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日本になくなったもの、取り戻すヒント。YoshilogLive vol.7 でまとまって降ってきたもの

電車の中で目が釘付けになったほんの10分ぐらいの記憶。向かいに座った白髪で美しいメイクとファッションの女性を思い出した7/8の #Yoshiloglive

思えばあの70代位の日本人女性の佇まいが「エレガント」だったからだと思う。ヨーロッパではなく東京都内の電車だった。

ある分野のヨーロッパデザインを学ぶ前から、ファッションのエッセイなどでは特別に語られるのを目にしていたこの言葉、この日とてもしっくり腑に落ちてきた。

憧れすぎて未だ行けない国イタリアの、デザイナー界のお話を 今回@hiroshimilano さんから伺った vol.7となる @Yoshiloglive は、私がTwitterで知った@yoshilogさんが現在モデレーターをされて、世界中からプレゼンテーターを招待してさまざまなお話を聞けるzoomミーティング。詳しくは Yoshilog さんのnote を実際にご覧いただければと思います。

やっぱり本場イタリアで長くデザイナーをされている方の言葉の力はすごい。リラックスした雰囲気の中でさらっとごく普通に語られた「エレガンス」という言葉は、他の分野でもここぞという場面で特別な存在感を持って出てくる。

ono hiroshi
ミラノ在住デザイナー / ブロガー / I ♥
INTER / ふるいちのぶっかけうどん / Facebook: http://on.fb.me/el7TT5 / @happydesignsas
/ Instagram: https://instagram.com/hiroshimilano/

この日、この言葉と同時に語られた中で心に残ったのは、ヨーロッパの特にイタリア人が持つ「誇り」だった。

ルネッサンスの時代からの「誇り」をリアルに持って今も生きているということ。お話を伺っているうちに、ふと、日本にも似たようなものがあったけど、戦後になくなったなと感じた。

その似ているものは、エレガンスそのものとは違うように感じるけれど、とても近い質のなにかを持っている。ある種の「誇り」と「哲学」が共通していると思った。

「哲学」は 実は約1カ月前の Yoshiloglive の vol.4 でキーワードとして出てきた言葉で、この時も毎回すがすがしく強烈なインパクトがあるzoomliveの中でも、非常に印象的な言葉だった。

そのvol.4に参加した頃、私はコロナウイルスの自粛のもと今後の仕事を考える中で、自分の弱みはリーダーシップのなさだと感じていた。仕事では必要になるものの1つだと思うけれど、いまだにそれがないなら別の面を活かすしかない、とある意味永遠に手に入らないものかのように、諦めとともに切り捨てようとして自分に言い聞かせていたタイミングだった。

その回ではリーダーとマネージャーは明確に異なる、という興味深い話があり、どちらも伸ばすトレーニングを受けるという話を羨ましくきき、より重要になってくる資質はリーダーとしての能力だろうという私があまり知らなかった考え方に触れて、いろいろなものが新しくみえてきた回だった。

その時に強く印象に残ったのは、リーダーにはいくつかタイプがあるが、おそらくリーダーとして一番強い力を持つのは「哲学」ではないか、という感覚だった。

哲学は長い時間をかけて、さまざまな分野のあらゆる視点から問い直されつづけ、数多くの間違いや紆余曲折を経てできあがるから、文化や時、価値観を超えて伝わる力があり、そうしてできる哲学がリーダーシップの本質的な力なら、自分にはないと切り捨てる必要はない、という意外な発見だった。

時間をかけて失敗を繰り返すのを前提に自分で問い続けることで、ある程度身につく可能性があるという、思いもしなかった方向から希望が見えた気がした。


そうやってリーダーシップというテーマを通して1カ月ほど前に発見した「哲学」が、今回は「エレガンス」の奥に透けて姿を表した。不思議と繋がっている。

日本人も以前は持っていたこの言葉に近い何かは、なぜ今、自分にも周りにも感じられないんだろう。前はあったという感覚があるだけに、今ないことが急にとても違和感のあることに思えた。

ごく自然に感じることとして、いまの日本人は本当の「誇り」が失われてしまっているという感覚がある。「哲学」のほうはまだところどころに残っているけれど、文化や時を超える力のある「誇り」は、今の日本には本当に微塵も残っていないように感じる。

