しまじろうのDVDを観て気が付いた母親と父親の深い話

4歳の娘には空前のしまじろうブームが到来している。黄色と黒のシマシマのトラの子どもと、その仲間達に夢中である。

毎日そのDVDを観てから寝るということを日課にしているので、当然私の生活の中にもしまじろうが侵食してくるのである。

しまじろうのDVDを観る中で、母親と父親の違いについて、意外と深い話に気が付いた場面があるので、記事にまとめてみたい。

しまじろうが産まれてきたことについて、しまじろうのお父さんとお母さんがその感謝を、二人で一緒に歌うという場面がある。まずお母さんが「♪あなたが産まれてお母さんになった」と歌う。

次にお父さんが「♪あなたが産まれてお父さんになれた」と歌う。そして二人で声を合わせて「♪ありがとう、ありがとう」と続いていく。

お母さんとお父さんが歌う歌詞が微妙に違うことに、私はある時気が付いた。これは一度や二度では気が付かなかったと思う。毎晩観ていたおかげである。

お母さんは「お母さんになった」であり、お父さんは「お父さんになれた」なのである。この違いは何があるか考察してみた。

まずお母さんは自分のお腹の中から、赤ちゃんを産む。人によっては何時間もかけて大変な思いをして産む。お母さんになったということはかなり実感として感じられるだろう。

そして赤ちゃんは母乳を飲む(一般的な話で母乳が出なくていろいろな思いを抱いている人がこれを読んで不快だったらすみません)。
母乳をあげるという行為もお母さんになったということがかなり体験的で実感的に感じられるだろう。

しかし父親はどうだろうか。最近は立ち合い出産が多くなり、出産の場面を見る男性は増えている。しかし、やはり当事者としての実感は母親には到底かなわない。

そして新米のお父さんは育児について、何もできないのが一般的である。少なくとも自分は非常にそうであった。

妻に言われたことをおっかなびっくりやってみるだけのただの役立たずであった。お父さんに「なった」とはもちろん言えないし、「なれた」ともまだ言えない状況であった。

世の中のお父さん達もだいたいそうであろうと思う。
そんな状態から、やがて自分なりの育児の向き合い方や父親としての役割を悩みつつ考えて、お父さんになっていく。

私の場合、妻の育休が終わり、保育園のお迎えをするようになり一人で子どもと向き合い、世話を見るようになってから、ようやく「お父さんになれた」かなと思っている。

そう、お父さんは子どもが産まれた時はまだお父さんではないのである。悩み考え行動する中でようやく「お父さんになれた」と言える日がくるのである。

子どもを産むという実感的な行動を通して、最初から「お母さんになった」と言えるお母さんとは違うのである。

だから「お父さんになれた」と言える日がくるまで男性は努力しなければいけない。そのことをしまじろうのお父さんは歌にして私たちに教えてくれているのである。

先ほどは自分は「お父さんになれた」かなと思っていると書いたが、まだ「お父さんになりつつある」と歌えるくらいのレベルかもしれない。

しまじろうのお父さんのようにいつか自信をもって「お父さんになれた」と歌えるように今日も育児を頑張りたい。

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