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銀河フェニックス物語【少年編】第七話 初恋は夢とともに(まとめ読み版)

密航者であるレイターの教育係となったアーサーだったが、次第にライバル意識を持つようになっていた。
銀河フェニックス物語 総目次
<少年編>第六話「一に練習、二に訓練」
<少年編>のマガジン

 戦艦アレクサンドリア号、通称アレックのふね
 銀河連邦軍のどの艦隊にも所属しないこのふねは、要請があれば前線のどこへでも出かけていく。いわゆる遊軍。お呼びがかからない時には、ゆるゆると領空内をパトロールしていた。


「どんな女が好みなんだ?」
 夕食の後の自由時間、食堂脇のスペースに残った隊員たちがくつろぎながら談笑している。

 僕はその輪には加わらず、読みかけの古語辞典を読んでいた。

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 一つ離れたテーブルでは好きな芸能人や女性のタイプの話で盛り上がり、レイターが楽しそうに会話の中に加わっている。聞くとはなしにその声が聞こえてくる。
 僕がそうした輪の中に加わることはほとんどない。避けているわけではないが、年齢は下だが階級は上という僕と喜んで会話をしたいという人もいないからだ。

 レイターと僕は同じ十二歳だが、立場が違う。彼は食堂のアルバイトで隊員たちからかわいがられている。

「俺はジュリエッタみたいな女がいいな」

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 声変わりもしていない声で女性について話す様子は微笑ましいというか何と言うか、隊員たちの笑いを誘っている。

「誰だそりゃ、学校のクラスメートか?」
「知らないのかよ。ジュリエッタ・ローズだよ」
 レイターが言った。

「ジュリエッタ・ローズだとぉ」
 隊員たちは吹き出した。
「ませガキが面白いこと言うなぁ」
「ガキじゃねぇよ」
 レイターが口をとがらせた。

 ジュリエッタ・ローズ。みんなが笑うのも納得する。

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 秘密クラブの最高級娼婦。
 ジュリエッタ・ローズの存在は都市伝説のたぐいとされている。

 美しい肖像画と、一晩過ごせば天国へ行けるという噂が巷に溢れている。写真や動画は情報ネットにも出回っていない。
 彼女を手に入れるのに必要なのは金ではないとか、一時間一千万リルという怪しい相場感など、嘘か実かわからない情報が、神秘的なイメージをさらに押し上げている。

「実在しているかどうかも怪しい話だろ」
「ジュリエッタはいるさ!」
 レイターが興奮しながら反論した。
 僕は知っている。彼女は実在している。

 会ったことはないが、将軍家の独自情報ルートに時々彼女の名が登場する。政治家だったり、経済人だったり、要となる人物の裏の動向に絡んでくる。かなりディープな存在だ。

「ジュリエッタはきれいだし、色っぽいし」
 レイターが力説する。
「そうかそうか」
「頭が良くて優くて、銀河一いい女なんだ」
「ハハハ、まるで知り合いみたいだな」
 みんなが大笑いした。

「笑うな!」

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 レイターが顔を真っ赤にしてむきになればなるほどみんなは笑った。
「健全な青少年は、握手できるアイドルぐらいにしとけよ」

 その時僕は思い出した。ジュリエッタ・ローズが所属している秘密クラブの経営にはグレゴリー一家が関わっていたはずだ。
 レイターが居候していたというマフィア。

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「ところで、アーサー。あんたはどういう女が好みなんだよ?」
 いきなりレイターが僕に話を振った。その場が静まり、全員の視線が僕に集まった。
 突然のことに僕は
「特段ない」
 と咄嗟とっさに答えた。

 女性に興味が無いわけではない。だが、尊敬できる人物、という答えは彼らが求めている女性の好みの回答とずれているだろう。

「ふう~ん」
 レイターが軽く反応した。
 誰かが小さな声で
「お坊ちゃんのことは構うな」
 と言うのが聞こえた。『将軍家の坊ちゃん』とみんなが影で呼んでいるのは知っている。本当のことだから気にしていない。

