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銀河フェニックス物語 【恋愛編】  第六話 父の出張(まとめ読み版①)

 大手宇宙船メーカークロノス社に勤めるティリーはフリーランスの操縦士レイターとつきあうことになり、恋に仕事に忙しい毎日を送っていた。
銀河フェニックス物語 総目次
<恋愛編>第四話「お出かけは教習船で」 
<恋愛編>のマガジン

「ティリーさん、あんた後をつけられてるぞ」
 自宅に来るなり開口一番レイターが言った。

「え? どういうこと」
「あんたのこと嗅ぎまわってる奴がいる」

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「気持ち悪いこと言わないでよ」
 きょうの夜はレイターの友人ロッキーさんと、三人で食事をしようと約束している。

 レイターが家まで迎えにきてくれたのだけれど。
「とにかく、表へ出るぜ」


 レイターと並んでエントランスから外へ出た。ピリピリしているのが伝わってくる。
「気にいらねぇ、様子をうかがってやがる」
「ほんとなの?」

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 わたしには全くわからない。

「俺はプロだぜ、引っつかまえてやる。いいか、そこの角、曲がったら走るからな」
 レイターが、わたしの手を引いて小道に入り込む。全速力で走る。
 すぐに曲がって曲がって、もとの大通りに出る。

 わたしたちが曲がった角に、スーツ姿の男性の人影があった。あ、あれは……
「あんた、誰、探してんだよ?」
 レイターが襟をつかんで締めあげた。

「き、貴様こそ、何者だ?! 許せん」
「あん? 何が許せんだ、それはこっちの台詞だ」
「パパっ!!」
 わたしは大きな声で呼んだ。

「パパ?」
 レイターが驚いた顔をして手を離す。
「ティリー! 何なんだこいつは! 出張帰りに寄ってみれば」

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 パパが真っ赤な顔をして怒鳴った。

「落ち着いて、彼はわたしの彼氏なの」
「か、彼氏だと! おまえ、こんな奴とつきあってるのか?」
「こんな奴で悪かったな」
「暴力を振るうのは最低だ」
「まだ、殴ってねぇだろが」
 わたしはあわてて二人の間に入った。
「パパ、ちゃんと紹介するわ。彼は操縦士でボディーガードのレイター・フェニックスさん」
 ばつが悪そうにレイターが軽く会釈した。
「どうも、銀河一の操縦士です」
 まずい、第一印象が最悪だ。

「ティリー、おまえ、社長さんとの話はどうなったんだ?」
「社長さん?」
「おまえの会社の社長さんとお付き合いしとると聞いていたのに」

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 パパが言う「社長」というのは、わたしの推し『無敗の貴公子』エース・ギリアムのことだ。私が勤めるクロノス社の社長で、前にわたしとの交際報道が出たことがある。と言ってもわたしの名前はでなかったから、パパたちには何も話していなかった。
 遠いアンタレスまで届いているはずがない、と思っていたのに。

「お前は、あの社長さんを追いかけて家を出て行ったじゃないか」 
 推しの会社で働きたいと、地元アンタレスの企業の内定を蹴り、パパとは喧嘩別れのような状態でソラ系まで出てきたのだ。
 といっても、そもそもエースとわたしはつきあっていない。これは説明がめんどくさい。

「とにかく、あの話は終わったの」
「それで、社長さんじゃなく、こんな奴とつきあってるということか?」「こんな奴とか言わないで。わたしはエースじゃなくて、この人とつきあうことにしたんだから」
「それは良かった」
 パパの反応に拍子抜けした。真面目でうるさい人だから、レイターのことを簡単に認めてくれるとは思ってなかった。

「およっ? 親父さん話がわかるじゃん」
「社長さんとつきあうとなると、住む世界が違うだろう。おまえがいろいろ苦労すると思ったんだが、あまりに条件が良すぎて、どう断っていいのか悩んでいたんだ。それに引き替え、こんな奴なら正面切って反対できるわい」

「こんな奴じゃなくて、銀河一の操縦士だっつうの」
 レイターが口を尖らせた。

「ん? 銀河一の操縦士だと! 思い出した」
「あん?」
「おまえ、スチュワートのところのレーサーだな」
「もう辞めたけどな」

「ティリー、おまえの宿敵じゃないか」
「しゅくてき?」
「無敗の貴公子と対決した、憎っくき対戦相手だろ。ティリーがS1でクロノス社を優勝させようと頑張っていたのに、こいつが邪魔をしおって

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「しょうがねぇだろが、レースなんだから」
「私はテレビの前でお前さえいなければ、とハラハラしておったんだ!」
「知るか!」
「もっともエース社長の前に破れ去ったがな」
 パパはレイターを見て勝ち誇ったように笑った。

「うるせえ親父さんだな、ったく」 

「レイター、もうこんな時間よ。パパ、悪いけどわたしたちきょう友人と食事の約束があるの。後で連絡するわ」
 パパが肩を落とした。
「そうか、おまえの予定も聞かずに突然来て悪かったな」
 レイターが仕方ないという表情でわたしに声をかけた。
「親父さんが一緒でも構わねぇぜ、どうせ相手はロッキーだ」
「いいの?」
「ああ」

 レイターが気を使ってくれるのがありがたい。
 せっかく立ち寄ってくれたパパを追い返すのは、わたしも忍びなかった。

* *

 お酒が飲めるカジュアルなレストランバルが待ち合わせの場所だ。予定より早く着いたロッキーは店内を見回した。ティリーさんはいつも五分前には姿を見せるのに、珍しくきょうはいない。
 案内された席について待っていると、不機嫌そうな顔をしたレイターが店に入ってきた。ティリーさんとレイターの間に見知らぬ年配の男性がいる。