他の文化の前にどうどうと出ることなく、日本国内だけで振りかざす「誇り風」のものではなくて、もし言葉が通じなくてもどこにいても堂々と存在を支えるような、本当に芯のある「誇り」。

日本人として長く海外にいる方々、海外在住の方々の話を聞き、世界中から参加して意見を自由に共有し合える #YoshilogLive に参加し続けているのは、リアルに知っているのは日本国内だけの私が持っていない、でもかつてあったはずの「誇り」を探して、自分や周りにとりもどしたいと思っているからだと気づいた。

特に一時期ヨーロッパデザインだけを追いかけ続けた時期のある自分には、桁違いの引力とインパクトがあった Elegante という言葉。その言葉というか信念がもつ力は「誇り」と「哲学」からきているようだというインスピレーション。たぶん、まったく意図せず、ごく自然に話されていた @hiroshimilano さん。

興味深いのは、ゆっくりと時間をとって言葉を探す@hiroshimilano さんの様子に、同じ印象を持つ人が多かったこと。私なりに表現するなら、感覚に合う言葉を充分に時間をかけて探す、その自然な様子は、デザインするというのはこういうことかと実感されられた。

デザインというのは、その中にたっぷり「時間」が入っている。何百年と残るデザインと、何千年と残る芸術の中で日常を過ごし、デザインと向かい合うと言うのは、私が普段感じるデザインのなかにある時間のスケールとは桁がちがう。そういうことなんだ。

@yoshilog さんもそうだが、専門家がごくごく普通のこととして語る言葉には、とてつもないパワーがある。コロナウイルスのお蔭で、こんな機会を頂けるとはなんて幸運なんだろうと思う。

自分自身の力で日本の外に自分の新しいベースを作られて、時間をかけて手にされた外からの視点で、むこうの「誇り」の話を日本という共通の背景がある私たちに、ごく自然に話して下さるのを聞きながら、遊び、余白、思いやり、共感、戦い、挫折、長い保留、諦め、気づき、希望、ありとあらゆるものを通った上で醸成されるのが「エレガンス」というものなんだな、とふとリアルに感じられた。

エレガンスにちかいもの、それを醸し出す誇りと哲学、その2つは日本にないわけではない。日本の外でも通用する視野と誇り、エレガンスに似た何かを取り戻したいし、その方法はあるし、最初から答えがあるのではなく体当たりで見つけていくものだという確信。

これもまた以前のvol.4で受け取った重要なヒントが、今回結びついて「エレガンス」の一部に吸収されて昇華したんだけど、また別の機会に書こう。

そもそも、日本の状況がほんとうに壊滅的に希望が見えない、と思って昨年から本格的にさまざまな分野の情報を調べ始めた中で、さらにコロナウイルスによる世界的な変化が重なり、そんな中で求めていた力強いヒントを毎回、受け取れる、見つけることができるという奇跡的すぎる YoshilogLive という機会。

何回も参加させて頂いた中で、これだけのことが具体的になってきたことはあまりに大きい。まとまらないけれど新鮮な感覚のうちにnoteに記録しておこうと思って綴ってみた。

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これを読んで下さった人と、YoshilogLive に一緒に参加できたら楽しそうだな、と思い描いているんですが、ひとつだけ最後に。

もちろん状況として場を作って下さった中に参加させて頂くのだけど、日本式にお膳立てされた中でただ座って受け取る形式をイメージしてるととてももったいなくて、参加者という名のパネリスト、その場を一緒にいい時間にするひとりとして参加するという感覚に近いほうが、たぶん最大の体験になると私は感じています。

そして、人によって受けとるものは違って、私と全く違うものを見つけられるでしょう。

つたない文で伝わりきらないと思うけれど、少しでも興味を持たれたら、ぜひ Yoshilog さんのnoteを読んでみて下さい。場を提供してくださる機会にのっかりっぱなしで恐縮なんですが、いつも素晴らしい時間を頂いている感謝を込めて、最後になりますがプロフィールとリンクを掲載させて頂きます。

よしログ
元連合国 (United Nations) の敵国職員。 日米英の教育機関で放蕩した。P2からD1まで連合国で26年働いた。仕事のほとんどは戦場だった。難民保護、人道支援、平和維持活動、対テロ対策、名大助教授を経て、ブロックチェーン顧問。 2019年6月30日、連合国を退職した。

かなりつれづれのまとまらない記事ですが、最後まで読んで下さってありがとうございました。





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