見出し画像

『「日常」の「基準」が分からなくなった土曜日』。2020.9.12.

  曇りで、気温が低めで、カサの種類で迷い、バタバタして、結局、折りたたみカサを持って、土曜日は、午前9時前に出かける。

「テナント募集」の張り紙

 駅前の「テナント募集」の張り紙。地元の町から、マクドナルドが去って、何もなくなって、気持ちが沈んでいるところに、ギャラリーができて、そのあとに「カフェ」が新しくオープンして、少し気持ちが明るくなってきたのに、その「カフェ」は、いろいろと形態をかえて、コロナ禍の時でも工夫をして開き続け、先日は、知人が1日ショップのような企画で、その場所で、カレーを食べて、おいしくて楽しい記憶があった。

 そこが、閉店した。

 電車に乗ると、思った以上に冷房が強く効いていて、窓は3分の1くらい空いている。
 親子連れの、小学校に入る前くらいの幼い男の子が、明らかに手作りのマスクをしている。確か、5歳以下にはマスクは必要ない、といった話が夏になる頃に言われ始めたことを覚えているが、それが守られるよりも、小さい子供たちも、どんどんマスクをし始めたのが、この何ヶ月だったように思う。

 それを、すごく嫌がっている姿は、少なくとも外ではほとんど見た記憶がないので、みんながマスクをする「日常」が当たり前になってきている中で、育っているのだと、改めて思った。

「日常の基準」の混乱

 駅で乗り換えると、電光掲示で、高崎線が遅れている、という文字が流れている。

 電車が来て、電車に乗る。
 土曜日の午前中のせいか、都内のJRでも、それほど混んでいなくて、親子連れが目立つ。

 若い父親と母親と2人の子供。
 男の子は5歳くらい。女の子は3歳くらい。
 電車に乗り込む時に、男の子は、母親と。女の子は父親と手をつないで、そのまま、4人で、横に並んで座る。
 母親、男の子、女の子、父親の順番に並んでいる。
 
 母親が、ペットボトルの麦茶のフタをあけて、男の子に渡す。

 男の子は、かわいい柄のマスクしていて、飲む時に、はずしたりしている。
 男の子は、それを飲んで、そして、すごく自然に、女の子(妹)に渡す。
 
 妹は、マスクをしていない。麦茶に、少し口をつけて、それから、また男の子に渡して、それから、ペットボトルは、母親に戻っていく。

 父親が、男の子に、「〇〇ちゃんは、優しいね」と声をかけているが、私も心の中で、同意しながら見ていた。

 これは、家族の中だから、なんとなく気持ちが少し温まるような感じもあったのだけど、ふと思ったのは、これが、ペットボトルの手渡し合いをするのが、今のコロナ禍の中で、違う家族だと微妙にならないだろうか。または、電車の中などで、見知らぬ子供に、「ノドが乾いた」と言われて、もし私が「親切のつもり」で、新しいペットボトルのフタを開けて、子供に渡したとしたら、それは今は、おそらく無神経な振る舞いとして、非難される可能性すらある。

 今年に入って、まだ1年もたっていないのに、「日常」はいったんとても縮んで、そして、今は広がっているけれど、その広がり方がバラバラで、だから、「日常の基準」が分からなくなってきていることに、気がついた。

 駅について、歩いていたら、脚立が立ててあって、新しいビルの敷地に植えてある樹木の伐採をしている。その前を歩いている短い時間の中でも、枝の固まりが落ちてくる。ひとつ、もうひとつ。意外と重そうだったけれど、これはメンテナンスで、とても「日常的な作業」のはずだが、今まで後回しになっていなかっただろうか。

 そのあと、午前中に、地震があった。

戻り方の異なる「日常」

 午後4時半頃に、また駅にくる。
 トイレに入って、せっけんを使って、わりと丁寧に手を洗っていた。
 あとから、若い男性が隣にきて、水を出す。
 片手だけを、さっと濡らして、髪をととのえ、私より先に出て行った。

「日常」の戻り方が、人によって違うけど、これから寒くなってきたら、コロナ禍の広がりは、どうなるのだろう、とは思った。

 電車に乗って、乗降客が多い駅で、若くおしゃれな女性が二人で、飲み物を持って、乗ってきて、マスクをしているけれど、楽しそうに会話をしている。スマホリングがかわいい。その空間に、明るさがあって、なつかしい「日常」があるような気がした。

変わっていくこと

 電車のドアの上のニュースが流れていく。

 

 インフルエンザワクチン  10月1日から、高齢者優先
 
 室伏広治氏 スポーツ省長官に

 アメリカ トランプ政権 国交正常化

 アメリカ西海岸山火事  「まるで火星」


 JRの駅で降りて、久しぶりに駅ビルのM2階に行ったら、ツタヤがなくなっていた。「駅前ツタヤさんで」と、の子さんは歌っていたのにリンクあり)、と思う。

 いつ来ても、あると思っていたのに、いろいろと変わっていく。


 大手の洋服チェーン店では、今も、入り口ですべての人の検温をしている。

 本屋には「コロナは無症状の風邪」という見出しのある雑誌が、本当に並んでいた。

 駅の公衆電話は、久しぶりに自分以外の人が使っていたが、すぐに通話は終わって、家に電話をかけた。今日のおかずの話になり、妻は迷いながらも、久しぶりにお刺身が食べたいというので、帰りにスーパーへ寄って、マグロとカツオの刺身を買って、帰った。

 夕食で、妻は、すごくおいしそうに食べてくれた。うれしかった。



(有料マガジンも始めました↓。①を読んで、興味を持っていただけたら、②も読んでもらえたら、ありがたく思います)。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」① 2020年3月 (無料マガジンです)。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」② 2020年4月  (有料マガジンです)。



(他にも、いろいろと書いています↓。クリックして読んでいただけたら、うれしいです)。

いろいろなことを、考えてみました。

noteについて。書くことについて。

言葉を考える


#日常   #コロナ禍   #コロナ禍日記   #マスク

#日常の基準   #日常の基準の変化   #生活

#新型コロナウイルス   #毎日連続投稿





記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。