タイトルと写真しかあげないの一旦お休み
高校の時、英語の授業中は落書きばかりしていた。
年明けに祖母が亡くなった。 最後に会ったのは亡くなる2週間ほど前で、久しぶりに見た祖母があまりに記憶とかけ離れていることに狼狽えて、何度か「またすぐ会いに来るね」と言ってしまった。東京に住む私と祖母の入院している病院の物理的距離を考えるとそんなに気軽には来れないのに。 タクシーの中で、祖母にもらったカニの形のブローチをコートに付けてくればよかったと思い立って悔しくなった。 祖母の意向でお葬式はしなかった。東京からは私だけが参加して、親戚の会話にも混ざることができなくて
一回だけね
水仙のブーケを注文したら、スイートピーが届いた。
今日はバイトに行った。
幼少期の娯楽といったらもっぱら本を読み耽ることで、毎日飽きもせずに手当たり次第に活字を目から脳に流し込み続けた結果、立派な本の虫となった。さらには中学生に上がるころから自分でも物語をつくってみたくなって、文房具屋で原稿用紙を買って鉛筆で書いたり、ノートを買ってシャーペンで書いたりした。 こないだ高校の時に文芸部で書いては学祭で刷って綴じて売っていた活字たちを久しぶりに読み返して驚愕した。どれもこれもどこかで読んだものの焼き直しだったのだ。14歳で初めて完成させて文学賞に
ぴーちゃんがいなくなった。 ぴーちゃんというのは私の自転車の泥除けで燦然と輝く幸せの青い背景の鳥のことである。以下ぴーちゃん初登場時のnoteのリンクを添付する。 愛らしいぴーちゃんが、自転車ごと消えたのは8月のこと。気が気でない数週間を過ごしてひと月ほどたったある日、ポストに葉書が届いた。曰く、ぴーちゃんは我々が預かっており、返して欲しくば手切れ金を用意して以下の場所まで来られたしとのこと。つまり、ぴーちゃんは撤収され そんなわけで、蒸し暑い水曜日にぴーちゃんを
注‼️この記事には映画「太陽がいっぱい」と、昔話「ちっちゃなごきぶりのべっぴんさん」の内容が含まれます。 8月31日(野菜の日)はもちろん私の母の誕生日で、ケーキを買ってお祝いした。一本だけ立てた蝋燭を吹き消した時、父がぼそりと「蝋燭をみると落語の死神を思い出す」と呟き、すかさず母が「西洋かどっかの昔話かなんかにもあるよね、あれ」と返す。誕生日の感慨とかなくそれ?いま?とか思ったけどまあええです。参加します。 「もともとグリム童話から落語になってたはず」そこからは昔話につ
とてつもなくデカい日傘の話をします。それは去年の夏にネットで購入したもので、くすんだ青緑の晴雨兼用折りたたみ傘です。ワンタッチで開くボタン付きで、とても重く嵩張ります。さながら持ち運べる避暑地といったところでしょうか。ここまで読めばもうおわかりでしょう。今からこちらの傘の悪口を書いていこうと思います。 まずこの傘はちょっと強めの風が吹くとすぐベロン!と裏返る。骨がしなりやすいのか、風の抵抗を受ける面積がでかいからなのか、どうでもいいがとにかく恥ずかしい。ベロン!と裏返った
わたしは元気って言った後規則的だった更新を途絶えさせることで何かあったんじゃないかって思わせてる
最近散歩にハマっている。春からフリーターなのもあってとにかくお金を節約したいのとか、春だからとか、城戸さんの散歩の記事を読んで影響されたとか色々あって。あと、ワイヤレスイヤホンを買った。流行りのピスタチオカラーで、薄い緑系の色が好きな私は買うしかなかった。商品名的にはミントグリーンらしいけどそんなわけない、青みが足りない。緑ソムリエを舐めないでほしい。 しかしそんなんは気にならないくらいとにかく可愛い。丸っこいケースはすべすべで、蓋が閉まる時のぱちっという音が耳に心地よく
「石橋を叩いて渡る」という表現がある。慎重な性格の人間を表す際に使われるが、この「石橋を叩いて渡る」という基本形を変容させることにより、多くの性格のバリエーションを表現することが可能である。例えば、 「石橋を叩いてさらに人に渡らせてから自分が渡る」慎重且つ、他人を犠牲にする狡猾さを兼ね備えた人間。 「石橋を叩きまくって壊す」慎重すぎるが故に本末転倒なくらい用意周到に立ち回った結果好機を逃す人間。 「石橋を渡って壊す」後先を考えずに大胆に行動する信じられないくらいの巨漢。
一番嫌な死に方は何か。 誰もが人生において一度は考えたことのあるテーマだと思う。私もその例に漏れず、特に幼稚園児くらいの時には毎日のように死にたくない、死ぬのが怖い、死んだらどうしようと考えていて、道を歩いている最中にも常に今この瞬間死ぬ可能性について考えていた。 地震で倒れてきた建物の下敷きになる、車に撥ねられる、頭のおかしいやつに刺される。家の中も安全とは言い難い。寝ているうちに家が燃える、風呂で溺れる、強盗に撃たれる、スズメバチに2度刺される、心臓が止まるなどなど
流行りの妖精さんに罹患したのは夏の終わりのことなのだが、この度見事にまたもや家族全員が熱を出した。今回は新型ではなくて従来の感染症なのだが、年に2回も熱を出すのがまず情けない。このところ忙しくてまともな食事、睡眠をとれていなかったので免疫力はガタ落ちだった自覚はあるが、それにしてもゾンビのような土気色の顔をした鼻声の人間たちがのそのそと動き回る家を続け様に体験するとはおもわなかった。私は本当に寒さに弱いので、この時期は気を抜くとすぐ具合悪くなる。寒さだけではなく、私の怠惰(