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読書感想 『悔しみノート』 「正しい青春の記録」

    ラジオを聞いていて、気になる話があった。
 最近、ラジオをきっかけで読む本が改めてすごく多いと思い、少し恥ずかしいくらいだけど、それでも、この時の引っかかり方は、ただ「いい本があります」という紹介ではなかったので、余計に気にかかったのだと思う。

 その時は、ややぼんやりとして聞いていたので、要約も微妙にあいまいだけど、リスナーからの相談があった、それに対して、パーソナリティのジェーン・スー氏が課題を出した。話はそこで終わらず、その課題が本になった。だから、自分の責任もあるので、紹介します、という話だった。

 改めて検索して、その本の詳細を知った。
「悔しみ」「梨うまい」という、書名に関して、あまり使わないような名詞があったことで、より、きちんと聴き取れなかったことが分かったような気がした。

「悔しみノート」  梨うまい

 書名も、著者名も、微妙だった。著者名は、ラジオネームということも知った。AMラジオで、よく耳にするような癖の強い感じではなく、おそらくは「1周回って」微妙に無造作な名前にしただろうから、そこにより自意識の強さを感じた。

 この本の「はじめに」の書き出しも、こういう言い方はどこか失礼だと思いながらも、最高の「青春な書き出し」だと思った。ここまで自意識を正直に出すことには、確実に勇気もいるからだ。

できればこの前書きで何も言い訳をしたくないんだ。

 この「はじめに」の中で、本になるまでの経緯も描かれている。
 最初は、自分自身にいろいろな「逃げ」を用意しながらも、番組にメールを送った。その内容は、何を見ても聞いても悔しい。だけど、ものづくりから逃げ出した自分には何もできない。何が向いているのでしょう。そんな少し絶望を感じさせる内容だったようだ。

 これにパーソナリティのジェーン・スー氏が応えた。

「悔しみノート」ってのを作ったらどうかな。今日から観たエンターテイメントで悔しかったやつ全部ノートに書くの。
 そりゃ22歳で大学出てそのあとフリーでやっていきなりうまくいくわけないよ!とりあえず「悔しみノート」の作成を命じる!

 とても素晴らしい答えだし、嫉妬するほど絶妙なのが「悔しみノート」というネーミングだった。「悔しさ」では、たぶん足りない。嫉妬で煮詰まったようなものが「悔しみ」になるのだろうし、そのことによって相談者が業の深さを表現しやすくなること。さらには、その言葉によって、この相談者を、後押しできるのではないか、というとても的確な判断だと思う。

 それに「梨うまい」氏が応え、1年間(おそらくは2019年)色々なものを見ての「悔しみ」を書き続けている。その上、その「悔しみノート」を、番組に送る。さらに、それに対して、ジェーン・スー氏は、書籍化を出版社に呼びかけ、それが本になる。念がいったことに、本になってからも、そのことを番組で告知する。ジェーン・スー氏は本来の意味での責任を見事にとっていると思う。

「悔しみ」にまで育つ理由

 ドラマ、本、映画、ミュージシャン、芸人、脚本家、CM、演劇、映画監督、そして著者自身も直接関係ある俳優……。

 エンターテイメントの様々なジャンル。いろいろな役割に対して、万遍なく、「悔しみ」を煮詰めている。それは、うらやましい、という嫉妬が主原料なのだと思う。

「天才はあきらめた」、「あん」、「ナナメの夕暮れ」、「ハウルの動く城」、「ボヘミアンラプソディ」、「獣になれない私たち」、「検察側の罪人」、「カメラを止めるな!」、「女子と女子」、「凪のお暇」、「SEX AND THE CITY」、「逃げるは恥だが役に立つ」……。

 だから、もちろん目にするあらゆる「作品」に対して、「悔しみ」は発生している。中には、見たら嫉妬しそうだから、と見るのを避けながら結局は触れてしまう作品もある。そして、どの「作品」に関しても、最後に、よく、これだけの嫉妬や「悔しみ」の表現の幅があるのかと、少し驚くほど、様々な言葉を絞り出している。

