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劇場版『タイトル、拒絶』(□字ック第14回 本公演)|感想

 2020年12月、池袋の劇場シネマ・ロサで映画版『タイトル、拒絶』を観た。なんだか胸がざわついて、すぐに、□字ックの公式サイトをWeb検索してみたところ2021年2月に下北沢の本多劇場にて同作品を舞台化するという。

 □字ック公式サイトにある、脚本家・演出家の山田佳奈さんのコメントによれば、舞台版では「俳優陣やスタッフ陣は一新」「同じものを作るつもりは正直ありません」とのこと。これは……、観たい!とおもった。なお、このnoteに書くことはあくまで個人の感想です。生暖かくどうぞ。

◾️舞台版のストーリー

 舞台版『タイトル、拒絶』公式Webサイトよりストーリーを転載。

雑居ビルの4階に位置したデリヘルで、さまざまな女性が肩を寄せ合って客待ちをしている。その部屋に、雑用係の女性・カノウはトイレットペーパーを買い出しに行って帰ってくる。彼女は体験入店で店に来たものの、いざ行為の段階になって怖気づいてホテルの外に助けを求めて逃げ出した。当然騒ぎになったのだが、そんな彼女を店側は雑用係として店側は雇うことにしたのだ。カノウは店で一番人気のマヒルを見て、小学生のころにクラス会でやった『カチカチ山』を思い出す。みんなかわいらしいウサギにばかり夢中になる。嫌われ者のタヌキになんて目もくれないのに。「私の人生に、タイトルなんて必要でしょうか?」

◾️ナタリーの取材記事

 『タイトル、拒絶』は映画ナタリー、ステージナタリーでそれぞれの取材記事があがっている。どちらの作品も実際にみてから読んだのだけど、舞台版でシホ役をしていた美保純さんが「ああ、なるほどなぁ」と、おもわず頷いてしまうことをいくつか教えてくれている。もしもいつか再々演がきたら、読み返したいところだ。

◾️カノウ(木竜麻生)

 「カチカチ山に入ります」と言ったカノウは、タヌキ役を買ってでる人生をまたしてもみずから引き受けてしまった。ウサギになる属性でないと見切りをつけ、手っ取り早く " 今すぐなれるもの " に走ったのは紛れもなく彼女自身である。誰も、その道を推薦してはいない。強要もしていない。他人がやりたがらない役割で、これまでもやってきたことにすがることでじぶんの居場所を求めたようにみえた。カノウは、決して彼女にとっての険しい山を登ってなどいない。他人には難しくてもじぶんなら越えられる壁を、ひょいとまたいでみせたまでだ。

 カノウの叫びや悲しみは、いつも決して正しくは伝わらない。そもそもあまり耳を貸してもらえない。それはなぜか。おそらく彼女自身が空回りして本質を見失っているからだ。聞くほどのことをしゃべる女ではない、とおもわれがちである。「デリヘルの仕事を拒んだのは知っているけど、なんでまだ、わざわざここに残っているの?」というハギオの質問にも、明確な答えはだせなかった。知られたくない、言いたくないというより、自信を持ってプレゼンしたくなる理由が、とくにないんじゃないか。とっさにでたのは「おもしろそうだったから……? (給与の)わりがいいっていうのもある」。なにかをごまかした内容だが、むかしからなんとなくワンチャンおセックスしては終わってしまうようなカノウである。だいじなときに、行きたい方向がわからなくなるのだ。

 わたしたちがいる社会をクソみたいな世界だと認識して、そうおもいませんか?と賛同を仰ぎ(イエスというかノーというかは観客次第)、そのくせ、クソだとおもっているものに迎合する。ちぐはぐな行動をしていることに本人がまったく気づいていないようにおもう。ただ、この状態はわたしも痛烈に「わかる」。だからカノウを見ていると、泣けてくるのだ。あのまま、やりかたを変えずに時間を使っていけばいずれ彼女は壊れてしまうだろう。軌道の修正方法なんて誰も教えてくれはしない。まわりにいるのは、じぶんのことで精一杯なひとばかりだ。唯一、最年長セックスワーカー(元キャバ嬢の現デリヘル嬢)のシホがカノウを心からいたわっているシーンがある。

◾️キョウコ(鈴木たまよ)

