ドラマ10 『半径5メートル』 「変われない男」も描いた最終回。
ドラマ「半径5メートル」の最終回を見終わってから、すでにかなりの時間がたった。
最初は、活字媒体に関するテレビでの描き方は、これまで何度も「ひどい」と思われることがあったので、それほど期待もしていなかった。
以前は、活字媒体に対しての、映像メディアからの見方が、やや歪んでいたせいもあったかと思うけれど、それは、おそらくは活字媒体の方が、いわゆる「偉かった」時代のなごりで、そんな風に描かれることは、すでに昔のことになっていたから、自分の感覚が「古く」なっていただけかもしれない。
そんなことを改めて思えたのは、この「半径5メートル」が、出版界の事情も含めて、様々なことが、かなり丁寧に描かれていたドラマに感じたからだった。
(※ここから先はネタバレを含みます。もし、ドラマ未見で、純粋に楽しみたい方は、これ以上、読まないなど、気をつけてくださるよう、お願いいたします)。
「半径5メートル」
このドラマも、色々な方が、さまざまな視点で語ったり、書いたりしていると思いますので、この視点もすでにどなたかが述べているかもしれません。さらに、私の見方も未熟かもしれませんが、このドラマの主人公の交際相手の男性の変わらなさについて、気が付いたことを書きたいと思います。
舞台は、おそらく大手出版社の女性雑誌の編集部。
いわゆる有名人のスキャンダルなどをスクープする部署があり、そこは「一折」と言われている。その「一折」は売り上げを左右し、この雑誌の主力で、花形という自負がある。主人公の前田風未香(芳根京子)は、最初は、この「一折」所属だった。
そして、第一話から、主人公の前田風未香(芳根京子)は張り込みの際に、ベテランのカメラマンにセクハラ発言を受け、それに対して、後に付き合うことになる先輩記者・山辺晃人(毎熊 克哉)が、うまくかわせるようになったことを、評価する。
このあたりで、山辺は「古く」ないだろうか、という疑念が起きる。
セクハラをうまくかわせるようになることを、評価するのは、セクハラそのものを認めてしまっていることに近く、その価値観は、少なくとも「今のドラマ」では、「古い存在」となってしまうことが多いからだ。
そして、張り込みしていたのは、若い男性の俳優が、30歳歳上の女優と付き合っている、という現場を抑えるためだった。それに対して、そんな年上はありえない、といった見方をしていたのも山辺とカメラマンだった。この感覚も「古い」ような気がする。確かに多数派ではないかもしれないが、人によるからだ。
そして、結果として、そのスクープ現場で、主人公は失敗をしてしまう。ただ、そのミスは、主人公の観察力が優れていて、細やかなことにまで気がついてしまう、ことが原因となっている。それが、のちにはプラスにつながる可能性も感じさせるが、その時は、とにかく失敗をしてしまったので、社内的には一種の「左遷」のような異動を命じられる。
その異動先が、「身近な生活情報記事」を担当する部署、通称「2折」だった。
「古く」見える男性
その異動をきっかけとして、前田風未香は、もう一人の主人公ともいえるベテランのライターの亀山宝子(永作博美)とも出会い、編集者として成長もする事になるのだけど、その頃、「1折」の山辺とも付き合い始める。
それは、前田にとっては「顔がとても好み」と言っていたので、きっかけさえあれば、付き合うのには十分すぎる理由にも思えたのだけど、そのあとも、その山辺の「古さ」が、視聴者としては気になり続けた。
それは、「モテる」男性を見ると、同性としてひがんでしまう、という自分自身のバイアスがあるので、本当に古いのか?とも自分を疑いながら見続けていたのだけど、その自分のバイアスを差し引いたとしても、やはり、意識的に「古い」男性として描かれているかもしれないと、回を進むごとに思い始めた。
(このことは、このドラマで描かれている山辺晃人という役についてで、言うまでもないことだと思いますが、演じている俳優・毎熊 克哉が古いわけではありません)。
変わるべき男性
山辺晃人は、付き合い始めると、当然のように荷物を持って、彼女のアパートにやってくる。それは「モテる」人間であれば、当然の行動原理なのかもしれないし、拒否されることが前提にないような言動が、より「モテる」場合もあるのかもしれないから、仕方がないと思う。
それでも、そうした行動は、何か、ちょっと嫌な気持ちがした。自分自身が「モテない」男性であったので、歪んだ見方であるかもしれないが、でも、ドラマを毎回、見続けて、この山辺は、実は「古い」から、「変わるべき存在」として描かれているのかもしれない、と思い始めた。
編集者として、記者として、相手の懐に入るのが早い、というコミュニケーション能力が高いとされていて、それは、確かに大事な力だと思う。ただ、これはひがみとして、爽やかで人当たりのいい2枚目であれば、有利だし、ゴニョゴニョ、ということも思ってしまうけれど、それ以上に、山辺には、確かにそういう能力はあるのだと思い直す。
個人的な狭い経験で申し訳ないのだけど、随分と昔、マスコミの世界で働いていた時に、人との距離を詰めるのがとてもうまい人が記者が何人もいた。取材対象者と、すごく仲が良さそうにしているから昔からの知り合いかと思ったら、5分前に初めて会ったばかり、ということが一度や二度でない記者も存在した。
