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夏眠

 とてつもなくデカい日傘の話をします。それは去年の夏にネットで購入したもので、くすんだ青緑の晴雨兼用折りたたみ傘です。ワンタッチで開くボタン付きで、とても重く嵩張ります。さながら持ち運べる避暑地といったところでしょうか。ここまで読めばもうおわかりでしょう。今からこちらの傘の悪口を書いていこうと思います。
 まずこの傘はちょっと強めの風が吹くとすぐベロン!と裏返る。骨がしなりやすいのか、風の抵抗を受ける面積がでかいからなのか、どうでもいいがとにかく恥ずかしい。ベロン!と裏返った傘を慌てて元に戻したあとは傘を目深にさしてまわりを見ないようにする。そもそもデカすぎる日傘を差すこと自体かなり恥ずかしい。誰も私のように日傘の柄を両手で握りしめたりしていないからだ。さらには日傘というもの自体にある種の葛藤がある。都会には至る所に建物の影が落ちており、日陰でさす日傘ほど間抜けなものはない。日傘をさして歩きながら日陰に入る瞬間、海中にお茶の入ったティーカップを持って沈んでいくみたいな情けない気持ちになる。やったことはないけどね。傘の形状進化しなさすぎ問題についてはこの際目を瞑るから、せめて日陰に入ったら透明になるくらいはしてほしい。サングラスにはそういったことができる個体がいると聞いております。
 日傘ひとつでこんなに自意識に苛まれるなら日傘をさすことをやめてしまえばいいのだが、なんせ今年は暑すぎる。生きてきて一番暑い。暑い、とかじゃなくてもう空気が熱い。日差しは衣服越しにも皮膚を焦がしていくのがわかるし、アスファルトの照り返しは目も攻撃してくる。
 もともと私はとにかく寒さに弱い。できることなら冬の間は冬眠していたいくらいだ。冬は体が動かない。体が動かないと気持ちが沈む。そんな感じで寒さに弱すぎるので、まわりが暖かいと感じる気温も私には涼しいし、まわりがちょっと暑いな…とか言ってる時が一番快適だったりする。
 ところが今年に関してはそんな隣同士の肌感覚で間に合わない桁違いの暑さが連日続いているので、冬とは別の絶望感を伴う憂鬱に蝕まれている。
 夏の鬱は冬とはまた違った苦しさがある。暑すぎて眠りが浅いので悪夢をたくさん見るし疲れは取れないし寝汗もかく。そのせいで日中は意識も朦朧とし暑さで苛立ちも募る。それに加えて日傘とかいう滑稽な代物がないと碌に出歩けないという情けなさと恥が私を苦しめる。
 日傘なんて無様なものを必要とするのは人間くらいのものである。暑苦しい毛皮を着ている熊だって体温調節により冬眠が可能なのに、人間は自分らの生み出した文明により弱りきって日傘がないと猛暑に耐えられない。しかもその猛暑の一因と言われている温暖化は人間の文明が生み出したのだ。アホすぎ。こんなアホ種族さっさと滅びて二酸化炭素の排出量を減らすべき。それができないなら虫ケラみたいに夏眠するグループと動物みたいに冬眠するグループにわかれましょう。新たな悲哀に満ちたラブストーリーでも生まれるだろう。
 今までの暑さに強い私だったら断然冬眠を選んだのだろうが、正直睡眠が足りてないのでもう夏も冬もどっちも寝ていたい。というか睡眠というシステム自体納得できない気持ちはある。なぜ一日の3分の1も意識を失わないといけないんだ。日内休眠に加えて冬眠も夏眠もとらないと生きていけなくなったらもういっそ永眠した方が早くないですか。

暑すぎて攻撃的になってるだけ。寝たらなおる。

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