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すずらん
2020年6月20日 22:47
「純潔・甘美」これはすずらんの花言葉である。すずらんはキリスト教では聖なる花とされている。あの白く小さな花がうつむいている様子はお祈りをしているように見える。甘く清潔な香りがふんわりと漂う中で包まれたいと願ってしまう。私の誕生花はすずらんである。だからすずらんはとても大切な花だ。私の彼氏さんは毎年すずらんの花にちなんだ贈り物をくれる。とても素敵でこころが満たされる。疲れた時に贈り物でくれた
2020年6月11日 22:52
私の母方の祖母の家は昔大地主だったらしい。祖母は1人で大きな屋敷と庭に住んでいた。私は特に祖母の管理する広大な庭が大好きだった。この庭への入り口はなく電信柱の高さまではある大きなツタのような植物の壁をかき分けて入るのだった。着ている服に虫やらツタがくっつくなんて考えもせずに無心でかき分けて進むのだった。通り抜けるとさまざまな季節の花々や、祖母が飼っていた大家族のうさぎたちが迎え入れてくれた。1番奥
2020年6月10日 10:34
私は学童保育所でアルバイトをしている。これはある日の保育中に虹がかかった時のこと。「ねねー!あの虹は誰が描いたの⁈」私にそう質問してきたのは小学5年生の自閉症スペクトラム障害をもつ男の子だった。この子はすごく優しくて周囲の子に気配りもできる子である。私はこの子が発したこの言葉にすごくあったかい気持ちになった。虹を描くなんて発想は私にはなかったし気づかなかったからだ。この子は素直に純粋に思っ
2020年6月9日 07:49
「水まわりは綺麗にしておきなさい。幸せが逃げていくからね。」私のお母さんと祖母はこう言いながら水まわりの掃除をよくしていた。おかげで鏡はいつもピカピカで洗面台やお風呂場、台所の排水口は綺麗に磨かれていて水垢なんて存在することが許されていなかった。綺麗な水まわりは心持ちが良く、使う時もあまり汚さないように心がけていた。だから他人の家に上がった時にその人がどのような人物か見極めるのに最も簡単なのは
2020年6月8日 09:06
植物を育てることは私を育てることでもあると信じている。植物は放っておけば枯れてしまう。だから私は毎日欠かさず植物たちのお世話をする。植物のお世話をすることは心の余裕を保つことであり自分を見つめ直す時間でもある。花は女に似ているという言葉を聞いたことがある。花は時として妖艶な魅力を溢れさせ土や水、日光などの条件がそぐわなければ拗ねてしまうこともあるし枯れることは多々ある。女は自らの魅力を一生懸命
2020年6月7日 18:33
人は皆それぞれ違うなんてことは言われなくても気付いていたこと。思考も判断も人によって違うから時として衝突するし分かり合えないことに対してもがき苦しむと思う。自分の考えを主張することは悪いことではない。容姿や持ち物など以外に自分自身がどのような人間であるかを表現するための手段の一つであると思う。この「主張すること」を行うにあたって注意しなければいけないことがある。それは「主張を押し付けないこと」だと