「あれ? こちらは?」

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 立ち上がって俺がたずねると、ティリーさんが頭をさげた。
「わたしの父です。すいません、食事、一緒でもいいですか?」
「もちろんですよ」
 ネクタイをかっちり締めたスーツ姿の親父さんは、ティリーさんと同じ緑の髪と赤い瞳をしていた。いやあ、レイターとの仲がそこまで進展していたとはびっくりだ。

「初めまして、ロッキー・スコットです。アンタレスから出ていらしたんですか?」
「ええ」
 あいさつしながら握手をする。俺は普通の社会人だ、ちゃんとマナーはわかってる。
「長旅、お疲れでしたでしょう」
「出張のついでに時間があいたもので、突然おじゃまして申し訳ありませんな」
 真面目な雰囲気はいかにもティリーさんの親父さんだ。
「とんでもありません。ご一緒できてうれしいです」

 レイターの奴、柄にもなく緊張しているのか表情が固い。耳元で声をかけた。
「良かったな。親父さんと食事だなんて」
「ちっともよくねぇ」
「どうして?」
「話してみりゃ、すぐわかる」

 俺の向かいにレイターとティリーさんが並んで座り、俺の隣に親父さんが腰掛けた。食前酒とつまみのカナッペが運ばれてくる。

 レイターの言うことはすぐにわかった。
 親父さんは目の前のティリーさんに「仕事はどうだ?」とか話しかけているが、レイターと目を合わそうともしなかった。
 こいつ、何やったんだ?

 しょうがない、こういう時にできるだけレイターのことを誉めといてやるのが、友人ってもんだ。
「僕はレイターとはハイスクールの頃からの付き合いで、同級生だったんですよ」
「そうでしたか」
 親父さんは興味を持ったようだ。

「とにかく、こいつは学校でも人望があって、みんなから一目置かれていたんです」
「ほう」
「何せ、裏番張って……」 

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 テーブルの下でレイターが俺の足を蹴った。
「裏番?」
 ティリーさんの親父さんが聞き返す。
「あ、いやいや。不良グループも手が出せないってことです。こいつ、あの頃はチビでしたけど喧嘩が強くて」
 レイターが怖い顔で俺をにらみつけている。まずいな、この話は止めたほうがよさそうだ。

「何というか、レイターは統率力に秀でてましてね。ハイスクール中退してからも」
「中退?」
「えっと、バイトが忙しくなって、学校を途中で辞めたんです」
 レイターは伝説の宇宙船設計士の『老師』に弟子入りして退学した。間違ったことは言っていないのに、ティリーさんが心配そうに俺を見ている。

「とにかく、レイターはすごかったんですよ。その頃から『銀河一の操縦士』でしてね。免許はなくても、銀河中の飛ばし屋に負けたことがなくて」
 ほめているのに、またレイターに足を蹴られた。
「無免許の暴走族かね」
 親父さんがレイターを見る視線は冷たかった。 

* *

 ティリーは不安になってきた。ロッキーさんの話は嘘じゃない。だからフォローのしようがない。

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 隣のレイターは黙々と食べている。このお店の料理はおいしいと評判なのに、味わっている余裕がない。
 ロッキーさんは一生懸命に気まずい雰囲気を修正しようとしてくれている。その気持ちはありがたいのだけれど、これ以上オウンゴールはしないでほしい。

「いやあ、僕はハイスクールを卒業して地元の小さな映像制作会社に就職したんですけどね、こいつは大企業のクロノス社に入社しましたし」
「ほう、ティリーの先輩だったのかね」
「そうなのよ」
 一応我が社は一流企業だ。パパは公務員で安定的なことに価値を見出していて、わたしの就職もクロノスだから見逃してくれたということがある。

「何といってもレイターには将軍家がバックについてますから。就職にも困りませんよ」
 まずい、パパは軍隊を毛嫌いしているのだ。そのことをロッキーさんは知らない。パパが眉をひそめた。
「それは、将軍家のコネ入社ということかね?」
「コネで悪いか」
 聞こえるようにレイターがつぶやいた。
 わたしは知っている。コネ採用と言ってもレイターは優秀なのだ。一方でパパは不正とか癒着が大嫌いだ。

 パパとレイターの出会い頭にできた小さなひびは、ロッキーさんの援護射撃によってどんどん亀裂が広がっている。何とか取り繕わなくちゃ。

「レイターは営業マンとしても優れてたのよ。クロノスにいたころは、月間最高売り上げも記録していて、ね」
 レイターに同意を求めた。彼は無表情をくずさなかった。うなずくなり反応してほしい。いつもはおちゃらけたお調子者なのに、きょうはほとんど口を開かない。

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「では、なぜ君はクロノスを辞めたのかね?」
「……」
 パパの質問を無視してレイターはフライドチキンを口に入れた。

 レイターがクロノスを辞めた理由。社内の非公式レースでエースに勝ったことが原因だ。会社を騒がせたとしてテストパイロット部への出入りが禁止となり、彼は辞表を出した。

 沈黙を破ったのはロッキーさんだった。
「処分受けて、一年で辞めたんだよね」
「そんなことだろうと思ったよ」
 うなづくパパにあわててフォローを入れる。
「パパ、処分と言っても懲戒免職とかじゃないから」
 ロッキーさんが目を丸くした。
「え? そうだったんだ。会社、首になったんだと思ってたよ。あの頃、こいつ、飛ばし屋相手に怪しい副業やってたから」
「え? そうなの?」
 今度はわたしが驚いた。いや、驚くことじゃない。レイターなら十分あり得る。

 パパがロッキーさんに顔を向けた。
「ロッキー君、ガールフレンドはいないのかね?」
「レイターは昔から女の子にもてましたけどね、僕はさっぱりで」
「君はティリーのことをどう思うかね?」

