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最近私が嬉しかったことの一つに、NingningがINFPであると知ったことがある。
aespaはインスタの個人アカウントを開設したばかりなのだが、Ningningの写真は何となく私の好みと似ていた。静かで、穏やかで、でも今日もいい日だなと思える写真。センスあるな〜くらいにしか思っていなかったのだけれど、bio欄のinfpの文字を見て納得した。わたしはinfjで、infpとは相性が良いとされているからだ。勿論わたしはmbtiを全てと思っているのではない。カテゴライズは楽になれるが本質を突いていないので枠に囚われるべきでない。しかしセンスの一致という勘違いにも思えそうなものに、mbtiの相性が良いという理論が加われば自信が持てるだろう。それに加えて、センスという部分が好きな人(推しなど)と一致するのはかなり嬉しいことなのだ。私が好きだな〜と思う人は何人かいる。グッズ作成のときなどにその人のセンスが垣間見えるのだが、その原案はその人っぽいな〜と思いつつも私が欲しいと思えるもの(つまりセンスが一致するもの)は少なく、そんなことにちょっと落ち込むのだ。人はそれぞれ違うし、もしその人のセンスが私と近しいものだったらその人は今のような人ではなかったかもしれない、私が好きなのは今のその人なのに。だからしょうがないと受け入れるけどでもやっぱり若干悲しくなる。そんなジレンマにいた。そんな中でNingningのセンスに触れる機会が訪れた(インスタ開設)。好きな人とセンスが合うということをずっと求めてきたからこそ、より一層嬉しくなったのだ。

それはそうと、お気づきだろうか。
わたしは”推し”という言葉を遣うことを避けている。少し前までは抵抗がなかったのだが、最近になって違和感が明らかになってきた。これは私の考え方や偏見から来るのだとは思うが、推しというとグッズ集めに走る人々が連想されるのだ。わたしも勿論CDが出たら買う。でも絶対買うと決めているのはCDくらいで、他のグッズは推しというフィルターを外しても買いたいと思うものしか買わない。明らかに、貢ぐという考えが無いのだ。だからあまりファンらしく見えないのかなとか思ったりもするのだが、応援の仕方や自分への根付き方は人それぞれである筈だからこんなわたしも受け入れて欲しいと思うのだけれど。とにかく、推しという言葉は私の方法や考え方に合わないと思うのだ。だからここ数日、代わる言葉が無いかなと考えていた。”尊敬している人”は重すぎるし、”大切な人”や”好きな人”というのは恋人の様に聞こえてまた違うし。こうなったら言葉を新たに作るしかないのかな〜と探すことをやや諦めている……

私が疲れやストレス、無気力感を覚える時は自分の脳内を表現できていないときと気づいたから、ときどきこうしてぱーっと脈略無くnoteに書いてみようと思う。



ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
また会いましょう👋🏼

写真:Ningning Instagram (@imnotningning)

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