「今日、大きな鳥を見て思い出した。幼かった頃の私を。複雑な家庭環境で育ったゆえに親から十分な愛情を受けることがなかった私を。

幼いころ大きな鳥の翼が私にもあって、自由にどこまでも飛んで行けたらと何度夢想しただろうか。
このすえた匂いのするアパートから飛び出して、どこか遠いところまで飛び去ってしまいたい。叶わぬことを狭い部屋で願い続けた弱い私。


しかし今の私には分かっている。私には翼がない。この先の人生で翼が生えてくることも絶対にない。
それは悲しいが現実である。


それでも私には二本の足がある。私の目の前に広がる大地を確実に歩いていける。

私には両腕がある。私が欲しいものを掴み取ることができる。

道なき道があるかもしれない。
しかし私は歩き続けるしかない。そして私が必要なものがある場所になんとか辿り着いたら、この両の腕で自分から掴み取りに行く。

今の私にはそれができる。
もう鳥の翼がが欲しいと思っていたあの頃の私とは違う。弱い私にはもうさよならしたのだ。
私は自分の両足と両腕を信じて強く生きる。

翼なんていらない。

今日は大きな鳥を見付けてそんなことを改めて思った。 完」

どうだろうか?鳥を見つけただけでも、だいぶポジティブになれることが分かってもらえたら嬉しい。

他の例も示す。例えば「今後カレーライスが食べられないことが分かってしまった」ということを書きたい時の結論はどうすればいいか考えてみる。

やってみます!

「カレーライス過剰摂取症候群。私はこの診断名を信濃町の大学病院の医師から聞いて、頭が真っ白になった。
そして目の前は真っ暗になった。

これで私の人生は終わった。私はカレーを愛し、カレーに愛されることをアイデンティティに生きてきた男である。

そんな私が今後の人生でカレーを食べることができない。これを絶望と言わずしてどんな現象を絶望というのであろうか。この診断を受けてから、二週間はカレーの香りを嗅ぐのも辛い日々だった。

しかし私は涙に暮れる日々の中でやっと気付くことができた。

カレーとの別れは、新たな出会いの機会になるのではないかということに。

私はこれまでの人生、カレーを好むが故に他の食べ物をほとんど食べてこなかった。

しかしカレーを食べていけないという事実が分かった今、私には大きな可能性があることに気付いた。
今までは三食カレーを食べてきた。それが誇りでもあった。

でも今は朝食はフレンチトースト、昼食は焼きそば、夕食はハヤシライスなどとさまざまなものを食べるチャンスがある。

今まではカレー至上主義が高じて、他の食べ物を排除するという視野狭窄状態に陥っていた。
そんな私はカレー過剰摂取症候群という診断を受けることによって、そんな状況から自由になることができるのである。

これからの人生、未知なる食べ物と出会えることが分かりワクワクが止まらない。
明日も新しい食べ物との出会いがある。
出会いはいつだって希望だ。
そんな希望を私に与えてくれたカレー過剰摂取症候群に今は感謝の気持ちすら抱いている。完」

どうだろうか?前向きに終われると気持ちいい感じが分かってもらえると嬉しい。

もう一つだけ例を示す。今度は「会社の重要書類がないときのこと」ということを書く時のポジティブな着地点である。

「過去3年分の重要書類がない。そんな状況が分かったのは昨日の朝である。書類の管理者である私は部長に呼び出されて、書類はどこにあるか聞かれた。私はそんな大事なものを外に持ち出すはずもなく、絶対に社内にあるはずだと答えた。

そこからは社内の全員を動員しての大捜索である。かなりプライバシーに関わる顧客のデータについての書類なので失くすことは許されない。捜索は深夜まで及んだ。

そんな中で私が感じたのは仲間の大切さである。
みんな自分の業務をかなぐり捨てて書類の捜索をしてくれたのである。
私のためにみんなが動いてくれている。
こんなに感動したことは生まれて以来始めてである。

捜索している仲間たちは、『書類失くしポンコツ野郎くたばれ』『クビになればいいのに』『生きているのが奇跡』『存在が憲法違反』『産業廃棄物の生まれ変わり』『輪廻の外にいて来世はない存在』『どんな寛大な神様がいたとしても許されない』『有史以来最大の罪人』『生理的に無理』『ただの臭い人』『◯ね』などと、私への罵詈雑言の限りをつくしつつ書類捜索をしてくれた。

最初は傷ついたのだが、この罵詈雑言は私を守るための仲間の配慮だと気が付いたのだ。

それはどういうことかと言うと社長や部長がこれ以上私を追い詰めないように、あえて仲間たちが私を責めてくれているのだ。

仲間たちが私をひどい言葉で責めていれば、社長や部長が私にさらにひどいことを言いづらいと考えてくれたのだろう。
これは仲間たちのチームプレーである。

書類を失くしたことは申し訳ないが、私を支えてくれる人がたくさんいることが分かったことは私にとって大きな財産になった。

実は社長や部長が私に対してだけするパワハラに抗議するために、私が書類を先週の燃えるゴミの日に捨てたので、みんなありもしない書類を探している。
私が社内にあると申告しているので、みんなありもしないものを必死に捜索している。

そんな光景に私は胸が熱くなった。
みんなありがとう。

部長からは10時間くらい説教をされ、社長からは頼むから退職してくれと言われた。

でも私は怯まない。仲間がいることが分かったから。
私は心の中でファイテングポーズを取り続けている。
仲間がいる限り私はまだこの会社で闘える。完」

これはどうだろうか?
どんなことでも捉え方次第ではポジティブになるということが分かってもらえたら嬉しい。

一応念のために言っておくが、鳥のことも、カレーライス過剰摂取症候群のことも、書類を失くした人のこともフィクションです。

こんなくだらないフィクションでも、noteの書き方について誰かの役に立てたら嬉しい。

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