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「いやあ、かわいくて素敵ですよ。レイターにはもったいない……」
 机の下でドンっと音がした。レイターがロッキーさんの足を蹴飛ばしたようだ。

「というか、うらやましいです」
 パパがまじめな顔でわたしを見た。
「ティリー、お前はロッキー君のことはどう思っている?」
「いい人よ」
「じゃあ、ロッキー君とつきあったらどうだ」

「は? パパ、何言ってるの」
「おまえは、まだ人を見る目ができていないんだ。危険な感じに憧れるのもわからんでもないが、こんな危なっかしい奴と一生生活できると思うか」
「一生ってパパ、考え過ぎよ」
「何だ、結婚する気はないのか」
 パパの言葉に少なからず動揺した。

 結婚、そこまで考えてない。だってまだつきあいだして間がないんだもの。でも、レイターはどういうつもりでいるんだろう。

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 ちらりとレイターの様子を見る。聞こえないふりをして、グラスのお酒をあおっていた。

 疲れる夕食だった。

 ホテルへ帰るパパとは店の前で別れた。まだ、三人で飲みなおすことのできる時間だ。わたしはレイターに謝った。
「ごめんね。パパが変なことばかり言って」
「ま、俺は昔から一般人の受けが悪りぃんだ」
 と肩をすくめた。
「そうだよな。親父さん、俺んの親の反応と似てたな」
「ったく、あんたが俺のこと、変な紹介するからだろが」
 レイターがロッキーさんの頭をパシっとはたいた。

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 いつもなら「やめなさい」とレイターを止めるところだけれど、きょうはロッキーさんの失言に振り回されて疲れていた。
「痛ってぇなあ。間違ったこと一つも言ってないぞ。そうだ、お前、業務用の顔をすればいいじゃん」
「あん?」
「偉いさんを警護する時は顔が変わるじゃん」

 確かにレイターは要人警護の時は背筋の伸びた『よそいきレイター』になっていて普段とはまるで違う。身のこなしから何から、とにかく別人のようにかっこいい。
 あのレイターなら、堅物なパパが許してくれそうな気がする。

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「親父さんの前で一生仕事の顔してろ、っつうのかあんたは」
 再度ロッキーさんの頭をはたいた。

 ドキン。今、レイターは「一生」って言った。深い意味はなく使ったと思うけれど、パパが使った「結婚」という二文字を思い出した。

「いいこと思いついた!」
 ロッキーさんが手を打った。
「おまえさあ、ティリーさんのお袋さんから攻略すればいいんじゃないか?」
「はあ?」
「だって、おまえ、女には業務用じゃなくても愛想がいいじゃん」

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「それってどうなのかしら?」
 本当のことだけにイラっとする。

「ティリーさんの親父さんが、レイターのことをとんでもない奴だ、ってお袋さんを洗脳する前に手を打った方がいいよ。ティリーさん、とりあえず、アンタレスの実家に通信を入れてみたらどうだい?」
「あんた、次から次へとよく思いつくな。で、ロッキーのお袋さんと同じように嫌われて終わりかよ」
「そうでもないぞ」
「あん?」
「お袋さあ、この前のS1、おまえのこと応援してたんだぜ」
「ど、どうしたんだよ。悪いもんでも食ったのか?」
 レイターがあわてている。
「だから、大丈夫だ。ティリーさんのお袋さんと話してみなよ」

 ロッキーさんが太鼓判を押す根拠はよくわからないけれど、確かにママに連絡をいれておいた方がいい気はする。彼氏ができたということも報告していないし、エース社長とつきあっていると思われていても困る。
「そうね、ママに連絡しよっかな」


* *

 ロッキーの奴をティリーさんの親父さんと同席させるんじゃなかった。俺の判断ミスだ。レイターは後悔していた。
 こいつは間が悪くて、一言多い。そのくせ、変なところで妙に鋭い。昔から、想定外の破壊力で俺の防御をことごとく粉砕しやがる。

 ティリーさんは、何だかんだ言って親父さんと会えたのを喜んでた。
 俺はその場を壊さないように、業務用の顔だって、愛想笑いだってできた。いつものようにおしゃべりと話術で、人の好い青年を演じることもできたんだ。彼氏としては、親父さんに気に入られるよう努力するのが正解だったんだろうな。

  なのに、身体が動かなかった。いや、動けなかった。
 親父さんが真剣だったからだ。娘が心配で心配で仕方なくて、ティリーさんの幸せを願う真剣さが十Gの重力並みに襲い掛かってきた。

 調子のいい俺の言葉に、この人は騙されない。
 親父さんの瞳には、ロッキーなら娘を幸せにできると映っていた。そうだよな、どんくさいところはあるが、俺と違ってロッキーは人殺しじゃねぇし、命を狙われることもねぇし、何よりいい奴だ。親父さんの目に狂いはねぇ。

 そのロッキーがまた訳のわかんねぇことを言い出した。ティリーさんの母親に連絡しろだと。
「そうね、ママに連絡しよっかな」
 つきあってらんねぇ。
「勝手にしろ。俺は帰る」

「お前、帰っちゃうの? じゃあ、代わりに俺がティリーさんのお袋さんと話しとくよ」
 俺は反射的に応えた。
「やめろ」
「なんで? 恋愛している当人より、第三者が褒めたほうが効果があるんだぜ」
 普通はそうだ。だが、きょう親父さんとうまくいかなかった元凶をあんたわかってんのか。