 僕が辞書に目を落とすと、僕をはずした形で再び話の輪ができあがった。

 部屋へ戻るとレイターが僕にたずねた。
「なあ、あんた女に興味ねぇの?」

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「そんなことはない。尊敬できる人物であれば」
「へぇ、面白れぇ」
 馬鹿にされたような気がして少しむっとした。さっき答えなかったのは正解だったと思った瞬間、彼は意外なことを口にした。

「ジュリエッタと同じことを言う」
 ジュリエッタ・ローズのことか。

「尊敬できるような男になったら、ちゃんと俺と恋愛してくれるって言ったんだ」

 僕は気になっていたことを確認した。
「君は秘密クラブに出入りしていたのかい?」

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「ああ、姐さんたちにはベッドでかわいがってもらってたぜ。俺の手は柔らかくて気持ちいいらしい。船の操縦と同じくらい繊細に扱わねぇと悦んでもらえねぇからな」
 レイターがニヤリと笑った。僕は自分が軽い羨望を感じたことに驚いた。

「ジュリエッタ・ローズともそこで知り合ったわけか?」
「俺の初めての女なんだ。あんたも、ジュリエッタに興味あんの?」
「彼女の動向は政治をも動かす」
「流石、ハイクラスの坊ちゃんは言うことが違うな。そっか、あんたは金もあるし、ジュリエッタの相手としてダグが許すかも知れねぇな」
「そんなつもりで聞いた訳じゃない」

 冷静に反応したつもりだが、声が微妙に裏返った。

「あんたも知ってる通り、ジュリエッタはダグの商品で、正真正銘『銀河一』の女さ」

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「銀河一の女性、という表現はよくわからないな。あいまいで主観的な基準じゃないか」
 レイターは少し考えてから、饒舌にしゃべり始めた。
「……そうだな。銀河一稼ぐ女って言えばいいのかな。それだけ金を払ってでも手に入れたい、いい女なんだよ。楽園で過ごしてるようで、いつまでも一緒にいたい、って思わせる。麻薬みたいなんだ。ジュリエッタは隠れた努力家でさ、銀河一になりたかったら力を尽くしなさい、ってのが口癖だった。俺が『銀河一の操縦士』になったら尊敬してくれるっつってたけど、今頃、俺のこと死んだと思ってるんだろうな……俺の後を追わなきゃいいけど」

 レイターの後を追う? ジュリエッタ・ローズが? 
 ほかの隊員たちが聞いたら面白い冗談だと大笑いするところだ。当のレイターは遠い目をして宇宙空間を見つめながらつぶやいた。

「ジュリエッタは言ってた。恋の始まりに理由はねぇ。恋の終わりに理由はあるってな」

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 妙に大人びた表情だった。
 レイターにとってジュリエッタ・ローズが銀河一の女性だということはよく伝わってきた。

「おいおい、レイター大変だぞ。これ見てみろ」
 いつもの食後の休み時間、隊員の一人がレイターにニュースタブレットを見せた。
「えっ……ジュリエッタが!」
 記事を見たレイターは文字通り凍りついた。

「おい、どうした?」
 人が集まってきた。僕もそっと紛れて近づいた。

 レイターが食い入るように読んでいる新聞に、小さな記事が載っていた。
『ジュリエッタ・ローズ自殺か?』
 ジュリエッタの遺体が鍵のかかった自宅の寝室で発見された。睡眠薬の飲み過ぎが原因と見られる。遺書はなく警察は事故と自殺の両面で捜査している。

 僕は驚いた。レイターの後を追ったというわけじゃないだろうが……

「ジュリエッタ・ローズは実在してのか」
 隊員たちがびっくりしていた。
「殺されたのか?」
「いや、事件性はなさそうだぞ」

 レイターの様子がおかしい。
 身体が硬直し、大きな目から涙がぼろぼろと零れ落ちている。ショックを受けているのは誰の目にも明らかだ。

「おいおい、大丈夫か?」
「そんなに落ち込むなよ。元々、夢だぜ」
「現実にはもっといい女性がいっぱいいるぞ」
 集まった隊員がなぐさめの声をかける。

 みんなは知らない。レイターにとってジュリエッタは単なるあこがれではなく実体を伴った恋愛対象者だったことを。

 その時、
「おい、レイター、洗い物手伝ってくれ」

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 料理長のザブリートさんの声が聞こえた。
「あ、ああ」
 レイターはふらりと立ち上がるとそのまま厨房へと入っていった。   

