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メロン・ビーチ・クラブ

 レンズの分厚いメガネが似合うふみちゃんはプールの授業をさぼって屋上にいた。太腿の上にはお弁当用のバッグがあり、チャックを閉めたまま誰かを待っている。
 建付けの悪いドアが音を立てて開く。
 長い前髪で顔が隠れたうみちゃんが手を挙げた。彼女が持っている袋の中には夕張メロン味のミルクとレタスとハムのサンドウィッチが入っている。

 消毒と着替えを終え、プールサイドには生徒たちが集まっている。今日はクロールの25メートルのタイムを計る日で、生徒たちはやりたくないと思いながら、日差しのせいにして体育教師を薄目で睨んでいる。
 透き通ったプールの水面の上でコースロープが静かに揺らいでいる。体育教師の号令で生徒たちがコースの前に移動し始める。

 ふみちゃんが弁当箱を開けるとうみちゃんが目を見張る。
 弁当箱には赤や緑のチェック柄のお弁当カップが収まっていて、焼きそばと麻婆豆腐が収まっている。ご飯が炒飯になっていることに気づいたうみちゃんは食べていいかと爛々とした目で尋ねる。ふみちゃんはうみちゃんの太腿の上に弁当箱を置いた。宝石箱を見ているかのように弁当箱を覗くうみちゃんを見て、ふみちゃんはなんだか嬉しくなった。

 プールに入った男子生徒三人がさみいと言いながら肩まで浸かっている。浸かりきった方が風を感じない分、寒くない。
 体育教師がプールサイドでホイッスルを吹くと三人が泳ぎを始めた。順番待ちをしている生徒たちは膝を抱えながら座っていて、最近はまっているユーチューバーの話や、誰かと誰かが付き合った話をしている。
 泳ぎ切った男子生徒たちはタイムを見に記録係のバインダーをのぞき込んだり、耳に入った水を取ろうと片足で跳んでいたり、さみいさみいと言いながらバスタオルにくるまったりしている。

 うみちゃんが焼きそばを啜り、麻婆豆腐を口に運び、炒飯を掻き込む。夏でも陶器のように肌が白く、オンラインゲームのやりすぎで瞼が半分開いていないにもかかわらず、ふみちゃんは運動部の男子のように、弁当を食べている。
 ふみちゃんは母親の料理が大好きだが、弁当はあまり好きではなかった。
 それはコンビニでサラダやパンを買って食べている女子が多数派で、弁当を持参している女子が少数派だからだ。サラダパスタやメロンパン、おにぎりで作られた輪の中で弁当箱を開くのは、ふみちゃんにとって億劫だった。
 そのためうみちゃんが保健室登校する日は、授業をさぼって屋上へ行き、自分の弁当をあげるかわりに彼女が買ってきたコンビニのご飯と交換する。
 みんなと同じようなものをみんなと一緒に食べられる時間は、ふみちゃんにとってささやかな至福だった。そして屋上でお弁当を食べられる時間は、うみちゃんにとって大切にしたい幸福だった。
 ふたりはこの共生関係のことをメロン・ビーチ・クラブと呼んでいる。由来は特にない。

 タイムを取り終えた生徒たちは残りの自由時間をプールの中で謳歌する。男子生徒はどれだけ潜っていられるかを競い合い、女子生徒はプールサイドでバスタオルにくるまりながらお喋りをしている。3人で固まって座っていた真ん中の女子が男子たちのはしゃぎっぷりを見て、付き合うなら年上よねと言い、横のふたりが同じように男子生徒たちを眺めながら賛同する。
 終業のチャイムが鳴ると、プールを後にして生徒たちは更衣室へ入っていく。
 男子更衣室も、女子更衣室も等しく騒がしい。
 更衣室から出てきた男子生徒は待ちに待った昼食のために教室へと急ぎ、女子生徒は一時間プールにいただけでどうしてこんなに眠くなるのだろうと素朴な疑問に共感しあい、濡れた髪をバスタオルで拭きながら校舎へと歩いていく。

「あのさ、玉子焼きだけくれないかな」

「いつもそうやって訊いてくるけど、ふみちゃん家のお弁当なんだから当たり前じゃん」

「なんでだろう。誰かが食べてる姿を隣で見てるとさ、無性につまみたくなっちゃうのよ」

「素直じゃないねー」

 ふみちゃんは玉子焼きを口に放り込む。
 空を見上げてうみちゃんが笑っていた。

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