「もういい。俺が直接話すから、ロッキーは今日は帰れ」
 これ以上かき乱されたくねぇ。 

 ティリーさんが自宅の通信モニターをセットしている。勝手知ったるキッチンで俺は二人分のコーヒーを用意した。
 俺はこれまで命のかかった修羅場を何度も潜り抜けてきた。どんな不測の事態にも対処できるはずだ。

「あれ? 香りがいい」
「俺が淹れたんだ。当然だろ」
 かぐわしい匂いが気持ちを落ち着ける。物事はなるようにしかならねぇ。
 覚悟を決めて通信機の前でコーヒーを一口すすった。

 長距離通信の呼び出し音の後、モニターに優しそうなご婦人が映った。
「あら、ティリー、久しぶりね。パパに会った?」

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 初めて見るお袋さんはティリーさんに似ていた。髪の色も瞳の色も同じだ。だが、おっとりしていて雰囲気が違う。

「会ったわよ。パパったら、突然押し掛けてきたの」
 ティリーさんのちょっと勝気なしゃべり方は親父さんと似てるな。
「連絡してから行けば、って言ったんだけど、ティリーを驚かせたい、って楽しそうにしてたから……」

「あのね、ママ聞いて。わたし付き合ってる人がいるの」
「まあ、それはうれしい報告ね。でも、あわてて連絡してきたってことは、パパとうまくいかなかったってことかしら」
「そうなの……それで」

 ティリーさんがいきなり俺をカメラの前へと引っ張った。
「彼がわたしがおつき合いしている。レイター・フェニックスさんです」
「初めまして」 

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 カメラに向けて頭を下げた。とりあえず一般社会人モードだ。
「あら、あなたS1レーサーの」
「もう辞めましたが」
「パパが怒るはずだわ。『ティリーの敵だ!』って騒ぎながらこの前のS1中継を見ていたもの」
 楽し気なお袋さんの笑顔はティリーさんとそっくりだ。

「それでねママ、パパはレイターのこと『とんでもない奴』とか言ってママに報告すると思うの。でも、そんなことない……」
 ティリーさんは一瞬言葉を切って、俺の顔を見た。
「とは言い切れないけど」

「ティリーさん!」
 俺がちゃんとしてる、ってアピールする場じゃねぇのかよ。思わずコーヒーをこぼしそうになる。

「ママが心配するほどじゃないから」
 お袋さんはにっこりと微笑んだ。何ていうか安心感のある人だ。
「大丈夫よ。あのS1はすごかったわね。レースを見ている時から、私、パパに内緒でレイターさんのことも応援していたもの。だって、新人さんなのに、ものすごい操縦でびっくりしたわ」

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「そうだったの?」
 お袋さんが俺を応援していたと聞いて、ティリーさんがびっくりしている。安いブレンド豆のコーヒーがきょうは滅法旨い。操縦をほめられると俺は弱い。

「エース社長とレイターさんのどちらにも勝って欲しかったわ。だから安心して。ねぇティリー。今度、休みが取れたら、レイターさんと一緒に家に帰ってきなさいよ。本物の彼氏さんから、ぜひお話をうかがいたいわ」
「そうね、うん、わかった。じゃあ、また連絡するね」
 と、ティリーさんはあっさり通信を切った。いや、ちょっと待て。

「おい、ティリーさん。何が『うん、わかった』だよ」
「え?」
「俺に、あんたんちに行けってのか?」
「だめなの?」
「っつうか、家にはあの親父さんもいるんだろが」
「忘れてた。でも、何とかなるわよ。ママと話がついたし」
「はぁ?」
 今ので話がついたのか? ティリーさんはいつも俺の想定を踏み越える。母娘の関係はよくわかんねぇ。
 不安の種は消えねぇが、故郷へ帰ることがうれしくてたまらないといった様子の彼女を見ていると、それ以上言えなかった。

* *

 故郷のアンタレスへ向かうフェニックス号の居間で、ティリーは大きく伸びをした。
 レイターを家へ連れてくるようにママに言われてから一か月。仕事をやりくりして何とか休みが取れた。二日しかいられないけれど、今回の帰省で両親にレイターを彼氏として認めてもらうのがわたしのミッションだ。
 とにかく、ロッキーさんを反面教師として、レイターのいいところをアピールする。

 レイターはソファーに寝っ転がっていた。乗り気じゃないのが一目でわかる。

「これまでにアンタレスへ行ったことってある?」
「んにゃ、アンタレス星系に行くのは初めてだ」
「レイターでも行ったことのない場所があるのね」
「あそこは武器の規制がうるさくて、入管手続きが面倒なんだよな」
 急に不安に襲われた。この人は『厄病神』だ。

「もしかして、アンタレスに銃を持ち込む気なの?」

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 わたしの祖国では銃を所持するだけで罰せられる。
「違法なことはしねぇよ。一応届けは出しておいたんだ」
 この人はボディガード協会の3Aだ。申請すれば銃の所持に許可がでる。
「わたしの実家へ行くのに、銃なんていらないわよ」
「そうなんだけどさ」
 天井を見ながらレイターがゆっくり身体を起こした。煮え切らない反応に、考えたくないことが思い当たった。
「まさか、軍の仕事が入ったの?」
「って言うほど、大した話じゃねぇよ。子供の使いみてぇなもんだ。だから考えてる」
「……」
 特命諜報部が故郷で動いているということだ。緊張で身体が固まる。
「あんた、眉間にしわ寄せてると、顔が親父さんそっくりだぜ」
 レイターがわたしの額をつっついた。
「止めてよ。誰のせいよ」
「わかったわかった、船に置いてく。銃を持ってるところを親父さんに見つかったりしたら銃殺もんだからな」 
「言っておくけど、アンタレスに銃殺はないから」
 軽口で答えながらほっとした。