「大丈夫かあいつ。本気で憧れてたんだな」
「まだ子供だからな、本物の恋をこれから知るだろうさ」
 隊員たちの気遣う声を聞きながら、僕は食堂を出た。 

 レイターは見た目が幼いから恋愛とは無縁に見える。だが、実は精神的にはかなり早熟だ。早くに親を亡くし、マフィアと関係を持ったことが影響しているのだろう。 

 *

 まただ。
 僕はベッドの上の段から聞こえるうめき声で目を覚ました。このところ毎晩、レイターがうなされている。ジュリエッタ・ローズの死を知った日を境に。

 彼がジュリエッタに好意以上の恋愛感情を寄せていたことはわかっている。彼女の死による喪失感が大きいのだろう。
 それにしても……

「や、やめろぉ!」
 寝言とは思えない大声で叫んでいる。かなり強烈な悪夢を見ているようだ。これでは僕が寝られない。

 僕は二段ベッドの階段に足をかけ、レイターのベッドをのぞきこんだ。
「おい、大丈夫か?」

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 彼を揺り起こす。ひどい汗だ。脈も乱れている。

 普通の状態じゃない。レイターが目を覚ました。
「あ、ああ、あんたが助けてくれたのか」
 助ける? 僕は何もしていない。珍しいことに、彼の瞳に怯えた色が見えた。
「君は、毎晩うなされている」
「ああ、嫌な夢を見るんだ」

 昼間の彼はまったく普通だ。ジュリエッタのことなどまるで何もなかったかのようだ。だが、眠りにつくと何かに取り付かれたように悪夢を見ている。

 身体が小刻みに震え歯の根があっていない。
「大丈夫か? いつも同じ夢を見るのかい?」
「ああ」

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「どんな夢を見るんだい?」
「真っ赤な夢」
「真っ赤な夢? もう少し具体的に話せるか?」
 レイターが苦しそうにゆっくりと口にした。

「血で溺れ死ぬんだ。ダグに殺されて……」
『裏社会の帝王』ダグ・グレゴリーか。ジュリエッタの夢ではなくダグの夢、繋がっているといえば繋がっているが。
「ここ最近、見なかったのに……」

 レイターはダグ・グレゴリーに命を狙われ、十億リルの懸賞金が懸けられていた。

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 銀河中のマフィアがレイターの首を求めて追いかけ回した。街は銃弾が飛び交い戦地のような状況だったという。
 『帰還兵症候群』という言葉が頭に浮かんだ。激戦地で命の危険にさらされた兵士が起こす睡眠障害などの精神疾患。心的ストレス傷害のPTSDが発症しても不思議じゃない。
 だが、それとジュリエッタの死の間にどんな関係があるのだろう。

 レイターは体を起こすとどこからか煙草を取り出し火をつけた。
 前時代的な煙草の煙は嫌いだし副流煙は有害だ。いつもは止めるがきょうは黙認した。僕はたずねた。
「ジュリエッタが亡くなってからだろ。君が悪夢を見る様になったのは?」
 彼はうなづいた。
「ジュリエッタとダグと君の間に関係があるということか?」

 レイターはむせもせず、慣れた様子で煙草の煙を吸い込んだ。僕は煙草を吸ったことがない。そもそも、連邦法では十八歳まで喫煙は禁止されている。

 マグカップに灰を落とすと、ふぅと煙を吐きながらレイターは話し始めた。その仕草は十二歳には見えなかった。

「ジュリエッタはダグのことを尊敬していた。つまり愛していたんだ」
 裏社会の帝王と秘密クラブの最高級娼婦の情事。レイターは自分の想いが報われない恋だと知っていたということだ。 

