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死に方ランキング

一番嫌な死に方は何か。

 誰もが人生において一度は考えたことのあるテーマだと思う。私もその例に漏れず、特に幼稚園児くらいの時には毎日のように死にたくない、死ぬのが怖い、死んだらどうしようと考えていて、道を歩いている最中にも常に今この瞬間死ぬ可能性について考えていた。
 地震で倒れてきた建物の下敷きになる、車に撥ねられる、頭のおかしいやつに刺される。家の中も安全とは言い難い。寝ているうちに家が燃える、風呂で溺れる、強盗に撃たれる、スズメバチに2度刺される、心臓が止まるなどなど。

 あんなにずっと死について考えまくっていた中でどうやって恐怖に折り合いをつけたのかわからないが、いつのまにかそういった事に代わるもっとミクロな悩み(脚が太い、色が黒い、喧嘩した友達に素直に謝れないなど)が増えすぎて死について考えるのをやめていた。

 しかしある日、どういった経緯か全く思い出せないが、腹上死という死に方が存在すると知った。ほとんど都市伝説みたいなものだろうが、つまりは性的に絶頂を迎えたタイミングで不整脈などによる心停止がおこりそのまま死んでしまうことが希にあるというのだ。
 性に関する知識が乏しい子供にとって腹上死はおそろしく、同時に情けなく恥ずかしい死として強烈に印象に残った。
 では良い死に方とはどういったものか。

 大学に入りたての頃の私は友達がいなかったので、完全自殺マニュアルという本を大学の図書館で見つけて休講や空きコマの度に少しずつ読み進めていた。かなり有名な本なので詳しい内容は割愛するが、その本には古今東西ありとあらゆる自殺方法が細かく載っていて、自殺未遂体験者によるレポートみたいなのも読める。
 首吊りはドアの手すり程度の高さと紐があればできるから簡単だし楽だし一瞬気持ちいいとか、薬とか飛び降り、線路への飛び込みは失敗することが多いし苦しいし失敗した場合かなり被害が出るとかそういうことがいっぱい書いてある。飛び降り自殺しようとして高さが足りなくて半身不随で生き延びてしまい、自殺できない体で生きていかなければならなくなった人の話や、線路に飛び込んで死ねずに多額の賠償金を支払うハメになった人の体験談などもある。完全自殺マニュアルではなくて後日インターネットで読んだオーバードーズして死にかけた人の記録もなかなかに壮絶だった。

 そういった知識も手に入れたところで改めて良い死に方ってなんだろうと考えると、実は腹上死はかなり良い死に方なのかもしれない。エロスとタナトスは切り離すことのできないというフロイトの主張を思い出す。死の瞬間のエクスタシーと性的快楽を同時に味わえるなんて、矛盾しているようだけれども一番刹那的である意味生そのものといえる。

 なぜ死ぬのが怖いのか。今あるものを失うのが怖いのだろうか。死んでこの世から失われるのは自分自身の方だというのに。それとも痛みや苦しみが怖いのか。しかし死んだらそれらの痛みや苦しみは消えるのだから死そのものを怖がるのは間違っている気がする。腹上死にしたって、情けなく恥ずかしいと感じるのはあくまで腹上死した人に対しての生きている人間の感想であるわけで、死んだ人間には自分が死んだ後他人にどう思われようが関係ない。
 そう考えると嫌な死に方、恐ろしい死に方のランキングは腹上死を頂点として、トランプゲームの大富豪の手である「革命」のように綺麗にひっくりかえりはしないだろうか。老衰で死ぬことは大往生と呼ばれ肯定的に称えられることが多いが、強靭な肉体を持った若者のうちに理想的な死に方を模索し自ら実行することも幸せとは言えないか。死をひたすら恐れる段階から、いずれ死ぬことを受け止めてそれに備える方向に思考をシフトさせるのだ。

 幼い頃は死そのものを物理的な側面で恐れていた。痛いのか、苦しいのか、意識がなくなることは恐ろしいだろうか、しかし、今はそれと同時に、人生が中断され、肉体が朽ちて存在がなくなり、忘れられ、確かに存在していたのに残されたものだけが存在の証とされてしまうことに不安と虚しさを感じる。 
 死んだら私の部屋のガラクタも全部のSNSのアカウントも過去に学祭で売り捌いて現在不特定多数の手に渡っていると思われる文芸部誌も煙のように消え失せて欲しい気もするし、私という存在を構成していた要素くらいはこの世に残ってくれないと寂しい気もする。

以前少しだけ読んだ死生学の本によれば、他界について、死者は存在が無に帰した訳ではなく、死=不在と捉えられる、というような内容が書いてあった。 
 他界した人はここではないどこにいるのだろうか。天国や地獄、煉獄などと呼ばれる場所に行くのだろうか。

 天国がどんな場所か考えると、ドイツのシュトゥットガルトにあるシュタットビブリオテーク、所謂図書館を思い出す。
 四角い4回建くらいの建物で、外からは規則的に並ぶ小さな窓しか見えないが、中に入ると一番下の階には噴水があり、真っ白い空間に天窓から日光が降り注ぎ、ありとあらゆる本が四方の壁に作り付けられた本棚にぎっしりと詰まっている。ほとんどなんの物音もせず、ところどころにおいてある色とりどりの革張りのソファに腰掛けて好きな本を好きなだけ読むことができるのだ。

 私が死んだらあの天国にいるって思ってほしいな。あそこでサリンジャーの未公開の原稿を読んだり村上春樹がいけすかないのはなぜか言語化するために村上春樹を読んだり、フリードリヒの画集をみているんだろうなって思ってくれたらいいな。
 いなくなったわけではなくて、ちょっと席を外しただけで気が向いたらまた戻ってくるかもしれない。そう思っていてほしい。だから私の部屋の本棚の本は私が死んでも捨てないでください。

 理想の死に方は死んでみないとわからない。オリジナル死に方ランキングを作るために生きて、不在を形成する材料を日々せっせと集めていきたい。

フィッシュマンズってマジで最高なんですけど!

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