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へちま男              ☆絵・写真から着想した話 その11

☝🏼このフリー画像から書いた妄想話です

                                   
 九月の終わり。チャイムの音にドアを開けると、ご近所の鈴木さんが、ニコニコ笑って立っていました。
「いい感じにできたのよ。よかったら使ってね」
 受け取った紙袋を覗いた私は、叫びそうになった口元を思わず押さえました。へちまのたわしが、入っていたのです。
「懐かしいでしょ?」
 気持ちの乱れを悟られぬよう、こちらも笑顔をつくって御礼を述べるのがやっと。見送ったあと、袋の口を何重にも折って、玄関にへたりこみました。夏の間、鈴木さんのお庭に緑のカーテンをつくっていたへちま。あの家の前を通る時は、目を伏せて小走りしていたのに。懐かしい? いいえ。ずっと、忘れられないままです。奥さんとは、同世代。きっと彼女も、理科の授業でへちまの観察をしたのでしょう。今の子もしているようですから、朝顔と並んで、夏の観察日記の定番になっているのかもしれません。

 三十年前。小学四年の夏休み。宿題に、へちまの観察がでました。一学期に種から植えて育てたもので、夏休みが始まるころは、黄色の花がいくつか開き、へちまの赤ちゃんができていました。週に一回、学校に行って観察するという方法でした。
 おじさんと最初に会ったのは、七月の終わりです。太陽の照りつける校庭を突っ切り、裏庭のへちま棚に近づくと、誰かがいました。棚の下に、教室の椅子を置いて、向こうを向いて座っています。頭のてっぺんの髪が少なくて、よれたランニングシャツが肩から落ちていました。当時は、学校の出入りも厳しくなく、不審者に敏感ではありませんでした。
 近所のおじさんが、散歩にでも来たのだろうと思って、「こんにちは」と挨拶をしました。ビクッと肩を震わせ、振り返ったおじさんは、とても疲れた顔をしていました。
「あああ。驚かさないでおくれよ。寿命がまた縮んじゃったよ」
 よく見ると、、おじさんの左腕には、へちまの蔓の先が刺さっていました。肘と手首の間からのびた蔓が、へちまとおじさんを繋いでいます。右手で、左手が動かないように支えるポーズで。おじさんは掠れた音で、ため息をつくと、混乱真っ只中の私に、
「これかい? へちまから養分をもらっているんだよ」
「へちま水(すい)を、テンテキしているの?」
 へちまの蔓を切ると、水がとれるという実験は、授業でやりました。切った先を空き瓶に刺しておくと、翌日には、へちま水がなみなみと溜まっているのです。肌荒れや、病気に効くとも習いました。
「なんで口から飲まないの? 腕からなの?」
「おじさんはね、体が弱っていて、ここからしか飲めないんだよ」
 ジジッと音がして、私の足元に蝉が落ちてきました。地面の上で、仰向けになってもがいています。急に怖くなってあたりを見回しました。誰かクラスの子が観察に来てくれないかな。お願い。誰か。麦わら帽子とおでこの間から、汗がつうと流れました。──おじさんと、私だけ。
「さよなら!」
 踵を返すと、走って逃げました。家に帰ると、母があきれるほど麦茶をごくごくと飲んだことを覚えています。
 それからは友たちを誘って、観察に行くようにしました。おじさんは、もういません。変な人を見たんだよ、と何度も教えたくなりましたが、私が変な人なのだと噂されそうです。誰にも言わずに黙っていました。
 八月の最終週。約束をしていたミカちゃんが熱を出してしまったので、ひとりでへちま棚に行きました。あれきり会っていないのだから大丈夫と、高を括っていたのです。──いました。同じ場所に。前よりもっと痩せて。カサカサの細い腕に突き刺さった緑の蔓は、やけに太くて瑞々しく見えました。おじさんの目は、私の向こう側を見ているようです。
「へちまが枯れる時、おじさんも枯れてしまうんだ。助けてくれるかい?」
 後ずさりして首を振ると、また一目散に逃げました。
 九月。へちまからつくった「たわし」を皆で分けて持ち帰りました。かちかちに乾いたそれを濡らして揉むと、柔らかくなって使えるのだと先生から教わりました。早速、濡らしてみると、表面に染みのようなものが浮かびあがってくるではありませんか。なに………これ。
 みるみるそれは何かの形をとりはじめ、人の顔になりました。
 ──おじさんでした。水を含んだおじさんの顔が、満足そうに……。
 へちまが。へちまのたわしが、怖くてなりません。おじさん。ミイラにしてしまって、ごめんなさい。

  

                            了