「だけどダグは商品には手を出さねぇ。だからジュリエッタは銀河一の商品であることに嫌になって、一人の女になりたがっていた。足抜けしたかったんだ。でも、無理だ。あんたも知ってると思うけど、ジュリエッタの稼ぎはすごいし、ジュリエッタは裏も表もありとあらゆる秘密を知り過ぎてた」

 レイターが吐きだした煙がゆらゆらと流れていく。 

「ジュリエッタはあそこから逃げ出したがってた。ダグの傍でこの仕事を続けるのが嫌だ、って俺の胸で子どものように泣いた。俺があの家を出るって宣言した時、ジュリエッタは言った。『ぼんが逃げられたら私も逃げられる』って……」

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 レイターはそこで言葉を切った。
 ジュリエッタ・ローズにとって、レイターは心を許していた数少ない人間だったのだろう。

 レイターが逃げ仰せたことをジュリエッタは知らない。
「ジュリエッタに俺が生きてる、って伝えられていたら、あいつ死ななかったかもしれない。俺がもっと大人で、もっと強ければ、あいつを救えたのに。俺があいつに尊敬される男になっていれば、ジュリエッタは……」
 レイターの声が後悔に震えていた。目に涙が浮かんでいる。
 

「ちっ、煙が目にしみた」
 彼はたばこの火を消した。

 ジュリエッタがレイターの後を追ったかどうかはわからない。
 ただ、彼女が逃げる先として選んだのが死だったとは言えるのだろう。

 それにしても、レイターはどれほど深くグレゴリー一家と関わっているのだろうか。 
「眠れそうか?」
 僕の問いにレイターは首を横に振った。仕方が無い。僕は睡眠導入剤を彼に手渡した。
 薬を飲んで横になると彼はすぐに眠りに落ちた。


「なあ、頼みがある」
 翌日の就寝時、珍しいことに彼が私に頭を下げた。睡眠導入剤を欲しいという。
「きのうは久しぶりによく眠れたんだ」
「ダメだ。薬に依存するようになる」
 僕は断った。
「ちっ、ケチ」
 レイターは舌打ちをした。

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「ま、いいや、ザブんとこから酒くすねてこ」

 薬が手に入らなければ酒か。彼が部屋を出ようとするのを僕は止めた。
「何だよ」
 不満げな顔で彼は僕をにらんだ。どうしたものだろう、彼がうなされるとうるさくて僕も寝付けない。自身の体調を整えておくことも任務の一環だ。

「君、根本的に治療する気があるかい?」
「あん? 治療?」
 彼には自分が病気だという自覚がない。
「おそらく君は外的ストレス障害という病気だ。ダグに命を狙われた経験が原因で、不眠症になっている」
 レイターは神妙な表情で僕を見た。
「ふ~ん。じゃあ、とっとと薬出してくれよ」
「薬は対処療法でしかない」
「どうすりゃいいんだよ」
「すべてを僕に話すことができるかい?」
「あんたに? 何を?」
「ダグとの関係すべてだ」
「何であんたに話さなきゃなんねぇんだよ」
「根本治療に必要だからだ」
「……」

 彼は頭は悪くない。今の状況を分析している。

「大体はあんたに話したし、あんたもわかってるじゃん。ダグに十億リルを懸けられたせいで、マフィアに命を狙われて、命からがら逃げ回り、このふねに密航した」
「どうしてダグは君に十億リルを懸けたんだ?」

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 レイターは注意深げに僕を見た。マフィアとの関係は彼にとっては命に関わる話だ。知られて都合の悪い内容もあるのだろう。僕に伝えるべきか、考えている。

「ま、いっか。あんたは、おしゃべりする友人もいなさそうだから口も固そうだ」
 どこまでも失礼な奴だ。
「どこから話せばいい?」
 彼の話は興味深い物だった。 

「俺のお袋は俺が九つン時に肺炎で、あっという間に死んじまった。もともと貧乏だったが、とにかく俺は食うに困ったんだ」
「食うに困る? 純正地球人なのに」

「お袋は病院にも行けなかった」
「福祉支援地域か……」

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 基本的に純正地球人は裕福だ。
 宇宙へ出る必要のなかった人たち。我がトライムス家も本家は地球に残っている。
 一方で、地球には宇宙に出ることすらできなかった一部の人たちが、福祉支援地域に暮らしていた。

