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カリーと哲学30最終講義

みなさん、何と1年振りの更新の上に最終講義となりました。
前回からの一年間の間に、本当に様々なことがありました。
一つは大切な友人の死です。
お葬式の日、彼は棺桶の中で目を閉じて横たわっていました。
つい数日前に家族で釣りに行き、カツ丼食べて何時も通りにサヨナラしました。
まさか本当に永遠のサヨナラになるとは、全く想像していませんでした。
シゲさん。好きな事、大好きな人と一緒にワクワクする人生始めようとしたばかりでしたね。
これから一緒に年齢を重ねて、ジジィになっても同じ様な愉快な日々を過ごして行くと信じていました。
これが人生なのでしょうか??
残酷であります。
しかし私家族は、シゲさんが行きたがってたインド行きの想いが忘れられませんてました。
ご両親に了解を得て、知人のお寺で私の手で骨を砕き、遺骨を抱えてインドに家族で渡りました。
そして行きたがってたゴアの海に散骨してきました。夕日に輝く海の向こうにイルカが飛び跳ねてます。シゲさんが今ここに一緒に居るのかも??
ありがとう。1番大切な事教えてくれたのですね。
何時か人生は確実に終わりが来る。
しかも突然に。

そして息子の一声で、結局この村の小学校に通うことになりました。 
色々考え迷いましたが、今暫くはこの村で生きて行くことを決断し、今年の9月自宅をお店に改装して、遂に旅するクーネルの実店舗としてオープンするのです。

同時にずっと抱えていた悩みや迷いが沢山ありました。 
50年間、生きづらく、苦しくて又、どう生きて行けばよいのかさっぱり解らず、永遠に苦しみが続くのか??と絶望し諦めかけてたある日の午後、知人の一声で新しい道のヒントを手に入れたのです。
それは原始仏教なるものの存在です。
仏教の考えは大好きでしたが、何故か原始仏教の事は恥ずかしながら知りませんでした。
そこで知った教えは、宗教というより、我々がより良く生きる為の人生哲学のように思えました。
お釈迦様は人生は苦であるとおっしゃたそうです。
また苦には原因があり、取り除く方法があり、取り除く事が出来ると仰っております。
当たり前に生きる事はに苦しみの連続だと。。。
その教えを四諦八正道というらしいです。
怨憎会苦という言葉にまた妙に納得したのです。
会いたくない人に会わなければならない苦しみ、、 
お釈迦様。私の苦しみから抜け出せそうな教えをあなたのお言葉から沢山発見しました。
そしてこの本を書かれたお坊さんを調べると、インドにあるナグプールという街で出家したと言う事を知ります。
カリー屋の私も全く聞いたこともない街です。
しかしこの街こそ、インド仏教の聖地であり、その頂点である佐々井秀嶺上人が、いらっしゃる街だと知ったのです。
佐々井上人は50年以上たった1人で、インドでカーストの差別で苦しむ人々を、仏教徒に改宗させ大勢の人々を救った日本人です。
凄い人がこの世に、インドにいらっしゃる。
しかし、もう90近い高齢だと知りました。
いてもたってもいられずにいました。
私は10月に現地で行われる、大改宗祭の事を知り、家族を説得してナグプールに単身飛びました。
佐々井上人のもとで得度すると。。私はその一点しか見えませんでした。
私はナグプールは始めての街ですが、他のインドの街の様にゴミも少なく穏やかに感じました。
私は緊張しつつも、頭を剃髪して、他の得度希望の仲間と得度の儀式を受け、新しい名前を頂きました。
佐々井上人は私に、龍に雨で
りゅうう
という名前を頂戴致しました。
もちろん得度しただけで、仏教の事はほぼゼロの知識です。

結局、私は流れに乗り、気づけばインド仏教の僧になったのです。
もちろん先の事などわかりませんし、養わなければならない家族もいます。
ただ理解したことは、ホント生きる事はシンドいね!!
とお釈迦様が仰る事に、ただただ身体の緊張が何だか緩まり少しだけ楽になった事実です。
あと、何を考え、何を語り、どう行動するのか。
これを真っ直ぐ一つの道に生きる事こそ、
人生の本質だと。
いま自分の人生の目的と手段が、どうにも一致していないことの救いになりました。

なんだかんだ私はつらつらどうでも良いことを、書いてまいりましたが、私が言いたかったのは、
たぶん人生の本質だと思いますが、
ありのままに、楽に、ご機嫌、に貪らず、また囚われず、比べず、なんか適当に笑顔で生きていけたらいはいよね!!
と言いたかっただけです。
だって全ては自分自身の心次第です。 また変えることが出来るのも自分の心だけと本当に思ったのです。

僕自身といえば、家族以外に何の財産も、何の肩書も無い、ただの中年のオッサンです。
しかもそのうち子供は自分自身の人生を歩み始め、いつか夫婦はどちらか先にこの世をさります。
寂しいですが人生はそんなもんだと改めて気づきました。
そう思えばたった数十年の儚く虚ろな人生に、苦しさや、悲しみや、怒りにばかりに惑わされず、個人個人がもう腹に据えちゃって、
人生なんてそんなもんだけど、だからこそ毎日目の前の人生の奇跡に感謝するだけかもしれません。
あの一声が、あの偶然が、今の私達たちの日々の奇跡を、存分に私達に味わせてくれてるのかも。
苦しみも、楽しみも、怒りも、悲しみも。
だからこそ私ができる事は、どんなにかっこわろかろうが、情けなかろうが、何者でもない50のオッサンでも、みなさんや子供達に、、、
大丈夫。
どうにかなるから!!!
ベタですが明けない夜はないし、四季はめぐるもんです。なので明日は良い一日になるかもです。
大丈夫です!
本当に色々ありましたが何とかなりましたし、
しかも挫折とか失敗なんて、その内笑えるような永遠に残るネタとして財産になりますから!!
さて
これからカリー店として、僧としてどう生きるのかまだ解りませんが、私はそんな心持ちで、スパイスと格闘している今日このごろであります。

長くなりましたがこれにてカリーと哲学、最終講義を終わりたいと思います。

カリーと哲学。
結果カリーと仏教が出会い、それはワタクシの哲学の始まりだったと言う事になります。 
仏教は哲学だから。

この先の見えぬ日々が続きますが、
ワタクシは日本の何処かで、スパイスを蒔き散らし、半強制的に世界を寛容で平和な世界を構築している事でしょう!!
長い間ありがとうございました!!
最後に、、、
ジャイビーム!!!

これでオシマイ😁

旅するクーネル料理長
井上(よしお)龍雨











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