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記憶に触れて, 麦秋の頃

ドイツの我が家は、とある田舎の丘の上にあります。家から少し坂を上がると、広大な畑が広がっています。

ここに引っ越したばかりの頃は、まだドイツに来て3年も経っておらず、田舎の風景に異質なものを感じていました。
畑が広がっていても、日本の田園風景とは全く違っていて淋しかったのです。
日本の水田をとても恋しく思いました。

日本だけでなく若き頃に旅行で巡った東南アジアや、そしてアフリカのリベリアにも水田はありました。
リベリアの水田は日本の緻密なそれとは全く様相が異なり、余白が目立つくらい雑に植えられていて苦笑してしまいました。
もっと作付けできる面積あるやん!?と。

ここドイツの田園風景は、湿潤な稲作風景とは真逆の“ドライ”な感じで、それは気候とも重なり、ウェットな内面を持っている自分とは異質だな...と感じていました。
それがこちらでの生活が長くなってくるのと同時に、知らず知らずの内に愛着を抱くようになりました。
「住めば都」とは本当だし、ヒトには適応力や柔軟性が備わっている...と自身の心情の変化を通し改めてそう思います。

毎年この時期に目を細めて見ているものがあります。

6月の今頃にピークを迎え黄金色に輝く麦畑。

麦秋ばくしゅうという言葉を知ったのは中学生のころ。

当時私が通っていた家庭教師の先生の家の本棚には、すでに大学生になり家を出ていたお嬢さんの漫画が並んでいました。

あの頃、多感な時期に出逢ったあの本棚の漫画から私は多くを学び吸収したと思います。
そこに並んでいた漫画は、食わず嫌いな自分が“難しそう!”と敬遠しそうなハイレベルな少女漫画ばかりでした。
そんな漫画を空き時間に手を伸ばし、少し背伸びもして読み始めたのだと記憶しています。

萩尾望都、山岸凉子、木原敏江(大江山花伝)、佐伯かよの(緋の稜線)、エトセトラエトセトラ....。

これらの漫画の素晴らしさは、ここでは語りませんが、“麦秋”という言葉を萩尾望都の漫画で見つけた時....その言葉と風景が、心の何処か深い所へ降りて行ったのです。

いつかきっとその風景を見てみたい....

そう願ったこともはっきりと憶えています。
夏の中にある“秋”の不思議さ、それはこの世界が決して一面でできているのではないことを教えてくれた言葉だったのかもしれません。

まさか後年、麦畑のすぐ傍に住むようになるとは....あの頃の自分に教えてあげたいような気がします。だから麦秋が巡るごと、人生は不思議だな....と思います。

あんなに見たかった風景を私は自分の伴侶だった人と見た記憶がありません。

麦秋を見れる時期は半月ほど。
わりとすぐに終わって、サーっと刈り取られてしまうので、タイミングが合わなかったのかもしれない。
育児の忙しさにかまけて、そういう時間を一緒に持たなかったこと。
自分の好きなこと、惹かれる景色や事象について、語る機会を持たなかった。
フッとそれら、後悔や切なさみたいなものをその風景と共に思い出します。
決して哀しいわけではなく、喩えるなら哀愁のような淡く微かな思いです。

誰かを何かを責める訳ではなく、そういう時間というか感性の共感のようなものは、ちゃんと意識しておかないと持てないということ。
そして、人生を輝かせるのはそのような時間の積み重ねに他ならないということも...。
日常を愛しそれらを共有することの大切さを、私は果たせなかったことで、逆説的に学ぶことが出来たのかもしれません。


自然の豊かさはその繰り返しに有ると思います。


巡り来る景色をまた違う気持ちで見れるだろう...という優しい希望をその黄金色が、ソッと囁いてくれているようです。

いつの日か
ふたり歩みし
麦秋の
巡り巡りて 
その憧れを
めぐり来ぬ
やさしき時は
麦秋に溶け


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