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忘れたはずだった夢を20年越しに叶えた話 ー後編ー

前編は、私が写真にハマった幼少期〜学生、社会人までを書きました。それにしても暗い内容でしたね。意気地がなくて逃げて、諦める苦しさからも逃げたくて忘却してた事実は書いてて気づきました。
でも、思い出しちゃったんです。社会人を辞めて留学したあと、人生に向き合う時間をたっぷり過ごしたおかげで。
留学の決断は、ここじゃないどこかに行きたい一心の単なる逃避でした。

*留学したからこその心境の変化を記事にしてもらいました。

ただ、帰国してからは嫌でも自分と向き合い続けたんです。結果、魔法にかかることができました。

留学から帰って父が死んで私は何をしたいんだろう

とりあえず働いてお金貯めてカナダに戻ろう、父が死ぬまではそう思ってました。とりあえずの先には何もなかったです。周りの人からは「目的を持って戻るんだよ」と言われてても、よく考えてませんでした。
だけど、父が死んだ。人生が命が終わってしまうのを目の当たりにして、何かが大きく変わりました。

仕事、価値観、生き方……今までの中で一番真剣に考え続けましたね。オンラインスクールに入って、このまま生きてけば絶対に交わらない人たちと知り合いました。本当にいろいろな人と繋がれて、人生の歩き方はどんな風でもいいとわかったんです。そして、定型に収まるのが得意だったけど好きじゃなかったなって気づけました。
いい気づきに嬉しくなっても、まだ始まったばかりです。得意になってたけど好きとは違う違和感をスタートに、実験だらけの道を踏み出しました。オンラインスクールで様々な授業を受けて、もっと勉強したくなったか様子をみるとか。ライティングしたいと言う割には実際書くとなると進まないとか。ちょっとづつ手を出しては引っ込めるスピードは猛烈に速いんです。我慢が足りないんだと言われたらその通りで、でも我慢を超越するほどの興味が湧いてこなかったんですよね。

そんな中、ライティングのために必須と感じた読書には溢れる興味が尽きなかったです。ジャンルは問わずに好きな本を読みました。

統一感のないラインナップかもしれません。でも、私にとっては「私好み」で繋がってるんですよね。

読み返した本と断捨離、昔と今を行き来して魔法は少しづつ降ってきた

読書が楽しくて、小学生のときに読んだ本をまた読んだりしました。同じころ、父の遺品整理から家の断捨離もしていて、自分の幼少期の様子を知る機会があったんです。先生から親宛の連絡帳、それは家の外の私について詳細に書かれてました。怖がらずに言うなら、本当の自分に近い部分を見て残してくれた言葉。素直に嬉しくて喜びました。

カッコつけるとか知らなかったころに貰った言葉と私の好きを探す今。当たり前なんだけど、一つの人生で起こった中にたくさんヒントがありました。ヒントのすべては、答えに導くためじゃなくて自分は自分のままでいていい安心をくれるものでした。
それまでは、好きに辿り着く最短を探してたんですけど、だんだん余裕が出てきたんです。急いでもしょうがないと思うと、数ヶ月続いてた断捨離の仕分けに心が動くのを感じました。大量の写真です。最後には、写真家に憧れるきっかけになった人の図録まで出てきちゃう始末。写真家の夢を思い出すなって言うほうが無理でしたね。

責任を持って自分で決められるから、やったろう!

写真家を目指したころを思い起こしても、頭で考えるばっかりでした。今どんな写真家がいてどんな風に仕事をして活躍してるのか、知らないし調べもしなかったです。本気で写真を仕事にする気があるのか疑いたくなりますよね。

長い間、考えたり自分と向き合ったりちょっとだけアウトプットしてると、なかなか完成度の高い頭でっかちになるんです。このとき考えたのは、私ってこういうスタンスの人間でしたか?ってこと。違うな、やってみなきゃわかんないよねって言い放つのが私なのよ。楽観的な本来の自分を取り戻しつつ、全身に魔法がかかりました。
そして、今が学生だったあのころじゃないって結構重要で、ある程度の責任を負えるから挑戦できたんです。

仕上げは、夢を持った情熱と共に諦めてしまった苦い思いです。そこに縛られてたんじゃせっかくの魔法が台無しだったのでお尻を叩いてもらいしました。

舞子さんのサービスを受けて、カメラを仕事にする第一歩を踏み出しました。

長々と書いたけど、これが私のかかった魔法の全容です。
子供のときに子供だっていう制限やお金のせいでできなかったことは、子供じゃなくなることでできるようになったりします。責任の比重が変わったりはあるけど、子供のころより自由です。ただ、やりたかったことを覚えてられたりふと思い出せるのかはそれぞれなんだろうなと思います。
私は、思い出せるうちに思い出せてラッキーでした。

ここまで読んで何か感じても感じなくてもどっちでも構いません。とは言っても、一ミリでもやりたかったことがあったなとか思い出されたら、素敵だなと思ってしまいます。


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