見出し画像

盗作の森

小中高の時の娯楽といったらもっぱら本を読み耽ることで、毎日飽きもせずに手当たり次第に活字を目から脳に流し込み続けた結果、立派な本の虫となった。さらには中学生に上がるころから自分でも物語をつくってみたくなって、文房具屋で原稿用紙を買って鉛筆で書いたり、ノートを買ってシャーペンで書いたりした。

こないだ高校の時に文芸部で書いては学祭で刷って綴じて売っていた活字たちを久しぶりに読み返して驚愕した。どれもこれもどこかで読んだものの焼き直しだったのだ。14歳で初めて完成させて文学賞に応募した小説は若い男性の一人称で描かれているが、完全に宮部みゆきの「ステップ・ファザー・ステップ」の主人公の口調だったし、アンティークに宿る付喪神が人の姿をとるという設定はモロにあんびるやすこの「アンティークFUGA」だし、とにかくまあそんな感じでいたるところから元ネタの香りが芳しく立ち上ってくる。しかもタチが悪いのは、それらを書いている時の自分には、自分のしていることが模倣、剽窃、パクり、所謂盗作に類する行為だという自覚が全くなかったのだ。故に、これらはあえてのオマージュであると開き直ることもできない。

赤泥棒
これを書いている今も、気づかないうちに今まで読んだなんかの小説から無意識に持ってきていないか不安で仕方ない。

オリジナリティ 無名になる勇気(フラニーとズーイー) 出典をはっきりさせる

自分の文章が完全に無理になってしまった。自意識がキモい、別に文章で稼ごうと言うわけでもないのになにをオリジナリティ追求して何者かになろうとしてんだおのれは。キモいキモい全部嫌い!とフラニーのように振る舞ってみたってゾーイはどこにもいない。

私は器 ブラックボックス 流し込んだものを咀嚼して自分の形に再形成して吐き出す 多分一生やめられない 

しかし考えてみれば、そもそも人間という生き物が、いや生き物自体が食べ物を咀嚼して吸収し消化しうんことして排出する生き物なのだった。どんな美しい食べ物を食べても出てくる時は汚くて臭いなんて

中学生の頃、瀬戸内海の島に合宿に行った時、豚を育てる農家を見学した。その農家では島の人たちが生活する中で排出した生ごみを豚の餌にするという取り組みをしており、科学的な餌を食べさせていないということが自慢

養豚家は、東京に村を焼かれたのかと疑うほど東京という土地を目の敵にしていて、敵の子供である私たちのこともそれはそれは憎いらしくことあるごとに「これは東京にはないだろう」「こんなこと東京ではやらないだろう」「東京の人は知らないだろうが」と唱えて私たちを閉口させた。挙句にはご自慢の豚の糞を拾い上げ、「うちの豚は生ごみしか食べてないからうんこも臭くないんだ。

持ち帰らされた豚のうんこ 多分私だけが馬鹿正直に持ち帰った。

まあ考えてみれば、瀬戸内海のカラッとした気候で 環境が違えば匂うんかい。やめさせてもらうわ。


せめてかぐわしい虹色のうんこを出せるようになりたい。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?