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子どもに甘い父親であることへの自覚と開き直り

私は子どものころ、親から怒られたり否定されたりすることが多かったので、自分の子どもにはできる限りそうしないでいようと思っている。

また、欲しいものがあまり買ってもらえず、大人になった今、物欲が強いのはその影響だと勝手に考えているので、自分の子どもの欲しいものはわりと買い与えてしまう。

そして何よりも子どもが求めるときは、できるだけそれに付き合って、愛情が伝わるようにしたいと思っている。

娘は4歳、息子は2歳になったがまあまあ普通に育っているとは思っている。だから基本的に教育方針が間違ってないと自負してもいる。

しかし私の教育方針から弊害が出ていることもある。

怒ったり、否定したりしないこと、物の不足を感じさせないこと、愛情をかけることなどの方針は少しでも間違えると、ただ甘やかすという方向に流れがちである。

基本的に子どもの要求に答える方向に動こうとするので、わがままの範囲に入ることも受け入れてしまうことが出てくる。

そして最初に産まれた娘については、どう子育てしたらいいか分からない部分もあり盛大に甘やかしてしまったと今になって思う。

それについて自分ではそれほど自覚的ではなかったが、娘の小さい頃のエピソードを振り返る機会があると、甘やかしていたなぁと感じる。

というのも先日、義父母から◯◯ちゃん(娘)は2歳から3歳くらいの時、ちょっとでも大人同士が会話すると「◯◯ちゃんが一人になってるよー!!!」と大人に訴えていたね、と言われた。

義父母は「◯◯ちゃんが一人になってるよ」という言い方がとても面白くてかわいかったと当時のことを懐かしく思い出したようであった。

思い返してみると確かにそうで、一人になる(一人になるといってもそばにいるし、ほっといているわけではない)とよく文句を言っていた。

そして娘が「◯◯ちゃんが一人になってるよ」と訴えるやいなや私はすぐ、娘のところに駆けつけていた。

これは常に私がかまい続けたことの弊害なのかなと反省した。大人からかまわれているのが当然であるので、かまわれていない状況になると訴えでてしまう。

自分がかまわれてないということは事実は、娘にとってすればその不当性を申し立てるのに十分な理由だと思うように育ててしまった。

これは4歳になってもわりとそうで、大人を独り占めしたがる傾向が見られる。
「学校ごっこしよう!」「本を読んで!」「人形で遊ぼう!」など要求が多い。

かなり甘えん坊に育ててしまったなーと思っている。

しかし、よく考えれば娘が父親を求めてくるなんてあと数年のことだろう。
もう近い将来、父親とべったりくっついて遊ぶなんてことはなくなる。
そんな日は想像したくないが、必ずその日は訪れる。

私はそんな日がくるまでは甘やかして育てるのもいいかなと考えてしまう、甘い父親である。

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