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目指すのは「自己実現」であって「他者再現」ではない

SNSとか見てると特によく思う
ついつい 自分もこの人みたいになりた〜いと安易に思ってしまうから

↑これは理想を持つことを否定している訳ではなく…
「この人みたいになりたい」というのが、自己実現のロールモデルにしたい、
みたいな、
「自分の延長線上にあるより良い自分」を想うニュアンスならいい

ただ今回の場合は単に「その席代われ」的な…
「私ではない誰かになりかわりたい」というニュアンスだったので、おっとこれはいけねえと思った

私ではない誰かになろうとすることは、全くもって意味ない

例えば「わっこの人の絵、いいな〜!私もこんな絵描けたらな〜!」と思ったとしても、
じゃあこういう絵が描きたいかと言われたら別にそうでもなかったりする
それを手にしている人を見て「羨ましい」と反射的に思うけど、冷静に考えてみればそれは別に自分の欲するところでもないし、それで手にすることができたとしても「これは私のものだ」とは思えないだろう
「所詮あの人のレプリカ」と思ってしまうだろうな
と思う


ある世界に漬かっていると、その世界観にそぐわない自分を矯正しようとする
でも、一度その世界から離れてみるとまた別の世界観があり、そうすればそこでまた矯正しなければならなくなる

あの世界では馬鹿にされてたのに、この世界では尊ばれる なんてことがままある 逆も然り

周りの世界観と合わせるために矯正したのに、場所を変えれば私の矯正済の世界観はまた周りと合わなくなってしまって、一からやり直し
そんなことを繰り返してるうちに徒労感を抱きはじめる


色んな角度から見れば、あらゆる物事は否定することができる
「これが一番いい」なんてないんだなと思う

逆に言えば、色んな角度から見ればあらゆる物事は肯定することができるので、私は別に自分以外の「何者か」になろうと焦る必要はないような気がする
それが「なりたい自分」ならば目指せば良いと思うが、「自分以外」を目指すのはしなくても良い
と思う
今の私や、素の私が不正解だとも一概には言えないから…


自己満足できなければ他者からの評価に身を委ねるしかないのに、その評価は住む世界によってコロコロ変わってしまうから、わざわざ自分を変えたのに結果そんなに報われない、ということになる

自己満足は絶対評価なので、そちらに身を委ねたほうが安定すると思う

そんなことを考えてた

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