 子どもの頃から見慣れた赤い主星のアンタレスAと緑の伴星アンタレスBが近づいてきた。

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 銀河中心部のソラ星系の太陽と比べると、巨大なアンタレスAは赤く穏やかな光を放っている。
 わたしの故郷はアンタレスAの周りを十六年かけて公転する惑星アンタレスだ。わたしたちの祖先はこの星で誕生した。

 アンタレス人は二重星の二つの太陽を神様としてあがめている。精神的な支柱であるとともに、恒星から届く恵みの光と風をエネルギーに変換して暮らしていて、物理的になくてはならない存在なのだ。

 老成した星は生活も安定している。争いもないから軍隊もない。
 アリオロン同盟とソラ系銀河連邦の戦争が激化した三十年前。自衛する能力がないアンタレスは銀河連邦に加盟した。
 連邦軍の駐留が決まり、当時学生だった父は、反対運動に身を投じたという。


 久しぶりに故郷の土を踏む。ソラ系とは空気が違う。よく言えば落ち着いている。悪く言えば活気がない。
 住宅街にある小さな一軒家がわが家だ。星全体で格差が少なく、同級生たちは大体似たような家に住んでいる。

「ただいまぁ」
「お帰りなさい」
 ママが玄関に顔を出す。

 わたしの後ろに立っていたレイターが頭を下げた。
「初めまして、レイター・フェニックスです」

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 声がおちゃらけていない。
「あら、あなた。本物の方がかっこいいわね」
 ママがにっこりと微笑んだ。

「ありがとうございます」
 いつものレイターとも『よそいきレイター』とも違う。

「ティリー、パパは出掛けてるわ。夕飯には戻ってくると思うけれど」
 レイターと顔を合わせたくなくて外出したに違いない。早いところパパを攻略してのんびり過ごしたかったのに。 

「わたしの部屋はここよ」
 と自室のドアを開けた瞬間、後悔した。エースの視線が突き刺さる。

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「すげぇ部屋だな」
 レイターがあきれた声をだした。
 天井含めて『無敗の貴公子』のムービングポスターで埋め尽くされている。エース命と書かれたグッズの数々が整然と並んでいるのは、わたしがアンタレスを離れた時のままだ。慌ててドアを閉めた。
「リビングで地元のレースチャンネルでも見よっか」

 我が家のリビングには半球壁面モニターが格納されている。床から天井まで広げるとフェニックス号の4Dシステムほどではないけれど、没入感はある。ソファーに二人で並んで座った。レースチャンネルに合わせると懐かしさがこみ上げた。
「いつも、こうやってS1レースを観てたの」
「あんた、楽しそうだな」

 リビングとつながっているキッチンからママが顔をのぞかせた。
「ティリーが騒がしくて大変だったのよね」
「しょうがないじゃない」
 ここで推しのエースを応援していたのだ。
「ふぅ~ん」

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 レイターが横目でわたしを見た。何に騒いでいたのかわかっている顔だ。今更隠すことでもないけれど。
 アンタレス近くのマイナーなコースで学生選手権が開催されていた。
「ふむ、この小惑星の配列は、追い抜くのにテクがいるな。荒れるぞ」

 宇宙船お宅の細かい解説を聞いていると自然と口元が緩んでしまう。うちにレイターがいて一緒に宇宙船レースを観てるなんて、新鮮だ。

 学生たちのレースはレイターの言う通り、激突、故障、棄権が相次ぎ、目が離せない展開だった。S1とは違う荒削りなレースを楽しんでいるうちに、気が付くと夕方になっていた。

 懐かしい匂いが漂ってきた。ママのスープの香りだ。
 そして、最大の難関であるパパが帰宅した。
「パパ、お帰り」
「おお、ティリー、帰ってきたか」
 機嫌が良さそうなのは一瞬だった。
「お邪魔してます」
 レイターが会釈すると、空気が急速冷凍された。
「フン、本当に邪魔だ。帰ってくるのはティリーだけでよかったのに」

「ティリー、ちょっと手伝って」
 とキッチンのママに呼ばれる。レイターもわたしの後についてきた。
「俺、手伝います」
「あら、お客さんはソファーに座ってて」
 ママは丁寧に断ったのだけど、レイターがついて来た理由はよくわかる。パパと二人でリビングに座っているのは拷問だ。
「ママ、レイターに手伝ってもらったら楽よ」
「そう? じゃあ、申し訳ないけれど、そのドレッシングをかき混ぜてほしいの」
「任せてください」

 レイターの手慣れた様子にママが目を見張った。
「ティリーよりよっぽどお上手ね」
「だって、レイターは調理師免許持ってるのよ。フェニックス号にはうちと同じ火のコンロがあるんだから」

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「便利で理想的な彼氏さんだこと。うらやましいわ」
 このレイターのよさがパパにもわかってもらえるといいのだけれど。

 夕食の席で、さっきまでおしゃべりだったレイターが黙った。ここは、わたしにとってホームでもレイターにとってはアウェーだ。
 とにかく、レイターの長所をアピールしなくては。料理が上手、操縦が上手、スポーツ万能……。違う、もっと内面の良さを伝えなくちゃ、と考えて思考が止まる。女好きでだらしなくて、お金にがめつい、欠点ばかり次々と浮かんできた。

「今期もクロノスの業績はいいようだな」
 パパは仕事の話を切り出した。
「宇宙船需要は拡大してるし、エースが社長になって社内の雰囲気も若返ってるのよ」
「ティリーはちゃんと会社に貢献できているのか?」
「もちろんよ。もう、後輩に指導だってしてるんだから」
「ほう、営業成績はどうなんだ?」
「どう、って普通だけど」
「数字で説明してみてくれ」
 恋愛の話には持っていかせないぞ、という強い意思を感じる。  