「貧乏人地域だろ」
 レイターが自虐的に笑った。

「預けられた施設じゃほとんど飯を食わせてもらえなくてさ。給食の無い日は地獄だったぜ。けど、近くにダグんちがあって、いくらでも飯を出してくれたんだ。俺の命の恩人なんだよ」

 話がよく見えない。
「君は前にグレゴリー一家に居候していたと言っていたが、『裏社会の帝王』は慈善事業でもしていたのかい?」

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「ダグには俺と同じ年の息子がいたんだ。そいつは、七つん時にダグの妻と一緒に抗争で殺されちまってさ。だから、ダグにとって俺はちょうど息子の代わりみてぇなもんだったんだろな。船の操縦でも銃の扱いでもやりたいと言えば何でもやらせてくれた」
 それで船も銃も扱えるのか。
「俺の親父は俺が生まれる前に死んだから、俺は父親ってモノを知らねぇが、マフィアのファミリーは疑似家族だからな。俺はダグを本当の親父みたいに思って慕ってた。そのうちに、ダグは俺を養子にしたいって言いだしたんだ」
 少なからず僕は驚いた。

「それは、君をグレゴリー一家の跡継ぎにするということかい?」
「あんたは頭がいいから話が早くて助かるよ」

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 ダグ・グレゴリーの跡を継ぐということ、それは、すなわち『裏社会の帝王』の跡を継ぐということだ。
 レイターに感じていた謎が解けていく。
 ただの十二歳じゃないと思っていた。彼はありとあらゆる裏社会の帝王学をダグから受けていたのか。

「跡を継げと言われて、君はファミリーから抜け出した」
「そりゃそうさ。俺は『銀河一の操縦士』になるのが夢なんだ。マフィアとつながってたらS1に乗れねぇんだぜ。裏社会になんかいられねぇよ」
 ダグ・グレゴリーはレイターにマフィアの英才教育をほどこしたが、裏社会で生きていく、というマインドだけは教え込めなかったいうことだ。

「それで君を裏社会に引き戻すために十億リルが動いた。でも変じゃないか、君に後を継がせたいのなら、なぜ君の殺害命令が出るんだ?」

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「俺が知るかよ。ただ、ダグに逆らったら生きていられねぇ。それが掟だ」
 レイターが苦しそうな表情を見せた。

「俺はダグを裏切ったんだ」

 ダグに逆らったら生きていられない。
 そしてまたジュリエッタも死を選んだ。
 二つが繋がっていく。

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 レイターの中に深く刻まれた裏社会の呪縛が、ダグに殺される夢を見せている。

「真っ赤な夢、というのは具体的にどんな夢なんだい?」
 レイターが顔をしかめて黙った。話すのが辛そうだ。これ以上追及するのは止めた方がいいかも知れない。と思った時、口を開いた。

「あんた『緋の回状』知ってるだろ」
 僕はうなづいた。グレゴリー一家を調べたらすぐに出てきた。『緋の回状』はダグ・グレゴリーがマフィアに発する命令のことだ。直近ではレイターを殺害するように『緋の回状』が出された。
 緋色は鮮やかな赤色だ。夢の色とつながる。

「俺、『緋の回状』の公開処刑の手伝いをしてたんだ」

 マフィアが見せしめのために公開処刑を行うという報告書を読んだことがある。恐怖と興奮で服従させるためのシステム。
「手伝いとは?」 
 レイターの言葉が止まる。躊躇しながら口にした。
「ボタンを、押すんだ……マフィアが集まった処刑場の観覧席で」

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「処刑の?」
 彼は苦しそうな表情で答えた。
「……そう。裏切者には一番嫌がる死に方をプレゼントする」
 おそらくこれは、ダグ・グレゴリーの受け売りの表現なのだろう。

「オーソドックスなのはボタンを押すと連射銃が発射される奴。血を噴いて骨までぐちゃぐちゃなミンチになるんだ。やりたくてやる訳じゃねぇよ。ダグがやれ、って言うから押すだけで」
 
