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ドレスコーズ「聖者」に寄せる短編#2

これはあまりにもドレスコーズが、志磨遼平が作った「聖者」という楽曲とそのMVが素晴らしすぎたため、この男女に何があったのか、勝手に想像を膨らませストーリーを描きたくなったものである。
なのでこれは解釈とは違った「聖者」を借りた物語です。前回↓






草原に座り込み、彼女は新しい煙草に火をつけた。
何度繰り返したのだろう。見惚れる程の一連の所作。
息を吸い、煙を吐く。
ここに来るまで彼女は一言も発しなかった。

バイクを止めたかと思えば、草むらの中をぐんぐんと進み、一本の木の根元に腰掛けた。
生まれてからずっとここに住んでいるのに、なぜ知らなかったのかと後悔するほどに、街を美しく眺める事が出来た。

話しかける勇気を出せないまま彼女の横顔を眺める。
どこを見ているのかわからないような、不思議な目をしている。
瞳の色素が薄く、夏の空が移りこんで蒼みがかっている。

「お前はさ」
「え、」
彼女の方から声をかけてきた。
砂時計をひっくり返したように時間が急速に流れ始めた感覚。
「満足か?」
冷たい真水のような彼女の声。
恰好から想像していたのとは大きく違うその声と、質問の意味がよくわからずに、すぐに返事をする事が出来なかった。
「…満足って、なにに?」

「全部にだよ。生きていてさ。というか、生きているって感じられているか?」
「急だね」
「大事な事で、大切な事だ。そんな事はいつだって急に表れて急に消えていく。掴むときに掴むんだ、逃さない様に」

逃さない様に。図らずともその表現は、彼女を目にした先ほどの出会いに僕が用いたものと同じだった。
この出会いを逃さない様に、そんな風に追いかけたのだ。

「…満足なわけがない。わけがないけど、きっとこれが良いんだろうって思う」
「これって?」
また一吸いして、煙を吐いた。
「したくもない勉強をして、親に褒めてもらって。出たくもない行事に出て、先生に気に入られるようにふるまう」
「それで」
「それで…」
それで、なんだというのだろう。


雄大な景色と、見惚れた彼女を前にこんな事をつらつらと重ねてしまう自分がひどく、情けなかった。
心臓は動き、食事をし、背が伸びていくけれど、まるで決められてしまったこれからを前に、僕にはどうする気にもなれなかった。

僕らの前に小さなてんとう虫が飛んできて、草に羽を下ろした。
葉っぱの先までよじのぼり、そうしてじっとして。
この葉の先から向こうへの行き方がわからないのか。それをしばらく眺めていると空はあっという間に夕焼けに変わっていた。

ようやく彼女は口を開き

「お前はつまらないな。だけど、お前なのかな」

彼女は蒼いスカジャンを脱ぎ白いタンクトップから白い肌を見せる。
細く華奢な、女の子。
「わたしはもう、こんな世界ぶち壊したいんだ。その先に何があるのか見に行きたい。世界の果てっていうのはさ、いまここにあって、どこにも無いんだ」

今日初めて会った彼女との会話は、まるで全てすり抜けていくかのように掴めなくて、それがどれだけかわからないほど、彼女を魅力的に感じさせる。

「ねえ、私にさ、これからの10日間をくれない?」

「10日…」

「付き合って欲しいんだ、10日間。そうしたらお前を退屈から、引きずり出してあげる」

彼女は初めて笑顔を見せた。白い歯に八重歯が似合い、にこりと細めた目は綺麗な線をしていた。
『お前を退屈から引きずり出してあげる』

なんて、なんて言葉をくれたんだろう。
なんで僕が、これまでに欲しかった言葉が分かったのだろう。

「あげる…いや、お願いだ。僕を連れてって欲しい」

「本当!じゃあこれは、約束の代わりに」

そう言って彼女はポケットから取り出した煙草を僕に咥えさせ火をつけた。

初めて吸った煙草は苦しくて、むせてしまった。
美味しいなんて思えない、そうしてきっと忘れることはないだろう。

彼女との10日間の夏が、はじまった。




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