商店街への追懐
先日、四国へ出かける用事があった。
泊まったのはとある港。
宿泊したビジネスホテルから外を見ると商店街の看板がある。
何となく気になったので翌日、端から端まで歩いてみた。
地域おこしにおいてよく叫ばれるのが「商店街を元気に!」という類のものだ。
正直自分にはその感覚がよくわからなかった。
理由は明快。商店街の類があるところに住んだことが無いからだ。
商店街たるものがどんなものか自身がちゃんと体感したことがない。
という訳で、とりあえず寄ってみることにした。
第一印象として正直に述べると
「元気にしたいという感覚は理解できた。ただ、地域の為を考えると『別の何か』にしてしまった方が良い気がする」
というものだった。
商店街はノスタルジーの塊だ。
ボロボロの屋根、切れかけた電灯、古いフォントの標識、所々にある朗らかな川柳、レトロな喫茶店、埃を被った食品サンプル…
どこか心に訴えかけるような場所。
初めて訪れた自分ですら何か感じるものがある。
ここが、かつて人が集う場所であったことは想像できる。
ここに育てられた人にとっては思い出が詰まっていることだろう。
かつて地域を支えたこの場所をかつてのように元気にしたい。
そのような心には地域に携わる者として一定の共感がある。
ただ現実問題はどうか。
土日の昼だというのに誰もいない。
少なくともお金を落としそうな人は歩いていなかった。
タンクトップに麦わら帽子、日向を避けてチャリをこぐおじいさん。
覗いてみただけのお兄さん。写真を熱心に撮っている。手にはカメラしかもっていない。
商店街側もノスタルジックというと聞こえは良いが、暗い。
4/5の店舗はシャッターが下りており、開いているものもパッと見ただけでは営業しているかわからないものがほとんど。
店員も俯きがちであり、いざ足を踏み入れると「おや珍しい」といった反応が返ってくる。
これを「元気にする」というのは正直無理な話では?
というのが正直な感想だった。
実際、活性化した事例はあるが、それは相当な労力と自分レベルでは受け止めきれないであろう想いと金銭が絡んだプロジェクトである。そのような熱意は実際、「シャッターを閉めている人」からすると迷惑なものにもなりかねない。
それを乗り越えて「商店街を元気に」するのはおそらく並大抵のことではないだろう。
勉強させてもらったのだから何か買わねば。
そう思ったが、仕事で遠方から来た人間が買うようなものは残念ながらほとんどなかった。
時間もあまりなかったので結局お饅頭をいくつかとお茶だけ買った。
安くて美味しかったが、また足を運ぼうと思えるほどのものではない。
商店街の切れ目に一部店舗が「商店街を元気に」するための施策を行っているのが見える。
若い方がやっているお店だろうか。そのような姿には心が熱くなるが、同時にどこか暗澹たる気持ちも抱いてしまったが正直なところだった。
次来るときに、この場所は「元気に」なっているだろうか。
自分が四国に来れることはあまりない。
一部、燃えている意欲の炎をどこか心残りに感じてながら後にした。
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