お酒を飲むことと文章を書くということについて
人間の行動はなぜ行われるかというと、その行動をしたから利益があるからである。
例えばなぜ人は食べるかというと、生きるためのエネルギーを得るという利益があるからである。
なぜ働くかというと、生きるために必要なお金を稼ぐためである。
食べるという行動のような誰にとっても利益になる行動は、世の中のほぼ全ての人が進んでする行動である。
しかし行動の種類によっては、その行動をする人もいればしない人もいることがある。
なぜなら、ある種の行動は人によって利益になるか不利益になるか個人差があるからだ。
そのもっとも顕著な例の一つがお酒を飲むことだと私は思っている。
お酒を飲むと気分がよくなり気持ちが解放的になる人がいる。
一方で気持ち悪くなり、不快感だけが残る人もいる。
気分が良くなる人でもそれが度をこしすぎて失敗してしまうことも多く、不利益をもたらすことがある。
お酒を飲むということは気分が良くなるという利益がある反面、失敗を生みやすいという不利益もありハイリターンハイリスクの行動である。
お酒を飲まない人はリスクの部分を経験的に多く感じた人であると思うし、よく飲む人はリスクもありつつリターンの方が結果的に多かった人であると思うのである。
私は飲むサイドに位置している。それもかなり飲むサイドに振り切った場所に所属している。サイドに張りついて動かないサイドバック並みの飲むサイドだ。
飲むことでした失敗は数えきれないし、失敗を思い返すと「あー!あー!」と大きな声が出てしまうくらい恥ずかしいことが複数ある。
しかし利益の方が圧倒的に多いから飲む。
一番の利益は人間関係が円滑になるということだ。
普段はものすごくシャイなのであるが、お酒を飲むとわりとコミュニケーションをとることができるようになり、仕事でもプライベートでも利益を得たことがたくさんある。
飲まないより飲む方が人と仲良くなるという大きな利益をもたらした結果、飲むことが習慣となった。
そして最近新しい利益を感じるようになった。それは書くことに関係している。
6月からnoteをはじめて、文章を書くことが日常化している。
100記事くらいは書いてきたように思うが、まったくのシラフで書いているのは半分くらいである。
もちろんすごく酔っている時は無理であるが、ある程度のアルコールは文章を書くことを容易にすることに気がついてきた。
気持ちがおおらかになっているので、発想が豊かになるのかもしれない。
飲んでいる方が楽に文章が書けるなというのがここ数ヶ月の素直な感想なのである。
書くことでも利益を感じてしまってはますますお酒が減らなくなると悩ましいことではある。
ただ何日かに一度訪れる激しい二日酔いの朝の状況下では、そのつらさという不利益から二度と飲まないと誓う。
もう二度と飲まないので、早くこの二日酔いから解放されたいと願う。
しかし、その夕方ごろにはまた今日も飲んじゃおうかなと企んでしまうということは、私にとって飲酒はまだ利益が多い行動なのだと思っている。
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