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過去の物語によって想像する力を持つことが出来る。人間だったら出来る事でしょう?

前にもnoteに書きました



「罪と罰」



小説では金貸しのおばあさんを少年が殺す話しで、少年は特別な人間なので自分は人を殺しても良いと考える。

ドストエフスキーはソ連の小説家である。
彼は国が戦争を起こす事に怒りや疑問を持ち小説を書いたらしい。
大衆に分かるように。



ところで、チャップリンも「独裁者」という映画を作っている
その中で似たような台詞があるので両方見て読んで一致しているのはどの台詞か調べて下さい。なんとなく分かるでしょうけれど…


戦争によって
人殺しが英雄になる。
数が多いとバッジが貰えたりする。

その事についての疑問。



「罪と罰」の主人公は


1人の人間をいなくて良い。

害だと

思った。

そしておばあさんを殺した。

だが、その後主人公は悩む。



勢いでも主人公は人を殺していて、もうおかしくなっているんですね…ラスコーリニコフは。
他にも彼の決めた殺しても良い人物をみつけたり…
それに彼は、自分は歴史上の偉人と同じで良いことをしてるという気持ちもあり…

そんな今で云う自己愛性パーソナリティ障害っぽいラスコーリニコフは

自分の身体を犠牲にして他者のために娼婦になったソーニャに救いを求めるのです。

*若干加筆訂正いたしました。




ところで昭和怪奇事件史の犯人谷口富士郎は理由がお金目的とされていたが、もしかしてラスコーリニコフのした事を
「俺にもできる。俺はそういう存在なのだ」
という事をしたかったのかもしれないという仮説も考えた。

同じ事を江戸川乱歩も考えていたのかもしれない。
なぜなら江戸川乱歩の短編小説にそんな主人公が出てくるから
ラスコーリニコフそして谷口富士郎を足して作ったキャラが小説の主人公に出てくるからである。(その小説を自分で探して下さい)


スタンリー・キューブリックという監督は
「博士の異常な愛情~(長いので略)」
という映画を製作しています。

ソ連とアメリカの情報の攻防戦が続き
どちらかが核のボタンを押した?
そしてどうなるのか
政治家達の話しあい、コメディじみた悲劇がえがかれ


現在観ると
しゃれにならない映画です。





戦争 そして殺人について
表現者達は考えて私達に訴える。

大義名分があれば

戦争をしても良い


そうなのか?
本当にそうなのか?


戦争は人殺しで戦争はジェノサイドです。

現実はどうしても
弱いものが当然負ける。

双方の力が五分五分だとしても、周りの損害や被害は取り返しのつかない事になる。

だから始まったら全力で止めなければならない。

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