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【かえるのうた】おふくろさんより胃袋さん

母と暮らすようになり、2か月くらい経ちました。色々書きたいことはありますが、なかなか書けていません。今日、ひとつ書けて嬉しいです。全然まとまりませんが、ひとまず公開して次に進みます。

母とのことは、こちらのマガジンに追加していっています。

母は、料理が好きです。これまでは父方の伯母の介護でセルフネグレクトになり、料理を楽しめていなかったようですが(さらにはもっと長い期間、本当は楽しめていなかったのですが)、引っ越してきてから、料理を楽しんでいるようです。

私はこの2か月、オーバー気味に美味しいと言って全部食べてきました(髪の毛が入っていたりするときはさすがに言いますが・・・)。本当のことを言うと母が傷ついて、元気がなくなるのではないか?生きる希望を失ってしまうのではないか?そうでなくても、毎日が楽しくなくなるのではないか?そんな心配があったからです。

料理をつくるとき楽しい気持ちでないと、ネガティブな気持ちが料理に移り、食べる方もますます楽しくなくなる気がしました。母にはとにかくルンルンで料理をしてもらうに限るのです。それに、私自身も自分の食べているものを悪く言うのは、さらに食事を楽しめなくなるのではという心配もありました。

私がオーバー気味に美味しいと言う理由は、もうひとつあります。それは、父です。父は、もう他界しましたが、生前、母の料理をけなしてばかりいました。どんな料理でも一生懸命つくってくれたのだから、できるだけ楽しくいただこうという気持ちはなかったようです。一緒に食卓を囲むのが私は嫌でした。もちろん、父なりの言い分もあったでしょう。それに、これは究極的にはふたりの問題であって私の問題ではありません。これについても書き始めると長くなるので今回はこのくらいにしておきます。

料理以外も、色々あったのですが、母はDVに耐え、生き延びました。いわば、サバイバーです。これまで辛い思いをした分、これからは楽しく生きられたらと私は思います。究極的には、母の問題なので私の問題ではありませんが・・・。


というわけで、とにかく何でも美味しい美味しいといただいていたわけですが、辛かったです。とうとう私は、限界が来ました。胃袋が、最近元気がないのです。最初は我慢していたのですが、ついに母に言いました。大きくのしかかっていたあることに区切りがついて、母が安心したタイミングで・・・。

すると、少し量を減らして様子を見ることになりました。言えてほっとしました。言う前も、飲み物を残すなど少しずつ完食ではない方向にこっそり調整してはいたのですが・・・。

母には、たくさん食べないと臓器が弱って体力が無くなって死んでしまうのではないかという恐怖心があるような気がします。後期高齢者です。これからも生きようと思っているのはありがたいことです。人生を諦めて自暴自棄になるよりうんといいです。何でもかんでも食べればいいというものではない気もしますが・・・。

あとは、大切な子どもだから、いろいろ食べさせてくれるのでしょう。昔、私は、自分は要らない子だと思っていました。でも、最近は違います。私のことが大切なのはもうわかったので、食事を適量にしたいです。内容も、胃袋さんが喜ぶものにしたいです。味については、贅沢を言わないようにしています。好みの問題もありますし、今、私は、自分が何が好きなのかよくわからない状態です。鬱の一歩手前だと自分では思っています。美味しいと言えば、美味しくなりそうです。つくっていただけたことに感謝して、生産者の方々や、届けてくださった方々、食材となった命にも感謝して、いただくことにしています。

残すわけにはいかないと思ってしまいます。

言い方を1週間は考えて、思い切って言ってみたら、案外大丈夫そうだったので、ほっとしました。買い出しの頻度や荷物の量も減るかもしれません。これも少なからず有難いです。

正直なところ、使い切れない食材を私に多めに盛っているのではないかと思える瞬間もなきにしもあらずです。


私の胃が弱っているのは、母の料理ではなく私自身の過労が原因という説もありますが

どちらにしてもアイメッセージで現状をうまく伝えて、お互い心から笑顔になりたいです。正直、もう、何を食べたいのかもわかりません。何も食べなくても元気で生きていられるのであればいっそそうなってくれたら一番いいと思えてしまう時もあります。したいことがありすぎて、時間が足りません。体力も足りません。

しかし、母が料理を失ったら、元気もなくなりそうです。自分の分だけ作って食べるのと、誰かのためにも作るのとでは、やはり違う気がします。

体育会系の根性論とか、よくわからない自己啓発とかは私には合わないみたいです。無理をしたら、自分が壊れます。そのうち鬱か肉体的な何かで天寿を全うしないうちに死ぬでしょう。最近はテキトーに生きるのが一番だと思っています。それでできないことはできなくてもいいのだし、私が本当にこの人生ですべきことではない気がします。最近(だけではありませんが)頑張り過ぎな気がします。

私が死んでしまったら、母が私に料理をつくることができなくなります。料理は、愛情表現の重要な手段のひとつな気がします。私も母の料理をもうしばらくの間食べていたい気がします。昔なら、考えられなかったことですが・・・。この先、母がどうなるか、そのとき私は対応できるのかとかそういう不安にかられることもあります。今は、つかの間の休息の時期なのかもしれません。

昔は死にたいと思っていましたが、最近はまだ生きていたい気がするようになりました。あの頃、自ら死ななくて良かったです。長生きはしてみるものです。

最近、こんな本を読みました。

発売前なのに「読んだ」はおかしくない?
と思うかもしれません。ゲラを拝読したのです。

母に思い切って言えたのは、この本のおかげでもあります。

私は自分がコミュ障だと思っていますが、母とのコミュニケーションをはなから諦めてしまっているふしがあります。ノミのサーカスやゾウのこども、あるいは魚の例でよく出て来る話ですが・・・。

小さい時に絶望したから、もうダメだと思っているのかもしれません。しかし、諦めずに再度やり直してみることにしました。身近な人とのコミュニケーションが円滑になったら、他の人とも、よりうまくいきそうな気がします。もちろん、家族のことはもう諦めて別のところであたたかい関係を築いている例もあるのでしょうけれど・・・。

私は、気をつかいすぎなのだと思います。もっと自由にしたらいいのだと思います。本当の自分の希望を遠慮なく伝えられるようになるのが課題です。おふくろさんより、胃袋さんです。

そして、みんフォト!

今日は、胃袋さんを描きました。疲れてしまったので、緑の秘密の場所で休んでいるところです。電話はもちろん来ません。

久しぶりにピクセルブラシで描けて嬉しいです。これを描いて、しばらく眺めていたら元気が出てきた気がします。

ブラシは2020年夏のコレクションから「Jungle Jam」です。通常とディゾルブを使いました。

ありがとうございます。それでは、また。