 それだけで、尋常でない熱量があるのは間違いない。

 そして、どの文章も、その「作品」を本当に真っ正面から受け止めて、とても高い集中力で見極めようとしないと、とても書けないような文章ばかりであることに気づき、いわゆる世の中に数多くある「評論」というのは、最後に「うらやましい」ということを書かないだけかもしれない、と思うほど、きちんと見て聞いて感じて考えているのが伝わってくる。

 そうでなければ、これだけの「悔しみ」にまで育たないと思うから、この「梨うまい」氏は、実は、ほぼ理想的な観客でもあると思う。

「フェア」な姿勢と、「文字相」の良さ

 嫉妬や「悔しみ」などにあふれているのに、読んでいて、ひたすら闇に落ちていく感じはしないのは、フェアな姿勢を崩していないせいもあると思う。

 例えば、「ウドウロク」を読み、著者のフリーアナウンサー・有働由美子氏の「セクハラ」に関する記述を読み、その姿勢に対して、ガッカリしながらも、現在の有働氏が、過去の著書の内容とは違って、自分たちの世代の姿勢が、今のセクハラの間違った許容につながってしまったことを詫びる発言をしていたことを見て、その「変化」に対して「意識のアップデートは、とても大変」という前提で、このように評価している。

 アッッッップデーーーートされとるうううう!!
 ホント感激しちまった。アップデートしてんじゃん!スゲェ!! 


 この書籍は、著者の思いが、より伝わりやすいように、という狙いのためか、ところどころ、活字に変えずに、実際の「文字の筆跡」のまま印刷されているのだけど、その文字は、素直にきれいに思えた。

 これも、個人的には、文字がきれいなのは、心がきれい、とは決して思わないものの、それでも、この文字は素直で読みやすく、達筆とはいえないかもしれないが、人相の良さのような、「文字相が良い」印象を受けるので、どこか爽やかさ、みたいなものが伝わってくるような気がする。

「正しい青春」

 この著者の状況を表すとすれば、今は、やや恥ずかしい表現になってしまったし、著者自身には嫌がられそうだけど、「青春」なのだと思う。そして、実は、いくら歳をとったとしても、たぶん人類は、種として生き残るために、他の人を気にするようにセッティングされているような気がするので、「青春」状態に濃厚に存在する「嫉妬」という感情から、完全に自由になることはないとも思う。

 ただ、この著書が「正しい青春」と思えるのは、やはり、この表現も安直なのだけれど、若いから、その「嫉妬」の火力が強く「悔しみ」の煮詰まり方が激しいと感じるのだけど、それを正直に表していることが、「正しさ」の印象につながっているのだと思う。

 それでも、その嫉妬の火力は個人差もあって、その強さ自体が、場合によっては、本人を滅ぼしてしまうかもしれない、ということは、この著書を読んでいてひしひしと感じる。

 だから、「悔しみ」を書くことにより、ほんの少しでも自分の外側に、その「悔しみ」を置くことで、自分自身を滅ぼすことから、ギリギリに逃れられた記録でもあると思った。

 出版の話をいただいて後日スーさんにお会いしたとき、私は後押しをしてくださった御礼を申し上げると共に、「死ななくて良かった」と言った。
 あれはいい身体の感覚だった。心の底から本気で思っている言葉が口から出るというのは、実は日常生きててそうあることではないと思う。散々ノートに本心を書きなぐったから、ボトっと本音が出るようになったのかもしれない。


 

 もしかしたら、「若さ」というのものは、「嫉妬」が強くできる能力かもしれなくて、同時に、年齢に関わらず、いくつになっても、どんな人間にでも「若さ」が全くなくなるわけでもない、という印象が、自分が歳をとるたびに、深まっている。

 そして、嫉妬の炎というものがあったとしても、その火力は、年齢を重ねることによって、確実に弱まっていくのも事実だから、自分を滅ぼす確率は減り、逆に嫉妬があることによって、自分の「若さ」を確認できるというプラスの作用まで出てくるように思う。


 だから、もちろん、「悔しみノート」は、若さの真ん中にいる方々に読んで欲しいのですが、こうした「正しい青春の記録」を読むことによって、「悔しみ」を発生させ、自分の中の「若さ」を確認できる、という意味でも、年齢を重ねた方にもオススメできると思います。

 そして、この本を読むことによって、新しい「悔しみノート」が生まれてくる可能性も高いと感じてもいます。



(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしく思います)。



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