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最近読んだアレやコレ(2022.03.13)

 「そういえばグミってほとんど食べたことがないな」と思ったので、近頃よくグミを食べています。子供の頃から甘いものがあまり好きではなく、中でもケミカル方向のものは特に苦手だったので、正直美味しいと感じることはないのですが、どの製品もパッケージで新規性を強く押し出しているところが楽しくて好きです。素人が適当言ってるだけなのであまり真に受けない欲しいのですが、食べ物において新規性がこれほどとりざたにされてるものってあんまりないんじゃないでしょうか? ざっと包装を眺めてみても、「味のよさ」について宣伝しているものが少ないような。美味しい不味いという既存の評価軸にこだわることなく、味覚・触覚を中心にいかに五感を刺激するかを模索した娯楽作品のようで、とてもおもしろいです。考えてみれば、視覚や聴覚を利用した娯楽でも、ネガティブ方向に仕上げたものはたくさんあるわけで、味覚だけ「美味しい」という素直な評価軸に囚われ続ける必要はないのかもしれません。偶には舌を食から解放しよう!

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噛みなわない会話と、ある過去について/辻村深月

 辻村深月の短編集。タイトル通りの、本当に、完全にタイトル通りの内容の短編が4編。筆致の隅々にまで才気が行きわたり、歯車がブレなく噛み合った短編が、ずっしりとした重みを伴って置かれている。「脂の乗り切った」とはこういうことかと納得させられる、凄まじい仕上がりのアルバムであり、文庫本を持ち上げるだけでも緊張を覚えるほど。アラフォー女性である主人公たちの人生を、過去が収穫しにやってくる。しかし、それは「過去の真相が明かされる」ような単純な話では決してなく、過去から現在までの時間の経過が生んだ、彼我の解釈の到達点のずれでしかない。因果応報や、真相暴露だなんて甘ったれた必然性はここになく、ただどうしようもなく生じてしまった2人の距離が、絶望的に、そして「絶望的」だなんて誇張した語彙で表することが滑稽に思えるほど当たり前に、描かれる。「人の言葉をいちいち覚えていて、勝手に傷つくのはやめてほしい。こっちはそんなに深く考えていないのに、繊細すぎる。」 辻村深月という作家が、この文章を書いているという、凄味、迫力。小説を読んで、鳥肌が立つほどにしびれたのは久しぶりです。この世で最も攻撃力の高い日本語であり、奥歯をかみ砕いてしまうほどに最高でした。大傑作。今年のベスト候補。


家守綺譚/梨木香歩

 亡き旧友の家守を務める、学士・綿貫征四郎の随筆集。家を取り巻く植物は、生き生きと繁茂し、亡き旧友も時たま掛け軸の中から現れる。さまざまな不思議が日常の中にごく当たり前の顔をして現れる小説ではありますが、それに対して「センス・オブ・ワンダー」や「マジックリアリズム」だなんて、堅苦しく説明をつけてしまうことが躊躇われるほどにこの小説は自然であり、鬼も、獣も、精霊も、全てが流水のように綿貫の日常に流れ込み、去ってゆきます。掌編を積み上げてゆく構成は読みやすく、1つ、2つと口に運んでいる内に、いつの間にか食べ終わってしまう。語られるお話はどれもひんやりとした無味であり、味のない羊羹を黒文字で薄く切ったような舌触り。しかし、植物に対するやや偏執的なまでの解像度の高さが、鼻に抜ける強烈な青い香りだけを残します。裏表紙の紹介文によると、舞台が「百年前の日本」のようですが、そういった具体的な時間・座標を意識する必要はさほどなく、綿貫征四郎の日常は非常に普遍的な心地よさを伴って、この1冊の中に存在しています。とてもおもしろかった。続編の『冬虫夏草』も読みたいですね。


呪術廻戦(1~16巻)/芥見下々

 大人気漫画。1度、壊玉・玉折編のみ読み返して、以降はずっと連載を追っていたのですが、そろそろまた頭から読み直しておきたいなと思ったので渋谷事変まで。なんですか、あれですね、今更ですけどやはりめちゃくちゃおもしろいですね。スカしてて、賢しらぶっていて、それでもかっこよさに対して純朴で、あまりにも「ジャンプ連載の中で俺たちだけが好きな奴」すぎる。「呪力が術式を通り呪術として発露する」という能力原理自体が作品にそのまま反映されているのも秀逸で、負に寄った感情を核として造形されたキャラクターたちは、それぞれのスタンスに則って行動を発現させ、互いに影響し合い、殺し合い、化学反応の火花を散らして消えてゆく。個々の駒の「呪力(感情)」と「術式(スタンス)」、そしてそれに至った背景のセットアップを全て済ませた上で、全コマを一斉に限定された空間に放り込み、「呪術(行動)」を一斉に発生させる渋谷事変編のカタルシスはやはり素晴らしい。続く死滅回遊編ではこの逆で、限定空間内で発生した呪術(行動)をまず描き、その後にそれぞれの呪力(感情)と術式(スタンス)が描かれる形をとっているんだな、とかも読み返して初めて気がつきました。


アラタの獣(1~2巻)/羽生生純、本兌有、杉ライカ

 東京都、捨島、希望捨ストリート。邪神の眷属と化し、怪物となったヤクザ共が繰り広げる血みどろの抗争劇。「獣」の題に相応しく、一切の共感性を欠いたまま奮われる暴力は、ひたすら苛烈にエスカレートしてゆく。血と臓物で描かれた華の、なんと醜悪で、晴れ晴れしいことか。本作で描かれる戦闘の全ては、相互理解のための対話ツールなどでは決してなく、戦闘者それぞれが抱えた信仰を満たし、気持ちよく絶頂を迎えるための盛大な自慰合戦に過ぎません。今、目の前に立っている人間は、自分が気持ちよくなるためのただの「やわらかい肉」、オナニーの道具でしかなく、いとも簡単に縊り殺し、使い捨てることが許される。登場するヤクザたちは、そんな原理に忠実であり、どいつもこいつ自分勝手で、他人の話をまったく聞かず、自己完結し切った閉じた系のまま、周囲の全てを巻き込んでゆく。そんな奴らがガンガン登場し、ガンガンにぶつかり合ってゆくのです。ブレーキの一切を取っ払った暴力人間ピンボールは、物語をどこまでもけばけばしく加速させ、カタストロフィの雨あられを降り注がせる。2巻の時点で速度は既に致死量。次巻以降のさらなる加速が楽しみです。


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