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For Goodから、難民問題に取り組むピープルポートへ移籍しました!

こんにちは!
皆さん、明けましておめでとうございます☺️

この度、1月よりクラファンサービスFor Goodから、日本に暮らす難民の雇用創出に取り組むピープルポートに移籍しました!

所属も株式会社ボーダレス・ジャパンから、グループ会社であるピープルポート株式会社に変わります。といっても、ボーダレスファミリーには変わりなく、内部では異動みたいな感じというのが正直なところです!

今回、移籍の背景や想いを残して起きたいと思い、久しぶりにnoteを綴ってみることにしました。(年明けすぐに書いた記事を、少し修正して3月に公開しました笑)

ピープルポートは、使わなくなったパソコンを回収し、それを自社で整備して販売する事業を行なっています。パソコンの整備スタッフなどとして、日本に暮らす難民の方々が働いています。

デンマーク留学時代には、上司や同僚に難民というバックグラウンドを持った人たちが当たり前のようにいる環境で働いていたので、フラットな同僚という立場で一緒に働けることはすごく嬉しいことだな〜と思っています。アフリカ、シリア、ミャンマーをはじめ、多様な背景を持つ人たちが働いています。

やっと言語化できた難民問題に取り組む理由

まずは、改めて難民問題という領域に私がパッションを持った理由から。

実は、この想いの言語化の旅がはじまったのは、2021年に人生で初めて福島を訪れた時からでした!

私は、グローバル・シェイパーズ横浜ハブ(以下、横浜ハブ)という、若者の力でより良い社会を作ろうというコミュニティに所属しています。

横浜ハブでは、フクシマ部というプロジェクトがあり、福島を訪問して震災を学ぶツアーを行っているのですが、その下見旅にご一緒させてもらった夜にある大きな問いをもらったのです。

横浜ハブの先輩たちとのんびり夜にお話していた時、私が難民映画祭のTシャツを着てたことをきっかけに、”なぜ難民問題に取り組むのか”という話に。(ちなみに今もTシャツは愛用してて、かれこれ4年くらい着てます笑)

その時、私は「自分が大学一年の時に病気になって命を失いかけた時に、同じく紛争によって命を失いかけた難民の方の映画を見て何かしたいと思って」と答えました。

すると、先輩たちから、「え、ちょっと待って、何か繋がるようで繋がらないね。すごく急に飛んでる、、。本当の理由はなんだろう?何かありそう👀」と大きな問いをもらいました。

その時は正直どういう意味かわからず、漠然とモヤモヤしていました。

でも、確かに教えてもらった通り、「病気になった自分と、紛争や迫害から逃れた難民の方々がリンクした理由が実は見えていないな」って気づきはじめました。

以来ずっと、頭の片隅で言語化を試みては、上手くできずを繰り返していました。

この問いを探求し続けて1年半が経ったころ、人材開発の分野で研修などを開発する方とお話させていただく機会がありました。

私が難民問題に取り組んでいること、そのきっかけ、自身の病気のことをお話させていただく中で、

「藤井さんは、自分の痛みや悲しみをバネに原動力にしていて、しかもそれだけでなく他者のために心が動くタイプかもしれないね。」

とアドバイスをいただき、原動力を探求するワークを教えてくださいました。そのワークを行なっていくうちに、ずっと見えなかった部分が少しずつ言語化されていくのが分かりました。

私はやっぱり、発症して7年も経った今も、未だに自分自身の難病には葛藤があります。
というのも、健康だった頃の記憶はもちろんあるので、身体的に健康じゃない部分がある自分を受け入れ、この経験自体を意味づけしていく必要があると思っています。
(少しずつ向き合っていますが、けっこう時間がかかるものですね笑笑
免疫の病気なので、身体は痛みもなく目には変化が見えづらい分、ちょっとしたことで病気を再認識して寂しくなるみたいなことが未だにあります)

でも、家族や友人、パートナー、恩師、同僚など多くの人々に恵まれて、たくさん救われたんです。病気でも、お酒が飲めなくても、他の人と同じように働けなくても、理解しようとしてくれて味方になって支えてくれる方々がいました。

この病気がご縁を繋いでくれて、私を成長させてくれたことは紛れもない事実です。

そして、今やっと言語化ができたことは、「自分ではどうしようもない理由や環境で、突如夢や目標、生活が壊された人たちの人生の再建」のために仕事がしたいという想いです。