 映画版のキョウコ " も " 、ぶっちぎりでぶざまな姿をみせていた。同じデリヘルで送迎スタッフとして働く良太への好意を、ふたりでいるときは包み隠さず伝えている。良太は、「なんでおまえとヤッちゃったんだ」と後悔しながらもキョウコの手作り料理(弁当?)を食べては腹をくだし、手編みマフラーをばかにしては「さむいから」と首に巻く。良太がふだんは伏せている感情をあらわにして、とことん暴言を吐いてしまう相手は、彼女だけだ。

 標的(男)をロックオンしたらどこまでも追いかけまわす彼女の猛烈で強引な愛情アピールだけをみれば「思い込みの激しい恋愛体質なメンヘラのストーカー」に見えなくもないが、そんなふうに切り捨ててはいけない。それらのステータスをじゅうぶん体感しているからこそ " 視えるもの " があるのではないか。じぶんと似たような性質の相手(とりわけ異性)をすとんと理解して、その上で納得して愛しているようだ。キョウコの良太に対する「決めつけ」にもおもえる言葉は、彼にとってみれば「言い当てられたくないこと」なのだろう。男を苛立たせる女というより、イライラを表面化させることでほんとうのことを自覚させる、攻めのデトックス女かもしれない。

 映画版ではふたりだけのシーンがもっと多い。お互いが抱えている「うまくいかないかんじ」「ままならなさ」を節々でかんじとることができる。良太のじぶんに対する怒りが、別のシーンでとっさに爆発する(解き放たれる)のもみれる。キョウコがそんな勇気を振り絞れるよう心の支えになったのでは、とおもう。

◾️カナ(樹麗)

 その場の雰囲気に合わせて、じぶんが楽しめる方向へもっていこうとするのがカナだとおもう。他人をおだてることはないが、自然と盛り上げ役になっている。デリヘルの派遣先で出会った男の素行を実況するかのようにディスりまくって笑いをとる。「きもちわりぃし、ウゼェんだよ!」という負の感情をネタ(弾丸)にしてショットガンに詰め込みおもいっきりブッ放す。豪快に笑って忘れて、次の仕事へと向かうのだ。

 どうにもならない客(男)のことについては、さくさくストレスを発散する。心の断捨離が巧いのかもしれない。きっと、カナにとっては事務所のソファ周辺でのおしゃべりはあくまで「じぶんの機嫌をとりにいくためのイチ手段」であり、「客(男)への鬱憤を晴らすための手っ取り早いツール」である。ゆえに、他人の都合やわがままでじぶんが攻撃(口撃)されるのは、許せない。「それ、違くないですか!?」と、目上のアツコに対して敬語を使いながらも怒りの意思表示は、しっかりとする。感情的にうごいているだけかもしれないし、喜怒哀楽をコントロールしているのかもしれない。カナのサイドストーリーも、みてみたかった。

 「あんたがわるいん(あんたのせい)だから」と言い切るアツコの横暴な八つ当たりに " 正しく " 腹を立てたカナは、「じぶん、帰ります」といってデリヘル事務所を出てしまう。まだ勤務時間が残っているにもかかわらず、だ。キレて身勝手な行動をとったわけだが、これがしょっちゅうあることでなかったら……と考えてみた。唐突な判断にカノウが「どーすんだよっ……」と困り果てるが、わざとだったらカナは役者だなあとおもう。

 カナのデリヘル店での人気度・立ち位置・ランキングはよく分からないが、「行けるひと〜?」ときかれたらすぐ「私、行きまーす」と挙手するタイプだ。日頃あんなに客(男)の悪口を言っているのに、仕事があればイヤがらずやる。相手が誰なのかをさほど気に留めていないようだった。実は、縁の下の力持ちだったりして。「私をテキトーに扱うなら、シフトがあっても帰りますよ。だってそうでしょう?大切にされるべきなのはちゃんと仕事してる私なんだから!」と、内心おもってそうである。

◾️アツコ(安藤聖)

