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【6月19日~25日】そうだ、長崎へ行こう

今年の上半期、毎月のように遠出していて人が変わったようにアクティブだったのだけど、それも先日のボルフェス2023大阪会場が最後だろうと思っていた。
不思議とぱたぱたと予定が入ることが続いていたのが、やっと途切れたからだ。
しばらくは引きこもるつもりで、実際この1週間は毎日みっちり働いていたし、手元にはずっと仕事がある。ありがたい。

ただ、納期の兼ね合いを見るにつけ「2~3日の余裕はこの先しばらくは保てるんじゃないか」ということを考えていた。

暇をつくれるならどこか行きたい。


自他ともに認めるお家大好きモグラ人間であったはずの私が、外に出たがっている。なんだこれは。

そうだ、五島へ行こう!


と、五島列島にある祖母の家に行ってひたすらダラダラすることも考えたのだけど、まずは中2女子から大ブーイングをくらった。

朝の散歩に行くとこういうところでぼけ~っとできる五島

中2女子は五島が大好きだ。そしてこの夏は私よりも忙しいから遠出はできない。たしかにそんな中2女子のことを思うと気が引ける。
それにどうせ五島へ行くなら『舞いあがれ』ごっこがしたい。
ロケ地めぐりをして、舞いあがる写真を撮らないことにははじまらない。
つまり、ひとりで行くのはナシだ。

でも、祖母には会いたいんだよな。というのは変わらなかった。
昨年から祖父が長崎市の病院でお世話になっていて、それから祖母のひとり暮らしが始まったからだ。
あの大きな家でひとりは寂しかろうと思う。

私が最後に祖父に会ったのは1年半前。
5人いる孫たちのなかで、最初に忘れられたのは私だった。
モノを盗られたと思い込んだりする認知症の典型的な症状もあった。

目も腰も悪くてどんどん歩けなくなってはいたけど、寝食だけは健全だったし、元気でしっかりとしたまま維持できるものと思いたがっていた私は、祖父にあなたの孫であるという説明をした。できるだけゆっくり。
なんとなく、まだギリギリのところで記憶を呼び戻せるんじゃないかという謎の自信とともに。
すると、祖父も思い返すように長考したあと、「寄ってこんかったもんねえ」と言った。「だね~」と返した。
寄ってこなかった、というのは、懐かなかったというような意味だ。

祖父が私を思い出して認識したのかどうかはわからないけれど、おじいちゃんっ子だった兄に比べて、私は事実として祖父にべったりする子どもではなかった。
むしろ、五島へ行くといつも母の背中に隠れるような引っ込み思案だったし、祖母に構ってもらうことのほうが圧倒的に多かった。
祖父は子どもが好きだからたくさん話しかけてくれて、私はそれに応える。でも自分からはなかなか話しかけられない。だいたいそれ。
身内のなかで最初に忘れられる存在というのも、なんの疑問も湧かない。

とにかく健忘が酷くなってきたと聞いて、1年半前、私は当時小6だった中2女子を連れて五島へ行かなければならないと思いすぐに行動に移した。
この子はまだ祖父から、彼女にとっては曽祖父から原爆体験の話を直接聞いたことがなかったからだ。

認知症による健忘には順番があって、まずは直近のエピソード記憶を忘れるところから始まり、進行とともに過去を遡って忘れていく……というのは、仕事で調べたことがあって理解していた。
会話してみた感じだと、30~40年ほど遡ったあたりの記憶が特に曖昧になっている印象だった。

祖父が私や中2女子をどういう関係性の相手なのか理解していたのかはわからないが、原爆の話を聞かせてほしいと伝えたら、きちんと座り直して語ってくれた。
母、私、娘……と被爆4世まで語り継げたのだから、それはなかなかすごいことではなかろうか。

私の場合、これまでところどころ細切れに聞いてきたから、一気に通して話を聞くのは初めてのことで、そこでひとつ新たな情報が加わった。

祖父の実家は長崎の爆心地に近いところにあったため、その瞬間に家にいた家族は骨も残らなかった。というのは聞いていたのだが。
骨がないから、大学病院に転がっていた石を骨の代わりにしたらしい。
私にとっては新事実だった。
長い人生で繰り返し語るというのも大変なもので、聞き手からするとそれはとても大きなエピソードなのだけど、そもそもすべてを一度に漏れなく語るのは難しいのだろう。
過酷の極みという表現で足りるわけもない、地獄そのもののような経験にはエピソードが多すぎる。

私はその日が最後になってもいいようにと、悔いを残さずに五島で過ごした。
遠方に暮らすという現実を受け入れていた。
それはずっと長崎と関西の距離を互いに行き来し、生きてきたからだ。

けれど今、時間がある。まだ会える。
一時はコロナ禍の対応が難しく病院では面会できなかったのだけど、今は少しだけなら面会を許されるようになっていた。

そうだ、長崎へ行こう!

いくつになっても路面電車でテンション上がる

五島まで行くことに比べると、長崎は格段に行きやすい。
神戸空港、ありがとう! スカイマーク、ありがとう!
さっそく祖母に聞いてみると、ちょうど祖父のところへ行く予定があったらしく、日を合わせて一緒に病院へ行くことになった。
そういうことならばと中2女子も私だけで行くことを快諾してくれた。

生まれたときから今日まで、何度となく長崎へは行っているけれど、外で待ち合わせて祖母に会うというのも、祖母とふたりきりで長崎を歩くというのも初めてのことだ。
電話口の祖母の声が明るくて、うれしそうだった。私もうれしかった。

祖父が私に言った「寄ってこんかったもんねえ」は、祖父に限ったことではない。
私は自分から誰かにアクションを起こすということが長い間ずっと不得手だったから、誰かの印象に残ることは少ないだろうし、それをわかっていた。
でも、祖父のそのひと言は心の真ん中にグサリと刺さってしまった。
もしかしたら、私が昨年からやたらとあちこち行って誰かに会おうとするようになったのは、それがきっかけだったかもしれない。

会えば祖父は一生懸命思い出そうとするから、思い出せないことが苦しくならないかと申し訳なくなるし、あまりに遅すぎたのだけど。
せめてもう「寄ってこんかったもんねえ」とは言わせないようにと。

そうだ、長崎へ行こうと、飛行機のチケットを取った。





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