他にも、もう一つ2022年に認識したことは、まだまだ未熟だからかもしれませんが、「世界で1億人以上いると言われている故郷を追われた方々」よりも、「目の前にいる紛争や迫害から逃れてきた〇〇さん」のように顔が見えるとすごくエネルギーが湧いてくることが分かりました。

この気づきが今回の移籍に大きく関わっています。

複雑で答えのないこの領域と向き合いたい


2017年にトビタテ留学*に応募する時、書類審査にこんなことを書いていました。

将来的に日本の難民支援のエキスパートになりたいと考えています。
難民の受け入れは、見方を変えれば他国からの優秀な人材の確保にもつながります。これから労働力が減少する事が予想される日本の救世主として難民を受け入れる社会づくりが私の生涯を通しての目標です。

卒業後は国際機関またはNGOに勤務し、専門職として日本の難民支援活動に携わっていきたいです。

私は、シリアなどの現地へ赴きたくさんの人に対して支援を行うのではなく、日本にいる難民の人と信頼関係を作り、彼らが日本のコミュニティに溶け込めるような支援サービスやワークショップを開催したいと考えています。

大きな波ではなく、小さな変化の積み重ねでやがて大きな変化のきっかけになるような「大河の一滴」になりたいです。

ああ、この時の想いが変わらず自分の志なんだなぁと。

それに気づいた時、妙に納得したと言いますか、ストンと肚落ちした感覚がありました。

このトビタテ留学前の時から変わったことは、ふたつ。
一つ目は、国際機関やNGOではなく、ビジネスセクターで関わっていること。
二つ目は、留学を含め、様々な経験を経て「難民支援」ではなく、対等な関係性で関わっていく「難民のエンパワーメント」がやりたいこと。

そんなベストタイミングで、ボーダレス入社前からお世話になっていたピープルポートの青山さんに突然電話をもらい「うちで働きたい?」とスーパー直球なお声かけをいただき、「そりゃ、働きたいですよー!」と即答し、2回の採用面接を受け移籍が決まりました。

ここだけの話ですが、2022年で一番緊張したのが採用面接でした!笑
(社員皆さんから英語で面接の質問が飛んできた時はアドレナリン出まくってましたよー)

ちなみに青山さんは、私がボーダレスに入社するきっかけになった先輩で、WELgee*インターン時代の4年前に初めてお会いした時はまさか一緒に働かせていただけるとは思いもせず、ご縁って不思議なものだなぁ〜としみじみ感じております。

* トビタテは留学に特化した給付型の奨学金です。
*WELgeeは日本に暮らす難民の方々の雇用創出に取り組むNPO法人です。

私が目指したい社会

「どんな境遇でも、誰もが希望を持って輝ける社会のインフラづくり」

これが私の取り組みたいことです。

希望があること。
自分の可能性を信じられること。
逆境に立ち向かい負けずに踏ん張ること。
自分なりの輝きを放つ居場所をつくること。

これらが豊かな人生をおくるために必要になってくるのではないでしょうか?

豊かさとは、楽しいだけでなく、時に苦しい経験も乗り越えて、充実さが増していくものだと考えています。

そして、そのためには、いつも社会側の環境も重要だと思っています。
私は、そんな社会のインフラをつくる側になりたいです。

なんだか大きなことをいいましたが、個人的には、私がデンマークで体験した同僚やお隣さんに難民の方々がいることが当たり前で、それが珍しいことではなく日常になることが一番嬉しいことかもしれません。

難民であることは、一つのアイデンティティでしかなく、その人の一部でしかありません。

ひとりの同僚として、まずピープルポートで働く様々な境遇を持つ皆さんとたくさんお話できたら嬉しいなと思います。

最後に


2023年は福岡から関東への引っ越しに始まり、新しい生活や挑戦がはじまります。

(ピープルポートは横浜にオフィスがあります!誰でも大歓迎なので遊びに来てください!オフィスツアーをさせていただきます。)

相変わらず人生はジェットコースターみたいな一面と、穏やかな一面と両方があります。

今年も、人間らしく一喜一憂しながらも、もがきながら手探りで進んでいきたいと思っています。

皆さん、引き続き応援のほど、よろしくお願いいたします。

コロナやインフルエンザなど、体調には気をつけてください!


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