 実はめちゃくちゃ空気を読んでるキョウコと、アンガーマネジメントの実践者カナによってその場のノリで持ち上げられ、いい気になっている「お山の大将」がアツコではないか、とおもう。このデリヘル店の圧倒的な売れっ子は「マヒル」という子だ。アツコがNo.2というわけでもない。事務所での滞在時間が長いのをみると、ご指名が多いほうではなさそうだ。女子集団の中心にいても、ちやほやされているわけではない、慕われているのとも違うというのは、直後の展開ですぐわかる。本人はあまり自覚がないようすだ。

 デリヘル事務所にあるソファ&テーブル周辺では、他の同業者(女)を常に見下ろすようなポジションにいようとする。まわりはまったくそんな些事を気にしていなさそうだ。アツコが床を這いつくばるのは、泣きじゃくって同情をあおぎたいときだけかもしれない。

 客(男)からのクレーム発生率がとても高く、せっかく新規やリピートがついても " なにか " がイヤになって持ち場を去ってしまう。それでも、店長のヤマシタが頭を下げて謝罪することでひとまず許され、次の仕事を手配されてきたようだ。リアルの現場でもそういうものなのかもしれないが、わたしにはふたりの関係がやや歪に繋がっているようにみえた。

 幾度となくやらかしてきたアツコは、悪びれずに「あたしの何がいけないの!?」状態。さすがにヤマシタも堪忍袋の緒が切れてしまい、暴言を吐きつける。もともとクチの悪い男である。女を傷つけるための言葉をたくみに選びとっては投げつけていく。じぶんの美貌を信じているであろうプライドの高いアツコは、じぶんにそんな態度をとるヤマシタを許せなくなっていく。

 ふと、おもったことがある。体験入店のとき、客(男)から完全に逃げだしデリヘル嬢そのものを放棄したカノウは、店舗スタッフとして仕事に精を出している。がんばって役割をこなそうとしてもなかなかうまく回らないときも……。ヤマシタは、しくじりが発覚するたびに迷惑料30,000円をカノウから徴収して小突きまくっている。なんの躊躇もない。よくもわるくも性差がまったくないのだ。アツコへの態度とは大違いではないか?

 映画版アツコの " 人生うまくいってなさすぎ感 " がすごすぎて舞台版アツコの駄々こねっぷりにもモーレツに感情移入してしまうのだが、いまいち怒りのトリガーがどこにあるのかはっきりせず、実はヤマシタに多少気がある(あった)のかが、わたし的には曖昧なままだ。クズで最低な店長にキレて暴れているだけとは到底おもえないのには理由がある。物語の終盤で、アツコはヤマシタを包丁(ナイフ)で刺しにいくのである。彼の傍らには、制服を着た(きっとコスプレではなくホンモノの)女子高生がいた。映画版ではラブホテルに連れ込もうとしているところだと分かる描写であった(ラブホ街を腕組んで歩いていたから)。

 アツコは、デリヘル事務所にみんながいるとき「ヤマシタと肉体関係をもっている(いた)」件について暴露している。今まさにじぶんを怒鳴りつけているこの男は、あたしに欲情して、あたしを抱いて、あたしでイッて、あたしを求めていたヤツなのよ!とでも言いたげな雰囲気。この男、こんなに威張りちらかしてあたしのこと嫌ってるようにみえるけど、実は隠れてあたしとヤッてるんだよねー!!みたいな、アツコならではのプライドの見せびらかし行為だ。傷ついてぼろぼろな自信を回復させるかのように「ひどい男だ!」と周囲に認知させ、じぶんがおかしくなってしまうのはこの男のせいだと責任転嫁がてら号泣しているふうにみえた。じぶんをおとしめた元凶であるヤマシタに復讐をして共に地獄に堕ちるならば、それが本望だとでもおもっていたのだろうか。

◾️チカ(川添野愛)

 デリヘル事務所では、部屋の隅っこ(客席からみて左側)にいつも腰をおろしているのがチカである。体育座りで背中を縮こまらせ、じぶんの膝をデスク代わりにしてA4ノートをひらいている。

 カノウから何を書いているのか問われたとき、「先のないことばかり。うらみとかつらみとか」とはぐらかしたが、カノウが冗談で「怖っ!デスノートみたいですね。書かれたら死んじゃう」と笑ったことで肩を震わせてしまう。実のところ、病床にいる父に対する心情などをこと細かく吐露した日記だったのだ。カノウがつい漏らしてしまった " たとえ " は、まったく笑えない。かといって、心をえぐられて泣くという選択肢もない。

