“愛の画家” シャガールが描き続けたもの
フランクフルトの美術館で開催されているシャガール展へ行ってきました。
シルン美術館は、常設のコレクションを持たない企画展専門の美術館で、シャガール展は15年ぶりだそうです。
2月中旬までで、ウカウカしているときっと見損なってしまうと思いました。有名だけどきちんとシャガールの絵を見たことがなくて、この機会にぜひ多くの作品に触れてみたいと思いました。
フランクフルトの街
我が家からフランクフルトまで150キロ、車で速度無制限の区間もあるAutobahnを走ると、1時間45分くらいで到着します。
日曜日の午後で美術館は入口から人いきれするくらい混雑していました。チケットを購入しても入れるのは1時間15分後ということで、それまでの間、美術館の周りを歩いてみました。
パリ オペラ座の天井画
2021年12月にパリのオペラ・ガルニエ (Opéra Palais Garnier )に初めて行く機会を得て、客席真上にあるシャガールの天井画を目にし嘆息したことがありました。
作品は、客席の真上にあり高すぎるのと明るさが充分ではないため、細部までは見えませんでした。けれど、その色遣いの鮮やかさと溢れ出る気品は遠くにあっても降り注いで来るように輝いていました。
今回のシャガール展へ行くまでは、シャガールといえば、空を飛ぶ青い馬や、さくらももこさんが好きだったなぁとか、ファンタジー色の強い奇抜な画風...そのようなイメージが大きかったです。
けれども、主に1930,40年代という時代(今回の展覧会のテーマ:Chagall Welt in Aufruhr)に描かれた60数点に及ぶシャガールの作品を見て、初めて知ったことや絵から深く感じたことがありました。
マルク・シャガールの軌跡
マルク・シャガール(Marc CHAGALL1887-1985年)は帝政ロシア、ヴィテブスク(現べラルーシ共和国)のユダヤ人が多く住む街に生まれ、生活の厳しいユダヤ人家庭で9人兄弟の長男として育ちました。
父親は鰊倉庫で働く労働者でした。
シャガールがよく魚を絵のモチーフにするのは、父への敬愛からでありました。
当時のロシアでは反ユダヤ主義が吹き荒れ、ユダヤ人に対する弾圧が見られました。
シャガールは故郷とユダヤ教に根差した文化を生涯愛し続けましたが、ロシア革命を経てソ連邦成立、そして2度に渡る大戦の影響を受け故郷から遠く離れた人生を送りました。
ロシアからベルリンを経由し、パリに居を移しましたが、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害の危機が迫り、1941年にアメリカに亡命します。
1948年に南フランスへ定住し、フランス国籍も得ましたが、故郷への愛情は生涯失われることはありませんでした。
シャガールの絵の中には、いつも妻 ベラと故郷への想いが「愛の夢」の様に描かれているのでした。
最愛の妻 ベラ
1915年、シャガールは同じユダヤ人の裕福な宝石商の娘 ベラ・ローゼンフェルトと結婚します。
マルク28歳、ベラ20歳。
身分違いの二人でしたが、その頃すでに画家として有名になっていたシャガールは、6年越しの恋を実らせ最愛の女性と結婚することが出来ました。
ベラは作家でしたが作品が生前世に出る事はありませんでした。
シャガールとの間に一女をもうけましたが、アメリカ亡命中(1941年〜)ユダヤ人を取り巻くホロコーストなどの悲惨な状況や、故国にいる家族の安否の心配などで体調を崩すことが多かったそうです。そして1944年に感染症により急逝してしまいます。(享年50)
アメリカでもユダヤ人に対する偏見やドイツのスパイを疑われる事もあり(イディッシュ語での会話がドイツ語だと誤解されたり、気分転換のための森への頻繁な散歩などが不審に見えた)、英語が不得意だったシャガール夫妻にとって困難もあったと思われます。