 仕事の話が終わると、パパは自分が大好きな政治談義を始めた。
「連邦評議会にも困ったもんだ。統治する能力が弱っとる。連邦軍への軍事費の増額が簡単に決まるのはおかしいじゃないか。君は、そうは思わんかね?」

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 初めてレイターに話を振った。
 パパのことだ、レイターを試しているに違いない。昔から、わたしのボーイフレンドが家に来るとわざと難しい話をする。

「アリオロンの好戦派が権力持ったから、しょうがねぇんじゃねぇの」
 さらりと答えたレイターにパパが意外だという顔をした。パパはレイターがハイスクール中退の飛ばし屋と聞いて、侮っていたに違いない。偏見だしレイターに失礼だ。

「文民統制がちゃんととれるのか心配なんだ。軍部が暴走したらどうする」
「戦争やりたがってんのは、現場知らねぇお偉いさん方だろ」
「そうか、君は将軍家とつながりがあるんだったな。一体、どういう関係なんだ?」 

 ドキリとした。パパには言えないけれど、レイターは将軍家直属の特命諜報部員なのだ。 

「慈善事業で親のいねぇ俺の後見人になってくれたんだ」
 レイターはさらりと答えた。
「君から見て、世襲制の将軍が正しく軍を掌握できていると思うかね」
「軍が暴走して戦線拡大したって話は聞いたことがねぇよ」
「常識程度は勉強してるようだな」
「俺、お偉いさんの警護もバイトしてっから」
 新聞読んでるだけの政治好きのパパより、レイターは裏も表もよっぽど世の中の状況を把握している。
「そんなだらしない態度でか」
 人は見た目で判断する。特にパパは身だしなみにうるさい。フォローをいれなくては。

「レイターはね、皇宮警備にもいたのよ」

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「まあ、すごいわね。ドラマで見たわよ」
 ママの称賛の声。ナイスアシストだ。
 皇宮警備は規律も厳しいし、真面目で優秀な人しか選抜されない。少しは見直してくれるんじゃないだろうか。
「ほら、パパも知ってるでしょ、王族とか警護する」

 パパの声は冷たかった。
「連邦軍の組織じゃないか。君は、今も軍人なのかね?」
「予備役登録してます」
「戦地で人を殺すことがあるかもしれないということだ」
 地雷を踏んでしまった。逆効果だった。

 パパの話は進むにつれて連邦軍批判を強めた。
「大体、軍隊という組織がおかしいんだ。人殺しの集団だぞ」
 レイターは黙って聞いている。実はレイターが現役の軍人だなんて知ったら、大変なことになりそうだ。

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 「このアンタレス星系を見てみたまえ、独自の軍隊なんてなくてもきちんと機能している。なのに連邦軍が駐留しているのはまったくおかしな話だ。我々はアリオロンとの戦争と何の関係もないのに、負担だけ強いられて、いい迷惑だ」
「何の関係もない、ってことはねぇよ」
「どういう意味だ」
「戦争の余波は銀河中に広がっている。この星だってのがれられねぇ」
「そんなことはない。あるとすればそれは連邦に加盟したためだ」
「連邦に加盟しなきゃ、アリオロン同盟に攻められて今頃戦地になってたかも知れねぇぜ。アンタレスの技術は敵さんも欲しがってる」
 レイターの答えの方が正しい気がして、わたしは口を挟んだ。
「そうよ、永世中立を貫いているラールシータに初出張で行ったけれど、重力制御技術が欲しい連邦とアリオロンの綱引きにラールシータは巻き込まれてたわ」

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 パパは不満げな顔でわたしを見た。レイターの肩を持ったことが気に入らないみたいだ。
「ティリー、お前は戦争に反対じゃないのか?」
「反対に決まってるじゃない」
「そもそも軍隊がなければ戦争もないのに、連邦へ加盟したせいでおかしなことになっとるんだ」
 レイターはもう何も言わなかった。

 ママはレイターに「家に泊まっていけば」と提案してくれた。でも、パパは「絶対に駄目だ」といって譲らず、レイターはフェニックス号へ戻ることになった。きょうのところは攻略失敗だ。

 レイターを送って家の外へ出る。夜の九時を回っているけれど外はソラ系の夕方程度に明るい。
 小さく緑色に輝く恒星アンタレスBが昇りかけていた。緑夜だ。

「わたしたち、願い事はBの神様にするのよ」
 指を組むと、目を閉じてアンタレスBに顔を向けた。
「パパが許してくれますように」
 緑の太陽に向けて念を送る。久しぶりにアンタレスへ帰ってきたのだから、叶えてほしい。

 あすの夜にはフェニックス号で帰途に就く。 

「ごめんね、パパの話」
「あん?」
「せっかくの食事時なのに政治の話ばかりで、つまんなかったでしょ」
「そうでもねぇよ。家族の食事って、ジャックとアーサーの夕飯なんて会議室の続きだぜ」

 将軍と将軍補佐の親子が会話している様子を想像して思わず吹き出した。

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「おやすみ。明日十時にセントラルパークの噴水広場でね」
「おやすみ」
 パパに気づかれないように軽くキスをして別れた。

 翌日、気持ちのいい紫色の空が広がっていた。懐かしい故郷の空。見上げながら伸びをする。アンタレスAが赤く輝き、暑くも寒くもないデート日和だ。

 家から歩いてすぐのセントラルパークは、緑があふれる広い公園で散歩に持ってこいだ。子どもの頃からよく出かけた。休日には出店も並ぶ。

 わたし含めアンタレス人は真面目だ。約束の時間に遅れることはありえない。待ち合わせの五分前に噴水広場に到着した。レイターは仕事の時に遅れたことはないけれど割と適当だ。
 と思ったら、彼はすでに屋台でポップコーンを買っていた。急いで近づく。お店の人と談笑していた。
「太陽飴はどこで買えばいい?」