 泣く、という行為はチカにとって決定的な何かが起こってしまったとき以外ありえないものとなっている。泣けば解決・解消できる問題ばかりならとっくにそうしているはずだ。アツコがみんなの前でおもいきり泣きじゃくる傍で「カンタンに泣かないでよ!」とはじめて積極的に感情をだすシーンは、それを如実にあらわしている。アツコからすれば「我慢すればどうにかなるものでもないからせめて泣きたい」心境だったと察するが、チカにとっては " 泣くに足る事情など、この世にそうそうない " ものなのかも。すでに涙が枯れるほど泣いてきているのはこっちだよ、なめんなよっておもっていたとしても頷ける。

 チカは、おそらく実父の入院費や手術費をまかなうためにデリヘルで働いているのだろう。短期間で大金を稼ぐ必要がある立場だが、本心では、はやくこの状況から抜けだしたいとおもっているのかも。父の死に直結することを願うことにためらいがあるからノートを隠すのだ。ただ、そこでだけは嘘をつかずに済むから没頭して書きまくるのかもしれない。道徳心にあふれた内容でも他人に見せたくはないだろうが、" いい子 " でいなきゃまずい理由は、突然かかってきたスマホでの母とのやりとりでそれとなく慮れる。追い詰められているなあとおもった。

 資金援助のために身を売る親思いなチカ。他のデリヘル嬢たちと比べると、極端に露出度の低い私服で髪をいじる度合いも少なく、狙っていない薄化粧(ほぼすっぴん)にノーアクセサリーと、派手さがまったくない。客(男)の前にでなくてよい店舗スタッフのカノウのほうがまだおしゃれですらある。父のことさえなければ、「セックスワーカーになる」という選択肢のない人生を歩んでいたのではないか。

 パチンコが趣味のチカは、ある日、大きなポリ袋をさげてデリヘル事務所に出勤する。ハギオがいつもの柔らかい調子で大アタリを祝うそばで、カノウが「チカさん、パチンコなんてやるんですね!」と言ってしまう。これは台詞を聞いたひとがパチンコにどんなイメージをもっているかで、受けとるニュアンスも変わってくるとおもうが、わたし的には、「まじめで模範的そうなチカ」がプレイすることへの意外性をあらわしている時点でなんか微妙に見下しちゃってるかんじがした。チカをみるとそんなふうに話をふられて拒否反応を示している。カノウは、知らないうちに地雷を踏んでしまうひとなのかもしれない。チカがもともと人見知りなのではなく(ハギオとのやりとりは軽快である)、土足で踏み入ってくるカノウに対する" 何もわからないヤツが余計なことをきいてくるなよ " って警戒心のあらわれにみえた。チカ自身が今の生活に不満を抱えているのにデリヘル嬢の道を選ばなかった(そうせずとも生活が成り立っている)カノウが無邪気なのは、たぶんムカつくんだろうな。

◾️リユ(田野優花)

 ビジュアルが映えて、ボディも実年齢も若く、全身のおしゃれに気をぬかない新人デリヘル嬢のリユ。記憶をたどって書いているので台詞にやや違いはあるかもしれないが、アツコが暴れているときズバッとこう言い放った。

 「こんなところにいるひとからどうおもわれたって、どうでもよくないですか?」

 「デリヘル嬢やってやってる時点で社会不適合者なんだからもっと客観的にならないと。だからみんなからウザがられるんじゃないですか?」

 TwitterでRT拡散されやすい定型文に、" これは本質情報なのですが " というのがあるが、リユが口にすることはそういう類のものだ。逆に言うとテキトーに他人と話を合わせることができない。たぶん、する必要がないとおもっているからだ。けっこう重要なコメントをしてまわりを黙らせているが、背伸びしているかんじはしない。彼女にとってはあたりまえすぎて、呆気にとられている大人たちがばかにみえているかも。

 いきなり言葉で殴られたアツコにしてみれば、ほんとうのことだからなにも言い返せなくてキレて、拳に訴えるしか怒りをおさめる方法がわからない。さいごは泣きじゃくってしまうが、誰からも正確に指摘されてこなかったであろうアツコにそこまで言うのは、ある意味では " やさしさ " である。

