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【当たり前】のことを【当たり前】にできることは【当たり前】ではない。

さて、ゲシュタルト崩壊しそうなタイトルですが、みなさんは何回読んで理解できましたか?

寝て起きて、ご飯食べて、歯を磨いて、トイレに行って、、、
これらを意識して行っている人はどれだけいるのでしょうか。
毎日何気なく当たり前に行っている人がほとんどだと思います。

でも、生まれたばかりの頃は自分でトイレに行くことさえできなかったのに、成長とともに意識せずにできるようになっています。
要するに、当たり前じゃないんですよね。
トイレトレーニングという言葉があるように、訓練したからできるようになったんです。
それなのに、その事実は記憶からかき消され、トイレに行くことは当たり前だと、みなさん思っていませんか?

これらは、トイレに限った話ではありません。
生活することも、人付き合いも、仕事も、普段当たり前だと思って行っていることは、すべて当たり前ではないのです。
私はそんなことを忘れて、日々を過ごしていました。

また、時代の変化とともに、今までの当たり前が当たり前ではなくなっているとも思います。
地方移住やリモートワーク、終身雇用の崩壊、新しい家族の形等、昔ではあり得なかった考え方が浸透し、多様化、ダイバーシティとも言われるようになりました。
要するに、今まで疑いもしなかった常識や価値観、当たり前が刷新されているのです。
当たり前を疑うことができなければ、時代遅れになるのです。

ただ、この事実に気づける人は、ほんのひと握りのように思います。
今はまだ古い考え方の人の方が多数派のため、現実を受け入れられない人の方が力を持ってしまう残念な現状もあります。
それでも、いつまでもアップデートできない人たちに合わせて自分を犠牲にするほど、無駄な時間を過ごしたくはありません。

そのため、私は転職先を決めずに退職をしました。
「休みたい」という理由で。
誰もが当たり前だと思っている「働き続けること」に対して、一石を投じたかったのかもしれません。

退職を決めてから1年。
無職になってから半年が経ちました。
おかげさまで、今は自由気ままでゆとりのある生活を送っています。

蛇足ですが、昨日はお好み焼きの生地に青のりを混ぜて焼きました。
今までは上にトッピングするのが当たり前だと思っていたけど、生地に入れると風味が広がってとても美味しいという新しい発見がありました。

当たり前のことが当たり前ではないと自覚できるようになっています。
これからは今までの常識や当たり前に縛られることなく、疑う心や感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきたいです。

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