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我々は毎日、社会に爪痕を残している

よく、社会に爪痕を残してやるんだとか、社会に爪痕を立ててやらないと自分の生きる価値がないみたいなこと言いますが。

いやいや、わざわざそんなことしなくても、社会に爪痕なんて毎日残してるんだけど、気づいてないだけだよって話です。

マジで、爪痕なんて毎日残してるんですよ。

たとえば、挨拶や礼など。
そういう事するたび、誰かの人生に関わります。
その時点で爪痕なんですよな。

「いやいや、爪痕なんてそんなもんじゃない。社会に認められてこそ爪痕になるし、自分の生きた証を残せるんだ」
などと思いがちですが。

んじゃ、身近な他人は社会でないんでしょうか?
社会ってのは他人の集合体でありコミュニティですんで。

そして、挨拶を返してもらえるのは、そうしたコミュニティの人間に認められてないんですかね?_(:3 」∠)_
挨拶や礼は、一定の敬意や関係性が構築できていればこそです。

こんなふうにちゃんと定義を考えると、意外なくらいに社会に認められてるし、爪痕も残ってます。

じゃあ、なんでわざわざ爪痕を残そうとしたがるのか。

自分がそんなものを爪痕だと認めてないからです。
要するに、自分が認められないから誰かにやってもらおうってことです。

っていう話をしていこうと思います、よろしくよろしく。


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