 ただ、相手にとってなんのアドバイスにもならない苦言を吐き捨てるときもある。言いたいことだけ言って他人の痛みを推し量れないようでは、たとえそれがどんなに正論だとしても10年後には「ただの嫌味なババア」になり果てそうである。きれいなひとほどイタく見えるやつだ。

 嫌な客を " 逆キャンセル " するのもリユだけである。ガチの恋愛モードになる勘違い野郎どもの相手はしたくない、現場に行きたくないからと別のデリヘル嬢に仕事をなすりつけるひともいるなか、彼女がとった行動は、「じぶんたちに断るという選択肢はないのか?」という根本的な問題の解決を突きつけることだ。風俗店で働く理由は、ひとそれぞれだがリユのケースは何なのか?を、もっと知りたくなった。

 ちなみに、リユの「仕事に差し支えのある面倒な客(男)のところに行くのやめたいんだけど、どうすればいい?」という少々ケンカ腰な態度にカノウが「そういうのはちょっと……(困惑)」と、デリヘル嬢には断る権利がないと言いたげな雰囲気をだしてしまう。確かに、客が直々に指名をしたのなら基本的には受けるべきなのだろう。どうにもできないカノウのつらさも、わからなくはない。ただ結局は、ヤらない側を選んだ女が、なにか策をこうじるわけでもなく、きもちに寄り添うような発言をするでもなく、店長ヤマシタの指示通りにうごかそうとしているわけだ。リユがカノウに嫌味を言ってしまうワケは、このあたりにあるだろう。

◾️シホ(美保純)

 キャバクラ嬢をしていた経験がある最年長者のシホ。映画版での " 過去の独白 " がごっそり省かれており、ひとりでいるときの回想シーンもないので、短縮された台詞や態度からいろいろと想像するしかなくて、個人的にうろたえてしまった。もっと出番があってもいいキャラクターだったのではないか。

 ああ、そこは残すのか……とおもったのがカノウとのやりとりだ。カノウがテレビをつけて事務所の掃除をしているとき、シホがやってくる。番組をみて「それ消してくれる?」とたのむのだが、内容は、かけだしの女性アイドルグループが制服姿で歌って踊っているもの。「アタシこういうの嫌いなのよね」というシホにカノウが同意する。そこまではいいのだが、「これのなにがいいんですかね?よろこび組じゃないですか。かわいいとはおもいますよ、でも嫌いです」と、付け足してしまう。それを聞いてシホは、「カノウちゃんておもしろいんだね」と返したのだ。苛ついているわけでも、不思議がっているわけでも、ほんとうにおもしろがっているわけでもなく、ただただ、「ああ、ここでアタシにこういうことをサラッと言っちゃう子なんだな」と、カノウをフラットに観察しているような雰囲気だ。

 よろこび組みたい、というのは的を得ている。でも、それをシホの前で指摘した上で " 嫌悪感 " をあらわにするのはいかがなものか。要するに、客(主に男)が高確率で興味をそそられるであろうことを意識的に提供して人気をとり金銭を得ているわけだ。デリヘル嬢と、似ている部分があるのではないか。相手の好みによってサービス内容をカスタマイズしながら、何度も通ってもらえるよう仕向ける手練手管の上級者(プロ)と考えると、誰かに媚びたパフォーマンスをするアイドルを笑うのはデリヘル嬢をも笑っていることになりはしまいか。少々うがったモノの見方をしすぎかもしれないが、カノウはそれをたやすく小ばかにしてしまったし、シホは細かい理由を一切告げずに「おもしろい」と評した。こんなふうに誰かの地雷を踏んでいることにも気づかず無邪気でいられる子なんだなあと、内心おもっていたのかもしれない。大丈夫かなあこの子、と、心配になっていてもおかしくはない。

 カノウからの「シホさん彼氏いるんですか?」という質問に「いるよ〜。出会った頃(キャバ嬢時代)は既婚者だったけどね」と返すが、映画版では公園でひとり佇んでいる姿しか映しだされない。視線の先には、小さなこどもが家族と遊んでいる姿がちらほら。舞台版ではその背景を知ろうとするとシホの言動をよく観察するしかない。「相手の奥さんはどうしたのか」という疑問には、「別れた〜」という。まったく男の影がないので、嘘なんじゃないかなあとおもっている。

