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20世紀の「コロナ」。21世紀の「コロナ」。

 今回は話も、写真も古くなり、申し訳ないのですが、ここ↑には「20世紀のコロナ」が少し写っています。20世紀の後半、クルマといえば、代表的な車種の一つとして「コロナ」の時代が確かにありました。それも、まだ「マイカー」という言葉が、輝かしく見えていた頃の話です。

20世記のコロナ

 コロナは、1957年から2001年まで生産・販売されていたクルマで、特に高度経済成長期には、代表的なマイカーとして親しまれていた、というのですが、それは、自分が育った家庭でも例外ではなく、社宅の駐車場にはコロナが止めてあって、そのクルマで、父は平日は会社に通い、日曜日は家族を乗せて、観光地に出かけていました。その息子である私は、そのドライブに対して、当時、好きだった城や寺以外だと、それほど乗り気ではなく、どこかに出かけるよりも、社宅の空き地でのんびり遊びたかったのですが、そういう異論はあまり聞き入れてくれませんでした。

 それでも、小学校時代は、家族揃って出かける機会は少なくなく、それなりに思い出は蓄積し、気がついたら、クルマの記憶、その当時はクルマを所有することがステータスで、「マイカー」という微妙にダサい呼び名も輝かしい頃でしたが、私にとっては、その「マイカー」は、コロナとイコールになっていました。

 だから、家族の記憶の一つとして、今でも思い出すのは、コロナ、というクルマです。

太陽の時代

 1960年代から1970年代の当時は、冷静に振り返れば、トヨタでも、他にカローラ、マークⅡ、クラウン。そのライバル社である日産は、ダットサン、ブルーバード、サニーなどがありましたが、記憶に残っているのは、自分の家にあり、おそらくもっとも多く乗ったコロナであり、それから、サニーでした。自分の家でトヨタのクルマに乗っていると、日産がライバル会社、といった見方になってしまうような時代でもありました。

 そう思えてしまったのは、父親が話題に出していたからでした。コロナ太陽に関係があるから、日産が次に出すなら、やっぱり太陽がらみで、だから、サニーという名前になると思っていた、といったことを語っていました。それがどこまで本当なのか、を確かめることもできませんでしたが、確かに、高度経済成長期から、オイルショックを迎えるまでは、世の中が、とても楽観的な空気につつまれていて、明日は今日よりよくなる、という、今から見れば、それほど根拠のない信念を、みんなが持っていたように記憶しています。

 そういう空気感と「太陽」は、とても相性がよかった印象がありますサニー、1966年から、2004年まで製造・販売されていたので、コロナと同じような時代のクルマだと思います。

 少なくとも、1970年代初頭くらいまでは、工場の出す煙は繁栄の象徴で、太陽と一緒の映像を何度も見た記憶もあります。それは、もちろん、これから空へ登って行く太陽でした。

 だから、他にも、全部は覚えていませんが、太陽がらみのネーミングが多かったと思います。
 「太陽の季節」(石原慎太郎)は、1955年という、高度経済成長の始まりの頃に書かれています。 そして、高度経済成長期の終盤、1970年の大阪万博の会場には、「太陽の塔」がありました。

21世紀のコロナ

 時々、ビールの名前として、コロナと聞くくらいで、21世紀になり、社会的には下降線の中で暮らすことになり、良くも悪くも成熟した時代には、太陽がらみのネーミングは、似合わなくなってきていたと思っていました。ああいう、圧倒的なエネルギーを持つようなものは、なんとなく、今の時代には、居場所がないような感じがしていたせいもあります。

 だから、2020年になって、新型コロナウイルスとして、「コロナ」という名前を毎日のように聞くようになった時は、20世紀には、個人的には、コロナは、マイカーで、プラスなイメージで、しかも過去の言葉でしたから、変な座りの悪い気持ちもありました。

 もちろん、電子顕微鏡での写真を見れば、太陽がらみの命名も納得がいくのですが、正式にはCOVID-19といい、今でも、専門家や、それに類する人は、そちらを使っているようですが、一般的には「コロナ」といわれていて、これからも「コロナ」と呼ばれるでしょうし、21世紀のコロナは、間違いなく、新型コロナウイルス になると思います。

 その感染のスピードや規模を考えたら、とんでもないウイルスでもあるのは間違いありません。これから、どれだけの被害があるか分かりませんし、自分がどうなるのかも見えません。でも、不謹慎かもしれませんが、「20世紀のコロナ」は、確かに登る太陽でしたが、「21世紀のコロナ」は、間違いなく落日の太陽だと思いました。

 コロナ、という名前で、クルマを思い出す世代は、かなり高めになっていると思いますが、そのことを知らない世代よりも、新型コロナウイルスという21世紀のコロナに対しては、私と同様に、複雑な思いを持っているのかもしれません。


 こんな形で、2020年代を迎えることになるのは、1年前でも想像もつきませんでした。言っても、思っても、仕方がないのは分かっているのですが、世の中が変わってしまって、その終息が見えず、おそらくは元に戻れないことに対して、やはり、悲しさや無念さなどは、普段はそんなに感じなくても、ずっと気持ちの底にあるのだと思いました。それは、20世記のコロナの思い出が、そんなにいい記憶ばかりでもないのですが、その意味合いが変えられてしまった、ということでも、やはり、微妙な悲しさもあるのだと、改めて思いました。



(参考資料)




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とても個人的な「平成史」

言葉を考える

暮らしまわりのこと。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」① 2020年3月

『自分史上、最古のフェイクニュース』から、現在の「フェイクニュース」のことまでを考える。



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