見出し画像

私の音楽の四方山話(3)

取り敢えず、初心者用のバイオリンと弓を買いました。次は先生探しです。最初に習った先生は年配の方で、ひたすらボーイングだけをやらされ、曲はやらないまま、結局、半年で辞めてしまいました。今思えば、あれは愚かな選択でした。バイオリンの場合、音楽を創るのは、右手のボーイングだからです。

この半年で バイオリンのとっつきにくさがよくわかりました 。バイオリンの構え方からして 超不自然。体にマッチしていないので、ヘタをすると体を痛めてしまう 可能性があります 。 こんな楽器、ほかにあるでしょうか ?「嗚呼、やってしまった😵💧」と テナーサックス以上に 正直思いました。

ボーイングは更に難しく、弦に対して弓の毛が常に直角に当たるように弓を動かしていかなければなりません。そのためには、指、手首、肘、肩の連動した変化を体に覚え込ませる訓練が必要です。しかも弦は4本あり、弦と弓の当たる角度は各々違うので、その訓練は各弦毎に行うことになります。これらの動きをすべて体に覚えこませるのは至難の技です 。そして、響きの良い音を出すには弦を震動させるための圧のかけ方も会得する必要があります。また、その他にも、マルテレ、デタッシェ、レガート、スピッカートなどの色々な技術があり、弓のコントロールは音楽を創る上で欠かせない技術の集合体と言えます。


あの先生には、右手ができたら、左手に行くという不文律があったと思います。 右手が完成していなければ 、未完成のピアノで曲を弾くようなものだからです。 生徒の心理としては 、それが未完成のピアノで あったとしても早く曲が弾きたい、 という強い欲求があります。 それが満たされないと私のように生徒はすぐ辞めていきます。 教える側にとっては悩ましいところです。でも、あの年配の先生は自分の信念を曲げませんでした。偉かったと思います。

このあと8人の先生に習いましたが 、上達のスピードは亀よりものろかった と思います 。 とにかく練習する時間がない のです。 サイレントバイオリンのない時代ですから 、毎日、次の日の授業の準備で帰りが遅く、 夜練習することはできません。練習できるのはせいぜい土曜日の午後ぐらいでした。 だから、私のバイオリン歴は全く当てになりません。

そんなとき、朗報が飛び込んできました 。週休2日制の導入です。これで丸々土曜日が練習に使える、とはしゃいでいたところ?

余談になりますが、当時、私は小学校で、教務を担当していて、週休2日制の対応策を提案する立場にありました。職員会議でその提案資料を配布して話し始めようとしたら、みんながニヤニヤしているのです。
提案資料のタイトルを「週5日制の対応について」と書くところを「週休5日制の対応について」と書いてしまったのです。みんなに大笑いされて赤っ恥をかいてしまいました。
ついでに、教務で一番大変な仕事を書いておきます。それは時間割編成です。新年度最初の大仕事です。担任の持ち時間は学年によって違うため、平均化する必要があります。そのため、学年毎に空き時間を設定します。そうすると、担任の空き時間に代わりの教師を配置しなければなりません。担任が音楽を希望すれば音楽専科の教師を配置すれば済みますが、違う教科を希望する担任もいるので、調整が必要になります。30クラスもあるので、担任の希望に沿うようにするには学年内での出入りも必要になってきます。こうなると ジグソーパズルみたいなって、もう大変です。その調整役が私の仕事で、これがピタッとはまった時の安堵感と達成感と解放感は教務を担当した人にしかわからないと思います。

「 時を戻そう 」(ぺこぱ)

楽器の興味がサックスからバイオリンに変わったきっかけが第九だったのは間違いありませんが、私が好きな ベートーベン は交響曲第7番 イ長調作品92 です。 ドヴォルザークも新世界の交響曲第9番よりも第8番 ト長調作品88 の方が好きです。 私はどうも主役よりも脇役が好きになる傾向があるようで、昔からマイノリティと言われる所以です。