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「噴水の向こうにおいしい店が出ているよ」
「サンキュ」
 太陽飴はアンタレスの名物菓子だ。

「おはよ、レイター、太陽飴を買うの?」 
「ああ、アーサーが食べてぇんだとさ」
「それならちゃんとしたお店で買えばいいのに」
 太陽飴はピンからキリまで色々な種類がある。お土産なら高級な箱詰め商品が店舗で売っている。
「いいんだよ、あいつに気を使う必要ねぇから」

 レイターはポップコーンを高く投げて器用に口でキャッチしながら、屋台の飴屋の前に立った。
 子どもの頃は親にねだってよく買ってもらったものだ。並んだ飴を上から見るのがちょっと新鮮。真っ赤で大きなビー玉のような太陽飴は直径が二センチぐらいある。飴を一周するラインの色ごとにトレイに並んでいた。
 
「ポップコーン屋から聞いてきたんだけどさ。グレープ味の太陽飴が欲しいんだ」
「はいよ、紫のラインがグレープ味だよ。プレーンもお勧めだよ」
 プレーンはラインが入っていない。
「ティリーさんは、何味がいい?」
「じゃあ、サイダー味」

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 水色ラインのサイダー味は子どもの頃から大好きだ。
「サイダー味とグレープ味とプレーンを二つずつ」
 屋台の太陽飴はばら売りだ。おばさんが景気よく紙袋に詰めてくれる。
「はい、どうぞ」

 鐘の音が響き始めた。十時だ。
 広場の噴水が一列に並んで吹き上がった。きれいな音色に合わせて水の高さが変化する。波のようだ。小さな子供たちが手を伸ばして歓声をあげる。涼しい風が吹いてきた。

 ベンチに腰掛ける。
 のんびりしている。ソラ系とは時間の流れが違う。デートみたいだ。いや、実際デートなのだけど。
 隣に座るレイターがポップコーンをパラパラと地面に投げた。鳩が何匹かが寄ってくるのをぼんやりと見る。 
「こいつら、旨そうだな。捕まえて夕飯にするか」
 ムードが一気に崩れる。
「は? やめてよ。アンタレスでは鳩は食べません」
「栄養価も高くて、いい値で売れるんだぜ」
「ソラ系と一緒で、ハトは平和の象徴なんだから」
「平和ねぇ。こいつらみたいに簡単に餌付けできりゃいいんだけどな」
 鳩たちは一心不乱にポップコーンをついばんでいた。 
 
 水色のラインが入った太陽飴がわたしの目の前に差し出された。
「ほれ、餌付けだ」
 餌付け、という言葉は気に入らないけれど、レイターの料理につられている自分がいることは確かだ。
「ありがと」
 サイダー味の刺激が口の中でシュワシュワと広がる。スッとするこのジャンクな感じ。子どもの頃から変わってない。あの頃は大きな飴で口がいっぱいになったけれど、今はしゃべるのにちょっと苦労する程度だ。
 ソラ系の洗練されたお菓子とは違う。でも、これはこれでやっぱりおいしい。

 口の中の飴が溶けかけたところで、気になっていたことをレイターの耳元で聞いた。
「仕事ってどうなってるの?」
 レイターに課せられたアンタレスでの特命諜報部の任務。具体的な内容を聞くわけにはいかないけれど、予定は把握しておきたい。
「あん? ああ、あれはもう終わった」
 あっさりとした答えだった。
「終わったんだ」
 肩の力が抜けた。子どもの使い、と言っていた通り簡単な任務だったということだ。そもそもアンタレスは平和な星系だ。

 レイターが伸びをしながら言った。
「銃で狙われる恐れがねぇってのは、やっぱ、いいよな。警戒する距離感が違う」
 実感がこもっている。いっそアンタレスで暮らすのはどう? と言おうとして恥ずかしくなった。そんなことを口にしたら、結婚しようと言っているみたいに聞こえそうだ。

 広い公園を二人で並んで散歩する。
 レイターと手をつなぎたい。ソラ系にいる時、レイターは手をふさがれることを嫌う。不測の事態に備えるためだ。でも、ここは安全な星だ。勇気を出してそっと指を絡める。拒否されたら笑おう。
 触れたところから熱が伝わる。
 手のひらが温かさに包まれた。大きな手がわたしの手をぐっと握った。つながる感覚が心臓を揺らし、頬が熱くなる。目の奥が震えてレイターの顔を見ることができない。

 わたしったら、子どもじゃないんだから。自宅やフェニックス号では恋人らしくレイターに触れているというのに。
 言語化できない新鮮な安心感。
 風に揺れる花が蛍光色に塗り替わったように見える。故郷の澄んだ空気を吸いながら、ただ歩いた。

 さあ、二人きりの時間は終わりだ。時計台の前に立つ。予定通りにママがパパを連れて公園へやってきた。

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 レイターが繋いでいた手をすっと離した。
「レイターさん、アンタレスはどうかしら?」
 ママがたずねる。
「いいところですね。こんなにのんびりしたのは久しぶりです」
 何だろう。まただ。いつものレイターと違う。『よそいき』でもない。かと言って演技をしている感じでもない。

「田舎だと馬鹿にしとるんだろ」
 パパが突っかかる。
「パパ、被害妄想はやめてちょうだい」
「そういうティリーは、田舎が嫌でここを出ていったんだろうが」
「アンタレスの良さは、ソラ系に出たからわかるのよ」
「ほう、そうか。良さがわかったなら、早く戻ってこい」
「仕事を辞めろって言うの? パパは途中で投げ出すことが正しいっていうわけ?」