◾️和代(早織)

 デリヘル店No.1指名嬢マヒルの妹。風俗店では働いていない。こどもを妊娠して「産む」という選択をしたところだが、夫の稼ぎだけでは足りないようで(自身は就業が厳しいのだろう)、時々マヒルに金の無心をしにくる。胎児にも母体にも悪影響のある喫煙をやめられず、姉と会うときも吸っている。マヒルは客(男)に身体を売って、じぶんの心や将来の希望とは関わりのない精液(ゴミ)を投げ込まていたりするし、姉妹お互いが " 何か害になりそうなもの " を摂取している。

 イヤなことがあるとケタケタ笑って浄化しようとする姉をみて「大丈夫?」と心配するのでなく「きもちわるい」とつきはなす。じぶんとは違いすぎる異物に嫌悪感を示しているようにみえる。が、血のつながりはあるゆえか姉妹という関係を利用して毎回3万円ほど生活費の足しに " お小遣い " をもらっているようだ。マヒルから連絡することはなさそうだが、どちらかが呼びだせば必ず応じるという関係は、 " 鎖の強さ " をかんじる。身内や恋人だからといって絶対そうするものでもないだろう。ゆえに、マヒルからの「これを最後にしてもいいかな?」という " 提案 " は、ぞくっとした。お願いや命令ではなく、ふたりの人生にとってもっとも前向きな決断はそれじゃないか?と、妹のようすをいつも通りのテンションで伺っているふうにみえた。

 和代は、「いつか捨てられるのかもしれない。わたしもこの子も」と言う。姉は、不特定多数の客(男)に身体を差し出してその対価を得ており生計はすべてじぶんで立てている。和代自身は、他人に身を売るという発想自体がナンセンスだとおもっていそうだが、特定の誰かに頼っていないとどうにも暮らしが成り立たないかんじがする。それはイヤだあほらしいと内心軽蔑している行為で姉が稼いだ金を、じぶんは「お金ちょうだい」という一言だけでぶん取っているから肩身が狭いとはかんじているみたいだ。ふたりとも " 実家をでた " ことがかなり大きな一歩のようだが、自力でまかない切れないものに苦しめられている。姉からの援助を断たれると、和代にとっては少なくとも煙草をやめることにはつながりそうだ。努力をしてもほんとうに生活が立ち行かなくなったら手をさしのべてくれるのがマヒルだろうし、和代はドン底に落とされたが、いつでもロープが見えている状態だ。ただ、姉にそこまで言わせたのだからもう頼ってはいけないと決意するタイプではあるとおもう。

 舞台のラストで、和代は残酷な目に遭いそうになっている。映画版では「数秒。数分先に起こる未来」がわかるようすが映って途切れるのだが、舞台ではそれを知っているひとにしか「そうだ」とわからなかったかもしれない。和代は、マヒルが " もっとも信頼しているような安全な存在 " に暴力を振るわれるのだ。

◾️マヒル(小島梨里杏)

 指名率No.1デリヘル嬢のマヒル。ふわふわした淡いトーンのワンピースを愛用して、好物の乾きもの(イカ)を食べながらテレビ番組を観て、「くっせー!」と叫んでいる。と書くともの凄くあたまが弱そうだが、賢くなさそうに振る舞っているだけでばかなわけではない。男ってこういうの好きでしょ、を押しつけているかんじもない。ナチュラルにああなのだ。何をしていても純朴でかわいく見える。くすくす けたけた んふふ あはは ひゃはひゃは www えへへと、二次元世界の住人みたいな笑い声を何十いや何百通りも操作する。

 海外ドラマ『Misfits/ミスフィッツ - 俺たちエスパー!』には、触れた相手がじぶんとセックスをしたくなる特殊能力を身につけてしまった美貌の少女が登場するが(やべえ設定だな)、マヒルもあの笑い声を聞いた男たちにテンプテーションの呪文をかけているのかもしれない。効果はじぶんにもはね返ってきて、鼓膜に音をひびかせているうちは、「これでいいんだ」と麻痺してしまうのかも。だから、ずっと笑ってなくちゃいけない。いやぜんぜんSFな話じゃないけどさ『タイトル、拒絶』って。けど、笑ってさえいればそれでいいじゃんみたいなところあるし、そんな妙な空想をしてもあながち間違ってないんじゃないか?と、おもってしまう不思議さがマヒルにはある。

