開けよ、さすれば拓かれん
タイトルの言葉、聞いたことあります?
ないか。
だって今わたしが思いつくままにつけたもんね。
ツイッターをやっていると、「癌患者以外はお断り」というプロフや、「経験者じゃない人には分からないでしょブロックブロック」という文面を見ることが多くて、すごく驚いた。
それが悪いとかではなく、そうして自分を守る方法を取っていて、クローズにすることがその方にとっては得なんだな(現時点では得だと判断しているんだな)って。
わたしは昔から「ねえねえ聞いてー」というタイプだったし、「Help me!」というのも得意だった。
「どう思う?」と聞いた時、「確かに、そうかも」と思わせてもらえることも沢山あり、そうした方がラッキーなことがあると思ってきた。
勿論分かり合えなかったり、的外れなことを言われたり、時にディスられたりすることもあるけど、意見を聞くということは、知見を広げられて、自分にプラスになることの方が圧倒的に多かった。
突然の末期癌宣告で、人生の終わりが予想外にすぐ先にあることを知り、むしろその思いは加速した。
“類は友を呼ぶ”という言葉通り、今の自分の近くにいる人は似たような環境で育った人が多い。
つまりは似たような気持ちを抱き、似たような価値観を持っている。
それでも異なる考えや知らない知識を持っていて、学ぶこともある。
じゃあこれが、“類”ではない人と繋がれたら、どうなる?
−知らない思考が沢山あって、きっと楽しい!
たまに、「桃花さんは強いから前向きにいられるんですね」と言われるけど、そんなことはない。
オープンにすることによって傷つけられることも不用意に傷つくことも増える。経験者同士だけでいれば得られる共感や安堵も多い。
それでも、わたしが前向きに、外を向いているように見えるなら、人生のゴールを”楽しい人生だったと言って死ぬこと”にしているから。
そして世の中には傷つけてくる人の何十倍も、多少なりとも他人に興味を持ってくれる優しかったり面白い人がいることを、知っているし信じているから。
「わたしもうすぐ死ぬらしく、どうしたらいいか分からないけど、楽しい人生だったなって死にたいから、おすすめの方法急募してますー!私が持ってるものはこれですー!」
ってぜんぶオープンにして意見募ったら、もしかすると今まで関わったことのない知恵の持ち主たちが、「こうしてみれば?」「これやってみる?」って、知らない世界を教えてくれるかもしれないじゃん。
自分の心の内は見せたくないし自分から頼ったり甘えたりしたくないけど、どこからか察知して導いてくれる人が現れる、なんてそうないと思うし、その奇跡を待っていたら、残念ながらわたしもう死んでると思うわ…。
心も窓口も才の無さも数少ない取り柄もオープンにすることで、そのまま生きていたら足をつけることがなかった、未開の地が拓かれたら最高だなって。
元気に仕事してた人がいきなりステージ4になるんだから、それこそ何が起きるか分からない。
これはあくまでわたしが望む生き方で、良い悪いはない。
でも、もしわたしが癌になったからこそいろんな経験ができて、「良い人生だった」って言って死んで、悩みながらもクローズな世界で生きている人にちょっとワクワクさせられたら、とてもいいな。
「オープンにしたが故に哀れな人生だった・・・」なんて可能性もゼロじゃないけど。あはは。
得意なことも少ない平凡なわたしは、素直にみんなにHELPを出すことで、これまで幸せに歩んできた。
その"みんな"に見知らぬ人も含めてみた今、もう既に、未開の地が拓け始めているような気もする。
知らんけど。
人生第二章を歩むための、なにか"きっかけ"を与えていただけたら嬉しいです!あなたの仕事や好きなことを教えてください。使い道は報告させていただきます。(超絶ぽんこつなので遅くなっても許してください)