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他人への敏感さ、自分への鈍感さ。

※この記事は2024年1月21日にInstagramへ投稿した文章を再掲したものです。

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他人のことは分かるのに、
自分のことがよく分からない。

人の感情の機微や、何を言おうとしているかとか、無理をしていることに関してはちょっとこちらが困るくらいに分かるのに、自分事になると途端に鈍感になってしまう。
把握できないまま突っ走って、息が上がっていることにも気が付かないまま全速力で走って、ある所で突然、呼吸ができなくなってしまう。

これでもまだ進歩した方で、数年前までは『分からない』ことさえ分からなかった。何を言っているのか段々分からなくなってきたけど、とにかく自分自身が分からなかった。
私は努力ができる。やればできる。多少無茶してもそれは無茶のうちには入らない。だって皆んな頑張ってるんだし、とかなんとか言って。

挙句の果てに身体を壊した。今どき珍しくないことらしい。そうは言われても、私には身体を壊したという事実しか残らなかった。でも、祖母に言われた「この時代、身体を壊さないことの方がおかしいのかもしれません」という言葉に当時すごく救われた。私はおかしくないのだと思えた。



たぶん、自分のことになると願望が含まれるのだと思う。望みと願いと、スパイス程度の自尊心がちょっかいをかけてくるせいで、正常な判断ができなくなってしまう。
自分はそんなことないって思ったそこの貴方、聞いてる? 貴方だってきっとそんなもんだよ。人間みんな、驕り高ぶって生きてるんだと思う。

自分のことを正常に判断できるようになりたい。顔中がニキビで満たされる前に、喉につっかえた感じがする前に、あらゆる音が煩くて仕方なくなる前に、ある日パッタリと動けなくなる前に。身体が気づく前に、気付けるようになりたい。

なんために生きてるか分かんなくなった日々から社会に戻るとき、この日々があって良かったなんて一生思わないと誓った。心の底から誓った。
その思いは今でも変わらない。変わってたまるもんか、とさえ思っている。あの頃に比べて私は少しだけ強くなった。



ある程度動けるようになってから、元いた場所に戻って。もう一度休んだりフラフラして、そして明日から新しい環境で新しい生活が始まる。10歳の頃から思い描いていた夢を投げ捨てて、新しい夢のために歩く生活が始まる。
もう、闇雲に走ったりなんかしない。たまには早歩きぐらいすることもあるかもしれないけど。歩いているつもりが早歩きだった、なんて勘違いはしたくない。
誰かに追い抜かれることもあるだろうけど、まあそれもアリかな、なんて思いながら私は図太く図々しく生きていくんだよ

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