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母への手紙

私にはドイツの母がいる。
ハネローレという名の女性は昨夏に永眠した。

「あなたは私の娘、私はあなたのドイツのお母さんだから」

というのが口癖のようなひとだった。

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お葬式をしそびれた。


その日、私はゆっくり母を送ることが難しかった。
たった一回だけしかない機会だったのに...と嘆いたらある人が私にこう話してくれた。

「あなただけのセレモニーをしたらいいの、
それは墓地である必要はないのよ。」


そして家族間での辛い記憶に苛まれトラウマに苦しんだこと。最愛の祖父のお葬式に参列できなかった話しをしてくれた。
だから長い長い16ページもの手紙を書いて、ひっそりお葬式をしたのだと。
とても平和な時間をもてたこと。
その手紙は今も地中に有るのだそうだ。

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私は母とあまり話す事が出来なかった。
彼女がまだ元気な頃は私のドイツ語が圧倒的に不十分だった。

少ししたら母には言えない事柄に振り回されるようになった。
母にとって最愛の息子になる人とのことを話すのは嫁の立場としては難しかった。
ドイツ語に「嫁」という言葉はないけど、私は彼女にとったら息子の妻だから

話し難いことはいっぱいあった。
地雷が埋まっている場所は誰しも避けるだろう。

だから喜ぶと知っていたけど彼女の家を訪ねることが減った時期もあった。


悲しそうな顔を見るのが辛くて。


どこまで事情を知っているかを探りながら話すのには私の語学力は不足していた。
それでもなるべくギリギリのところで訪れるチャンスは逃さないようにした。
今になってみてそうしておいて本当に良かったと思う。それにより自分が救われている。


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最後に見舞った時、慣れない入院で母の精神は混乱していた。
それでも花束を持って彼女の前に立った私に、輝くような笑顔を見せてくれた。
その顔を見て初めて母の口癖は本当だったのだと気がついた。

お世辞でもなく大切な孫の母親だからでもなく、真実私自身を愛おしんでくれていたのだと解った。

なんて遅かったことよ、母はあんなにいつも言っていたでしょう...?

穿った見方をしていた自分を恥じた。

回らぬ口で一生懸命伝えようとしてくれる手を握り、初めて母の前で弱い自分をさらけだして泣いた。
泣いたら心配するとか、そういう事はもう考える必要はないと思った。
言葉はそこになかったけれど心が通うってこういうことなんだな...って手を握り締めながら感じていた。

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火葬を希望していた母のお葬式は三週間が過ぎてから執り行われた。
前の週に、お葬式には夫の相手も参列すると彼の口から聞いていた。
そういう予感があったので覚悟はあった。

私がお葬式で余計な気持ちを抱いていたら、きっと母は悲しむから。
私が母の立場ならきっとそう。
だから余計なことは考えず平常心で臨むことだけに集中しようと思ったし実際にそういう風に出来たと思う。

秋が深まり冬がやってきて季節が動く毎に、私を取り巻く人間関係は小さな問題、中くらいの問題が降り注いでくる。
そういう軋轢は、今まで何度も何度もあって慣れっこになっていたが今回は神経が疲弊しているのが分かった。

過去にうつの経験があって良かった、と唯一思うのは、自分の限界が何となく解るということだ

精神が軋む音や不安の雲が頭上を覆う雰囲気を感じたら危険なサインで、その兆候は肌感覚で伝わってくる。

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だから唐突に12月の頭、
ドイツを逃げ出してパリへ行く決心をした。
僅か三日だったがまた息が出来やすくなった。


同時に時が経てば経つほど、母の存在が私にとって思った以上に大きかったと感じるようになっていた。
実母のお葬式ではないから...と言わずにいた諸々が私を内側から突つくようなっていた。


そんな中、冒頭の会話に出遭った。

彼女は私のドイツ語の先生で結婚してフランスにいるドイツ人女性。
オンラインの語学学習からこんな会話になるなんて世界は広くてもそうそう無いかもしれない。

しばらくぶりのレッスンだったから、
「何か新しいことはなかったの?」と割としつこく聞くので近況報告が発展した形になった。


母に手紙を書いた。


もう日本語で書いても大丈夫。

思ったことを思ったままに書いた、
初めての母宛の手紙。

思い出を辿ると、忘れ難いのは最初の子を妊娠した時のこと。
告げた瞬間に文字通り飛び上がって喜んでくれた。


血の繋がりという点に置いて私は他人だと、ずっと思っていた。疎外感のようなもの。

だって外見も話す言葉も全然違うから。

“嫁と姑”という見方に固定されていた。

でも、
子供達には私からの血も祖母からの血も流れていて彼らの中で私達は繋がっているということに思い至った。

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手紙をどうするかはまだ決めていない。


しばらく手元に置いて置こうと思う。

書くまでは躊躇いもあったが書いてよかった。
先生と話ができて良かった。
幼少の辛いことまで語ってくれて向き合ってくれたこと。
本当に有難いと思った。

辛い話はどれだけ時が経っても、おいそれとは話せないし話すのは勇気がいる。
そしてエネルギーも沢山ないと話せない。

私もnoteに書くときに、自分の体験が何かに生かされたらいいなぁと思う。

今さら夫を、彼のしたことを罵ることに加担して欲しいと思ってはいない。
(1、2人でいいかな?)

そんな時期も確かにあったけれど。

嫌になるくらい自分の中で罵詈雑言は浴びせて来た。そして必要であれば今後もそうするだろうし、面と向かって言うこともあるかもしれない。

でもそれは結局どこまでも不毛で。

自分の感情や人生を別のことに使いたい。

不毛じゃない何か。
昨日の先生がしてくれたようなこと。
ひとを育てたり守ったり癒したりすること。

noteの海の中でいつか必要な人の元へ流れていって欲しい。

あなたはきっと大丈夫

夜は明けるし、雨は止む
トンネルの出口も見つかるよ、って....

そおっと伝えたい

ライン川を望む


家の側は畑が広がる



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