見出し画像

表情(共犯者)

年明けに祖母が亡くなった。

 最後に会ったのは亡くなる2週間ほど前で、久しぶりに見た祖母があまりに記憶とかけ離れていることに狼狽えて、何度か「またすぐ会いに来るね」と言ってしまった。東京に住む私と祖母の入院している病院の物理的距離を考えるとそんなに気軽には来れないのに。
 タクシーの中で、祖母にもらったカニの形のブローチをコートに付けてくればよかったと思い立って悔しくなった。
 祖母の意向でお葬式はしなかった。東京からは私だけが参加して、親戚の会話にも混ざることができなくて所在なかった。こういった場で間を取り持つのは祖母の役目だった。
 もう、子供相手にしか見せなかったあの共犯者めいた表情を見ることはないのだ。母や叔母など大人が何か言って、それについて「やれやれ」と肩をすくめているように目を見開いて口を窄めるあの表情。

 祖母はかなりずぼらな人間で、それ故の生活を雑にこなすための工夫が家の至る所になされていた。例えば食卓にクロスやランチョンマットを敷いたり、食べ終えたあとの食べかすを拭き取ったりといった手間を省くため、食卓には無数のコピー用紙が敷き詰められており、食事の後は食べかすごとコピー用紙を捨てれば良いようになっていた。
 髪を紫に染めたのも、「床に落ちた髪の毛を見つけやすいやろ」というのが理由らしかったが、子供心にそんなわけあるかいと思ったのを覚えている。
 ヨーグルトに入れてふやかした古い饅頭ときなこ。毎食後に飲むのを忘れないように天井から目線の高さに吊るした頓服薬とバナナ。寝返りを打たなくてもテレビが見れるようにベッドのヘッドボードに取り付けた鏡。強盗が押し入った時に家を荒らされないようにあらかじめリビングのドア上に貼り付けられた封筒には五万円在中と黒々としたマジックで書いてあったが、ある日中をあらためた祖母は「集金の時につこてもうたんやったわ」とぼやき、それをきいた母は「逆上した強盗に殺されるやろそんなん」と心配していた。

 こうして列挙するとやはり祖母はかなりおもろい人だった。親でも友達でもないから甘やかして遊んでくれた人。敷居を跨ぐたびに、敷居を踏んでは叱られた時のことを思い出すのだろう。祖母がいなくなってから何日かは、ホテルのバスルームのドアにかかったタオルや、夜明けに近所の家の換気扇から立ち上る湯気、風に舞うビニール袋をみてはおばあちゃん、と思っていた。
 この先の人生であの共犯者めいた表情を目にする機会があるのだろうか。あるいは自分が誰かに対して目配せする機会があるのかわからない。孫が生まれるたびに裏の畑に植えた蜜柑の木は、数年前に畑を潰して駐車場にしたので半分がなくなった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?