交響曲の中 で一番好きなのは、ブラームスの交響曲第3番ヘ長調作品90の第4楽章です。 この楽章を聴いてる時の私は、高揚してドイツ人なっています。 お薦めはクルト・ザンデルリンク指揮ドレスデン・シュターツカペレ のレコードです 。CD もありますが、生の雰囲気を楽しむならレコードの方をお薦めします。 楽章の中にピアノからフォルテッシモに移行する直前に第1バイオリンの「さぁ、行くぞ!」という準備のざわつく音が微かに聴こえてきます。あたかも録音現場のドレスデン、ルカ教会に今いるような感覚で、その場の緊張感がひしひしと伝わってきます。これが生感覚というやつでしょうか? CD は、その部分は雑音として綺麗に取り去られ、アスファルト化されています。アナログとデジタルの違いがこんなところにも表れているように思います。
もう一つ好きな曲があります 。それはモーツァルト交響曲第40番ト短調 K -550第3楽章です。音が畳み掛けるように力強く重なっていく箇所は、天国へ登っていく高揚感で満たされます。 お薦めはカール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。他にカールベーム指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏もありますが、テンポが遅く、教科書的で高揚感は得られません。

ごめんなさい。もう一つ好きな曲がありました。それは、ジャン・シベリウス交響曲第2番ニ長調作品43です。

この作品との出会いは、マイケル・ティルソン・トーマス指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏で、演奏会場は大宮ソニックシティホールでした。 演奏自体は良い演奏でしたが、 演者と観客の一体感は得られませんでした 。拍手で演奏を称える観客に対して団員は無表情でした。観客に対応するのは、指揮者の仕事でしょ!と言わんばかりのしらけた態度がありありと伺えました。音楽家というよりビジネスマンといった感じで、指揮者の困った顔が印象に残る演奏会でした。

演奏会 とは言えませんが、私にも発表会の場はありました。私の通っていた音楽教室は、毎年、「 リトルコンサート」を 開催していて、そこに大人の部もありました。私はあまり気乗りしませんでしたが、練習曲にアッコーライのバイオリン協奏曲第一番イ短調を先生に勧められて、曲が気に入ったので、発表会に出ることにしました。これを最後に教室を辞めようと決めていたので、真剣に練習に取り組みました。楽譜を貼った厚紙の裏に、モチベーションが下がらないようにするために練習した回数を記録するようにしました。その回数は2766です。この時はもう退職していたので、時間はたっぷりありました。

発表会の前にピアノの先生との音合わせの日が設けられていたのですが、体調不良で参加できなかったので、発表会当日、舞台で1回だけ合わせてもらいました。本番では、息が合わないところが1箇所ありましたが、後は私の息にピアノの先生が合わせてくださいました。曲は2部構成になっていて、1部は初め緊張していてミスがいくつかありましたが、2部からは、平常心で練習通りに弾くことができて、練習はウソをつかないと確信しました。

実は、私は演奏会らしきものも体験しているのです。某大手音楽教室のアンサンブル科に入会してすぐ、発表会の開催を知らされました。会場は、東京芸術劇場です。読売交響楽団のマチネの年間会員だったので、東芸にはよく通っていました。まさか、あの舞台に自分が立てるのかと信じられない思いでした。アンサンブル科の受講生は13人(Vn:8人、Va:1人、Vc:4人)で、本番では、講師の先生方が10人(指揮者:1人、ソロVn:1人、Va:1人、ウッドベース:1人、フルート:1人、クラリネット:1人、アルトクラ:1人、ハープ:1人、ティンパニ:1人、パーカッション:1人)加わって、交響曲『シェエラザード』より「若い王子と王女」を演奏しました。演奏の様子はDVDで視聴していい演奏だと思いました。というのは、舞台上で聴く音は、観客席で聴く音とは全然違うからです。全く響いていないし、自分が弾いている時は自分の出す音しか聞こえません。ソロバイオリンの演奏の時は、バイオリンの音が客席に向かって飛んでいくのがよく分かりました。なるほど、指揮者が必要な訳がよくわかりました。そして、舞台上で弾くのは楽しくないだろうなぁ、と思いました。「音楽は客席で聴くに限る」。これがこの体験で学んだことです。音楽家の皆さん、本当にありがとうございます!

このコロナ禍で、私は2月からアンサンブル科を欠席しています。でも、辞めるつもりはありません。楽譜が定期的に送られて来るので、受講生の人たちと合奏しているつもりで、それらの曲を練習すると、つながっているような気がするからです。

コロナ禍が落ち着いたら、また、アンサンブル科の参加と近所の音楽教室の8番目の先生の個人レッスン受講も再開しようと思っています。何故なら、8番目の先生は、私が5年生の時に担任した子の高校の恩師だったことが分かったからです。今、その子は、某プロオーケストラの団員として活躍しています。そのことは、先生には、まだ内緒です。世間は本当に狭いなぁ。

(See you)