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 わたしとパパが喧嘩しては元も子もない。わかっているのについ反論してしまう。さっきまでの満たされた気分が一気に通常モードに戻っていた。

「さあさあ、お昼を食べに行きましょう。中心街へ出ましょっか」
 ママがやんわりと提案した。我が家のお決まりのパターンだ。とにかく落ち着こう。
 この後のランチでパパに何とかレイターを認めてもらう。というのが、わたしとママで考えたシナリオだ。

 公園内を横切る道路にタクシー乗り場が設置されている。
 ソラ系で目にするタクシードライバーはアンタレスにはいない。中央で集中制御された無人のエアタクシーはレーン上を浮揚し次々とやってくる。技術立国アンタレスでは当たり前の風景。待たされることはほとんどない。
「タクシーに乗ったら、俺がマニュアルで運転してやるよ。中央制御っつうのはどうも信用ならねぇ」
 とレイターが提案した。この人は宇宙船だろうと何だろうと自分で操縦しないと気が済まない。

「その必要はない。お前の運転する車なんぞ危なくて乗れるか」
 パパはS1でレイターが見せた、死と隣り合わせの危険な操縦を頭に浮かべたのだろう。

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「普段はレイターだって安全操縦なのよ。『銀河一の操縦士』なんだから。小惑星帯で飛ばしたって絶対、事故らないし」 
「フン。いずれにしてもきっちりと中央制御されとるんだ、下手にさわることはない!」
「へいへい」
 レイターが肩をすくめた。

 パパがタクシー乗り場の一番前に立って軽く手を挙げた。
 あれ? 何だかエアタクシーの様子が変。近くまで来たのにスピードが落ちない。
「回送車かしら?」

「違う!」
 レイターの声と同時にエアタクシーが車道レーンからはずれた。そのまま車両はわたしたちが立っている乗り場へ猛スピードで向かってきた。

 暴走車両だ。
 ぐいっ、とレイターがパパを引っ張り、自分が盾になるようエアタクシーの前に飛び出した。

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 ぶ、ぶつかる。
 ダンッ。

 身体を斜めに傾けながらレイターが車両の前方右角を蹴り上げた。

 エアタクシーは軌道がそれ、そのまま上昇していく。完全に中央制御が切れ予備噴射が作動している。

 レイターが飛び上がってバンパー部分にぶら下がった。彼の重みをものともせずエアタクシーは浮上し、高度二十メートルぐらいの地点で上下左右に揺れながら旋回し始めた。暴れ馬がレイターを振り落とそうとしているかのようだ。エアタクシーが公園に落ちたら大惨事だ。わたしたちの周りはパニックになった。

 こんなところで『厄病神』を発動させないで。

 レイターが車体にしがみつき、足を引っかけてよじ登って行く。運転席のガラスをたたき割り、中に乗り込んだ。マニュアル操縦しようとしている。

 腕の通信機が鳴った。
「ティリーさん、すぐ脇の芝生広場から人を避難させてくれ」
「わかったわ」
 芝生広場ではボール遊びをしていた子どもたちが、上空のエアカーを指差して騒いでいた。

「ここから離れて、広場の外へ出て! パパ、ママ手伝って!」

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 幼い子どもたちの手を引き、広場から引き離す。

「レイター君、大丈夫かしら?」
 ママが見上げて不安そうにつぶやいた。あの高さから落ちたらいくら不死身でも助からない。
「大丈夫、彼は銀河一の操縦士なんだから」
 とは言ったものの、エアタクシーは広場の上空で不安定な動きを続けている。マニュアル操縦への切り替え装置が壊れているに違いない。緊張で腕が振るえる。

 エアタクシーの噴射音が消えた。
 と同時に落下し始めた。重力に引っ張られ、金属の塊が落ちてくる。
 アンタレスの重力加速度は1G。計算が得意なわたしの頭に計算値が勝手に浮かぶ。地上到達までの時間は2秒。

「レイター!!」

 地面とぶつかるその瞬間。
 ボワッツ。
 噴射口から火が出た。ぐいっと機首が持ち上がる。逆噴射で速度が落ちた車両は、最後の最後、ふんわりと音もなく芝生に着地した。
 わたしの足が走り出していた。

 エアタクシーのドアが開く。
「ったく、手こずらせやがって」
 軽く首を振りながら、姿を見せた彼氏はいつもと変わらず飄々としていた。
「レイター!」
 そのままわたしはレイターの胸に飛び込んだ。

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 銀河一の操縦士の腕は信じている。けれどそれでも怖かった。この人はいつも無茶なことをする。
「ティリーさん、ケガはねぇか?」
「大丈夫よ」
「よかった。ケガでもしたら親父さんに殺されちまうところだ」

 オホン。背後から咳払いが聞こえた。
 パパだ。レイターが自然にわたしの体から身を離した。
「一応、礼を言っておく」
「一応だなんて駄目ですよパパ。ちゃんとお礼しなくちゃ。ありがとうレイターくん」
 ママが頭を下げた。
「ほんとに、あなたってすごいのね」
「い、いえ」
 珍しいことに普段は自信家の彼が謙遜している。

 レイターのシャツに血が付いていた。
「レイター、怪我したの?」
「あん? ガラス割ったときにちょっと手ぇ切ったみてぇだな」
 そう言いながらレイターは右手の甲をなめた。

「駄目ですよ、ちゃんと手当てしなくちゃ」

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 ママが白いハンカチを取り出しレイターの手にあてた。女性の扱いが得意なレイターがされるがままに固まっている。こんな彼を見たことがない。

 レイターは、実はパパよりママのほうが苦手なんじゃないだろうか。   「父の出張」 まとめ読み版②へ続く

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