 他人に対する「嫌い」という感情を忘れているのか、どこかで抜け落ちてしまったかんじ。拒絶してもいいはずの存在にも「あー、めんどくせーwww」と3畳くらい草を生やす程度で受け止めてしまう。ほんとうはイヤだとおもっていることをスルーせずにいったん引き受けることで、お金というわかりやすい対価をもらい、それでじぶんはじぶんに納得したことにしてしまう。いつもとは違う対応をするほうが面倒じゃん、ワタシがいいって言ってるんだからそれが正解なのだー!wと、またうっかり草を生やしては同じ処理をくり返す。これが「たまに」でなく「秒単位で」行われているので、内心どんどんすり減っていくのかも。消耗をかき消すために笑い、笑うことで消耗する。この異常さに気づいて「ちゃんと傷ついていいんだよ」と教えてくれるのは実の妹の和代だが、自己処理できていると信じるだけで精一杯のマヒルは、それをわかってもらおうと叫ぶ。

 この綱渡りは学生時代まだ実家で暮らしている頃からずっと続いているもので、この先も放棄する気がないようにみえる。絶対にみずから命を絶たないための手段としてデリヘルでお金を稼ぎ、いつか叶えたい夢をおもいながら、笑っている。夢とは「小学生の頃なんでもしてくれたやさしい用務員のおじさんみたいなひとをホームレスの男から探して人生を買い、世話をしてもらうこと」であるが、この舞台では「無力さイコール安全」ではないことを密かに示している。

 マヒル、じぶんのなかにゴミを入れすぎて窒息しそうになってるしそのまま死んじゃうのかな、とおもうシーンがある。でも、唐突に日常に戻るからすごい。スイッチのON・OFFが劇的にうまいのだろうか。ぎりぎり死なずに済んでいるだけ、かもしれない。

 妊娠検査薬の結果をみては、あー、んふふ、と笑い、のちに金の無心にきた和代に「はやくおわらせようよwww」「他人をもう3人くらい殺してるんだよね」と言うのとか、店長のヤマシタが俺はくずだからというのに対し「じゃあやっぱりワタシはゴミ箱だね」と何も否定しないのとか、「どう処理すればいいんだ、っていう」と、急に本音を漏らしはじめるのとか、どのマヒルからも目を離せない。

◾️ヤヨイ(信川清順)

 至るところで日常的にデリヘル嬢たちの地雷を踏みまくっていそうなカノウから、「あいつ絶対空気読んでないですよ!」と陰口を叩かれているヤヨイ。じぶんの見た目を活かしたファッションに身を包み、独特なこだわりをかんじる。精力的に探しにいかないとまず見つからないような古着でクローゼットを埋め尽くしていそう。

 たのしいから犬とたわむれ、おいしいから飴をなめる本能的なひとなので「ちんこ挿れられそうになったら(ルール違反だから)噛みちぎる」という店長ヤマシタの助言は、ヤヨイ的に " 完全に理解した " ものだっただろう。本音と建前、常識と非常識のラインを感覚や経験から把握できないタイプだ、というのは面接時にヤマシタが気づいておくべきだった。まさかほんとうに噛みちぎるなんておもいもよらなかったろうが、ヤヨイからすれば、そうしてね!と事前に教えられたことを実行しただけなのに怒られるという理不尽な目に遭っているわけだ。えーっ、だって言ったじゃないですかァ、とか訴えていてもおかしくはない。だが、「私なんかたいへんなことをしちゃったみたいだから次はがんばろうとおもって!」と、彼女なりにめちゃくちゃ空気を読もうとしている。これまで暗黙の了解となっていたこと(客と本番行為をしてはいけない規則があるが集客と利益のためにそれを無視して同意があればセックスOKとする考え)に対して、それってダメなやつだけど店のオーナーには黙ってヤッてるんだよね、どうなのよ?と、問題提起するきっかけを与えてしまったのがヤヨイだ。ド天然だし偶然の産物だろうけど、彼女がいなければ物語は次々と転がってはいかなかっただろうな、とおもう。






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