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思春期とスマートフォン

 母が学生の頃は携帯電話など無かったから、自宅の電話を長時間使ってよく親に叱られてたなぁ…。びっくりするような電話料金になったりもしたし、夜の公衆電話は長蛇の列にもなっていた。友人宅に電話する時は親御さんが出るかも…と緊張もしたし、電話をかける時間帯を選ばざる得なかった。当時はとても不自由さを感じていたけど振り返れば自ずと制限されていたからラクだったのかもしれないな。

今は自由な分、不自由だよね。
スマートフォンの使い方ひとつ取っても自分の意思が試される。
「やるべきこと」と「やりたいこと」の調整がうまくできる人が大人だとするならそれは思春期や学生にかぎったことではなく大人の私たちも常にテストをされているような感じだな。

「自由」とはあなたの「意志」を問われること。

 「意思」って脳の「やる力」「やらない力」「望む力」の3つの領域で調整されると仮定されているけど、高校生のあなたは「やる力と勉強」「やらない力とスマートフォン」のふたつの調整が難しそう。友達との連絡、情報交換、ゲーム…とその小さな箱の先には無限の世界が広がっていて、テスト前でも気になってしまう。
わかるな。あなただけじゃないのよ。母だって「やるべきこと」と「やりたいこと」の間で揺れる。そういえば長女は大学受験の時、自宅のポストにスマートフォンを置いて帰宅していたけど、彼女なりの「スマートフォンとやらない力」「勉強とやる力」への対策だよね。

「やる力」と「やらない力」を引き出すのは、「意思」の3つ目の領域「望む力」だと思うのよ。そして、「望む力」には短期と長期のふたつの視点があると母は思う。今日、今、自分に望むことと3年後、5年後、自分に望むことは違うから。

 高校生のあなたにとって、長期的視点の望む力を引き出す質問は「高校を卒業する時に叶えておきたい状態は?」とか「大学生の時、どこで何をしていたい?」だろうな。
ちなみに大人の私たちなら「棺桶に入る時に後悔しそうなことは?」かな。
棺桶に入る時に「あと10分残業していたら…」といった後悔は確実にしないもんね。棺桶レベルで考えるとよくわかるよね。あなただって「あと1時間スマートフォンを触れてたら…」とはきっと考えないでしょ。
 つまり私たちは日常、そう大切じゃないことに心や時間を奪われているってこと。時間もエネルギーも無駄遣いしている可能性が高い。しかも、無駄遣いしていることに薄々気づいていたりして…自己否定感が増す。

 だからこそ「自分は何を心から望んでいるのか」を定期的に確認する必要がある。本当に今それをやる必要があるのか、自分は何をすべきかは「自分は何を望んでいるか」次第だから。