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春の嵐が吹き飛ばしてゆくから、大丈夫きっと。

今年のドイツは春の訪れが本当に早い。

桜が知らないうちに満開を迎えていたのが3月の終わり。去年は5月中旬くらいに咲き誇っていた藤の花が、今もう盛りを過ぎようとしていて少し焦っていた。

子供達を車で学校へ送ったあと、少し寄り道して藤に会いに行くか...
あとで、夕方でもよくない?
でもせっかくの晴天の朝、少しだけやっぱり行こう!

そう決めていつも曲がる所を真っ直ぐに走った。
そこは国道沿いの私が住む街の入り口の古い建物、そこの壁を覆うように藤が咲く。
春になると毎年。
初めて見た時は息を飲んだ。
壁一面がムラサキになるのだもの。

この窓から見る外は紫の世界なのだろうか

それ以来なるべく毎年見に行くようにしていて、去年の写真を確認したら5月上旬、その時ですらまだ七分咲きくらいだったというのに。

今年はすでに最盛期を越えてるようで紫の色が少し燻み始めていた。そこの少し先の日陰が多い箇所の藤は今がまさに見頃だった
鮮やかでみずみずしい色合いが青い空に融和している。滝のような、雨垂れのような藤。その真下に立つと視界が紫になった。

ドイツの藤は日本のものと少し違う。
日本の藤が成熟した落ち着いた大人の女の風情なら、こちらの藤は乙女のように若々しい感じ。
ムラサキは藤のための色のようだ。

けれど20代の頃まで紫という色が苦手だった。
落ち着かない気持ちにさせる紫を避けていた節もあった。それがある時に“好きだな”と感じる瞬間があって、何がそんなに苦手だったのだろうと不思議になった。
紫の色味が持つ独特の「揺らぎ」みたいなものが嫌いだったのかも知れない。なにか不安定な不安な気持ちになった。
今は、その揺らぎの持つ深さに心惹かれる。

紫の藤の花言葉
“きみの愛に酔う”


こんなにも青空を覗かせていたのに午後からは強い風が吹き始め、みるみるうちに嵐のようになった。激しい雨と強い風を家からぼんやり眺めていたら今朝が遠い昨日のように感じ、見に行っておいてよかったなぁ...と独りごちた。
こういう天候を“四月の天気”とドイツ語では呼ぶ。

夜、近所のサウナへ行く。そこは370メートルの地下から来る温泉水で、プールもあって月に1、2回くらいの割合で通っている
水が柔らかくって塩っぱくって、なんだか異国のリゾートにでも来たような気持ちになれてお得。
午後の嵐のせいで人も少なくゆっくりできた。

ドイツのサウナは混浴だ。
裸を愛する国民性のドイツ人にとってサウナはゆっくりリラックスできる特別な場所のようだ。
皆ルールを守り、混浴でも何か嫌な目に遭ったことはほとんど無い。私もすっかりドイツサウナを愛する様になって久しい。

プールでゆっくり泳いでからサウナへ入った。
Aufgussも受けて、サウナの中で窓から覗くライン川をぼんやりと眺めていた。
頭はシーンとしていてただ心地よさだけがあった。
そうしていると、ふっと緊張が緩むのを感じた。
パーンと張っていたものが緩んで解けた感じ。
それで初めて、自分が緊張し続けていたことに気がついた。

いつから?
この1年間ずっとだ...

その緊張の多くは自分が関わってる事柄で、特に日本語補習校の理事長を務める事から来ていたと思う。
何かのトップに立つのはこんなに大変なことだったんだなぁ...と知った。
最終的な責任を負う立場というものを知らず、何処かで誰かがなんとかしてくれる、そう思って生きて来なかったか?
首切り人事を断行したので、クレームや非難のメールや手紙を受け取った。
名指しでそういうものが来ると、たとえそれが間違ってなかったと知っていても動揺するんだな。
そういう時に浮かんだ直感は正しくないこと。
そういう時に他者を傷つけやすくなること。
沸き起こる感情は自分の本質ではないこと。

それなら何が“自分”なんだろう?

眠る前に瞑想しながらゆっくり、ゆっくりわかっていったことがある。
自分が緊張し続けていたことに気がつかないほど一体化していたけど、あのサウナの時間でそれが解けたから。きっとこれからは本来の自分に戻っていくだろう。
それはどんな自分なのか、それを見つけながら日常を歩いていきたい。

春の嵐は、少し時間を巻き戻すように寒さもぶり返したけれど、何かモヤモヤとしたものを吹き飛ばしていってくれた気がする。

藤の奥にカスターニャ(マロニエ)が
白い花を咲かせ始めている。
カスターニャの木に花が咲くのは
毎年5月と決まっている。
今年はやはり数週間ほど全てが早い。

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