「断れないのか」
「……」
 レイターは答えなかった。その目に怯えた表情がみえた。断れるものなら断っているだろう。銃殺の執行人。これはもはや手伝いではない。
「これまでに何人の処刑を手伝ったんだ?」
「……数えてねぇ」
 その答えからわかる。一人や二人ではないことが。
 慣れは感覚を麻痺させていく。人を殺すことへのハードルを下げるための教育。

「夢ん中で俺は、その公開処刑場に立たされてんだ。回転式連射銃が俺の目の前にある。観覧席にはダグともう一人の俺が座ってる。ダグは言うんだ『やれ』って。俺は『やめろ!』って俺に向かって叫ぶけど、もう一人の俺は俺を冷たく見ながらボタンを押す。目の前が真っ赤に染まる。俺は血の海に引きずり込まれて息ができなくなる。溺れ死ぬんだ」
 レイターの様子がおかしい。

 体が震えだした。極度のストレスによる過呼吸だ。パニックを起こしている。僕はレイターの身体を支えて叫んだ。

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「ゆっくり息を吐くんだ! このふねは安全だ。ダグは来ない」
 医学書で読んだことを思い出す。レイターの呼吸に合わせて背中をゆっくりとさすりながら腹式呼吸をうながす。

 レイターはダグを怖がり恐れている。これは虐待の域だ。相当な心理的圧迫を受けていたことが想像できる。
 だが、その前に何と言っていたか、ダグは命の恩人で「親父みたいに思って慕っていた」と。

 人殺しを断れないのは恐怖からだけじゃない。
 レイターにとってダグは父親という存在だ。断ったらダグから捨てられる。認められたいという承認欲求による服従。
 それと殺害に対する罪悪感のはざまで彼は苦しんで来たのではないだろか。

 レイターはその呪縛を振り切ったが、今度は命を狙われる側になった。
 『緋の回状』の怖さを彼は誰よりも知っている。恐怖が引き起こす悪夢障害。原因は大体把握できた。次は対処法を考えなくては。

「ダグは君が生きていることを知らない」
「そうさ」
「だから、君が狙われることはない」

 レイターの震えが止まり落ち着いてきた。

「ああ、わかってる。だから、ここしばらくはダグの夢なんて見なかった」
「だが、ジュリエッタ・ローズの死が引き金を引いた」

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「ってことのようだ」
 愛しい人の死が見せたのは、ダグに逆らったら死ぬという暗示。
 ダグという男は、レイターが裏社会から逃れられないよう巧妙にトリガーを仕掛けたのだ。
 庇護者による愛情と恐怖の支配。この呪縛は簡単に消せるものではない。

 レイターが深い息を吐いた。
「ほんと、このふねは天国だよ」
 アレクサンドリア号は戦艦だ。子どもが生活するのにいい環境ではない。死に対する感覚がおかしくなっているレイターにとっては特にだ。だが、彼をかくまうという意味でここほど安全な場所はない。

 僕は一つの提案をした。

「今度、君が悪夢を見たら夢の中に僕を登場させてみてくれ」
「夢に、あんたを?」
「僕は将軍家だ。マフィアより力を持っている。処刑場から君を救い出すことができる」
 悪夢を上書きできれば救いがある。真面目に伝えているのにレイターは噴き出して笑った。
「やっぱあんたって面白い奴だな」
「僕は自分が面白い人間だという自覚はない」
「だから面白れぇっつってんだよ。あんたの冗談のおかげで気持ちが軽くなったぜ」

 彼が一人で抱えるには荷が重すぎる。僕は薬を差し出した。
「あん?」
「眠れなかったら半分だけ飲んでいい」
「ありがてぇ、けど、何となくきょうはこのまま眠れそうだ。これまで他人に言ったことのねぇ話、口に出したら落ち着いてきた。王様の耳はロバの耳~ってな」
「それは良かった。君が眠れないとうるさくて僕も困るんだ」
 レイターが僕をにらんだ。

「あんた! 随分親切だと思ったら、もしかして自分のためかよ?」
 その問いに僕は答えなかった。     (おしまい) 第八話「ムーサの微笑み」へ続く

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