ベラがユダヤ人だったため病院での治療をスムーズに受けることが出来なかったとも言われていますが、詳細は不明です。故郷のベラの家族はホロコーストから逃れることができましたが、無事を知る前に亡くなってしまいました。
連合軍によるパリ解放のニュースが届き、シャガール一家は出来るだけ早くパリへ戻る予定を立てていました。そんな矢先の、クランベリーレイクでの愉しい夏のバカンス中に起こった、あまりにも突然の別れでした。
ベラを深く愛していたシャガール、ベラは彼のミューズであり最大の理解者でした。
その人を失ったことは、二度と絵筆を持てないと思うほどの喪失でした。
若い頃から描き続けて生きてきた画家は、ベラの死後9ヶ月間は描くことはありませんでした。
「シャガールブルー」と表現された青、赤、緑、黄色と色鮮やかな色彩の絵画の中で、この絵はひときわ異質な印象を放っていました。
暗い色彩は前年のベラの死を強く意識させ、絵の前に立っていると、シャガールの哀切が伝わってきました。
対照的に「空飛ぶ恋人の花束」は、月光に浮かび上がるカップルが白い大輪の花束に包まれるように描かれています。
画面右下にはシャガールが生まれたヴィテブスク村や橋が見えます。
この男女はマルクとベラであり、中央に大きく描かれる白い花束は、シャガールにとってのベラそのものだったのかも知れません。
花束の白から静かな愛が溢れているように感じ、今回私の中で最も心に残った絵になりました。
シャガールの作品
🕊️ 閑話休題 🕊️
シャガールは結婚式の絵をよく描いています。
映画「ノッティングヒルの恋人」の物語の終盤でシャガールの絵画が印象的に使われています。
アナ(ジュリア・ロバーツ)が、主人公のウィリアム(ヒュー・グラント)の経営する本屋に大きな紙包みを抱えてやって来ます。
緊張しながら精一杯の想いを伝えますが、度々大スターのアナに振り回され傷ついてきたウィリアムは、“住む世界が違う”と彼女を拒絶します。
アナはウィリアムの選択を受け入れ去りますが、持ってきた荷物は貴方への贈り物だと置いていきます。
中から現れたのがシャガールの『結婚』でした。
以前ウィリアムの家の壁に飾られていた複製画を見て、お互いにシャガールが好きだと話したことがあったのです。
更に余談ですが...
ウィリアムの友人の奥さん(車椅子に乗っていて、物語の小さな鍵を担う役)の名前が“ベラ”です。きっとシャガールファンが製作サイドに居るのでしょうね。
“天使の墜落”も習作を含めて繰り返し描かれています。
ピカソとシャガール
シャガールは“色の魔術師”とも言われ、
「君の絵は色彩が歌っている」とサンクトペテルブルク時代(1909年頃)の師バクストは感嘆したそうです。
また同世代のパブロ・ピカソ(通説では仲はあまり良くなかった)は後年シャガールのことをこう語っています。
呟きのようなあとがきにて
今年に入って間もなくあるnoterさんが、12月の終わりにお亡くなりになっていた、と知って衝撃を受けました。
彼女は料理の記事をよく上げられていて、いつも私の記事にスキやコメントをくださっていました。
最近記事を見ないな...と思っていたところでした。ご家族の方が報告という形の記事でお知らせくださいました。
お会いしたわけでもなく、note上での二次元でのお付き合いでしたが、それでも思い出すと胸が痛みます。
いろいろな事があるのが人生
シャガールの作品から、悲しみや愛や郷愁が感じられました。描いた人も、愛した人も、皆もういなくなってしまっても絵に残され、そこに在るという事を感じました。
シャガールの描いたものに触れ「芸術は愛」なのだと知りました。
日々はいつもバタバタと駆け足で過ぎて行く様ですが、ただ「忙しい」と思うだけでなく、そういう毎日に感謝して過ごしていこう...
そう思っています。
長い記事を最後まで読んでくださりありがとうございました。
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