このドラマでの山辺のあり方は、その昔のことを思い出させて、その能力は、本当に真似できない凄さはあるものの、場合によっては取材対象者と一体化しすぎて、批判的な見方も失わせる、というマイナス面もある。
それは、昨今の様々なメディアでの、特に政治部などのあり方とも関わってくる問題点でもあるのだけど、山辺も、この一体化しすぎると思える行動で、大きなスクープはとってくるのだけど、その距離の近さで、違和感に気づけず、大きな失敗をしてしまうことがあった(第5話)。
ここで、山辺は、「変われるチャンス」はあった。
山辺は、何かのおりに、彼女である前田風未香に対して、「2折」を下に見るような発言をしてしまうような男性だった。ただ、かなり落ち込み、そこから亀山宝子や前田の尽力もあり、回復してきたのだけど、最終回を迎えるまでは、その山辺が「変わる」のかどうかは、視聴者としては、判断できなかった。
変わるかもしれない組織
最終回では、交際している山辺晃人と前田風未香の、取材対象者が同じ人物になる。
興津美咲(西原亜希)という新興のIT会社の女性社長。
子育てアプリの開発を巡り、行政との間で、何かトラブルが発生しているらしいが、最初に記事を出したのは山辺だった。その内容は、元ホステスで悪女、というもので、それまでの「リケジョで才色兼備」のイメージとは真逆の内容だった。
これに、前田は納得できない。確かに、その記事は「女性社長」だから書かれた(偏見のある)記事のようにも、視聴者でも思えた。
そして、周囲にも取材をして書いていると山辺は言うのだけど、「元ホステスで、悪女」といった見立てに、女性蔑視のバイアスがあって、そのことに山辺本人が気がついていない感じがした。
最後は、前田風未香が自らの観察力と行動力によって、取材対象者である興津社長に、本当に思っていることを聞く機会を作ることができる。そして、二人きりの空間で、核心を付くような質問をした後に、相手が話し始めるまで、それも息を呑むように構えることなく、自然に待てていて、インタビュアーとしても、十分以上に成長している姿も描かれた。(こうした「適切に待てる」場面が、ドラマで描かれたことは珍しいと思った)。
これだけ話が聞ければ、それを元に「いい記事」が書けるのは自然な流れだった。その記事は、表紙の上部に大きく見出しになるくらいの成果につながり、社内での評価も得た。
それは、すでに書かれていた山辺の「1折」の記事を上回るような内容だったのだろうし、冷静に考えたら、「1折」の顔を潰すようなことだったのもしれないけれど、これを決断したのは、ライター・亀山宝子を呼び寄せた女性の編集長だろうから、この件で「2折」の存在価値も上げる目的も果たせたのかもしれない。
大臣のセクハラというスクープを書いた(第6話)のも「2折」のライター宝子だったから、もしかしたら、少しずつでも、雑誌の性格が変わっていく、という未来があるのかもしれない、と思わせた。
変われなかった男
その最終話。その記事の掲載前に、前田風未香に原稿を渡され、それを読んだ山辺晃人は、微妙な表情で、アパートに現れる。
そして、山辺は、記事のことを評価しながらも、好きで応援したいけど、でもライバルだから応援できない気持ちがある。と言いながら、荷物をまとめて、部屋を出ていく。
「俺ももっと、頑張らないと」。
山辺は、ここで「頑張る」という言葉を繰り返す。
「1折」では、みんなが注目するような、部数を稼げるようなスクープがえらい。
それは資本主義の社会では必要だと思うが、その価値観に対して、おそらくは疑いなく、山辺は仕事をしてきた。あまりにも一体化しすぎていたようにも見える。
その価値観を揺さぶるような記事を書いた彼女である前田。それも、この時点では、彼はライバルではなく、完全に彼女の方が優れた記者であるのに、ライバルという表現で、負け(という表現が適切かどうかはともかく)も認めていない。
彼が、これから目指すべきは、「変わる」ことだったのではないか。
よりスキャンダラスなこと。より部数を稼ぐこと。本当にそれだけで、これから先も、雑誌は生き残っていけるのだろうか。
そんな時代の節目にいるにも関わらず、山辺の口からは、「俺も変わらなきゃ」ではなく、「頑張る」という言葉しか出てこない。
それは、基本的には、方法は変えない。だけど、そのままパワーアップして、負けないようにする。
そんな宣言でもあるのだろう。
初回から、山辺は、「古い」存在に見えた。
それは、ドラマの中での若い俳優である浅田航(倉悠貴)が、相手の年齢にもこだわらず、主人公の細やかな観察眼を素直に評価もできることと比べると、より「古く」見えてしまうから、主人公の前田風未香が「これから」を生きるのであれば、別れた方がいいのに、と勝手に視聴者としては思っていたのだけど、最終回に、そうした選択をすることになった。
そのことで、山辺が「変わろうとして、変われなかった」ことまで描いていたように思えた。
山辺は、どこかで(言い過ぎかもしれないが)、自分よりも下に思える相手としか付き合えないから、去っていったし、このままだと、さらに若く、山辺から見て「未熟」に思える相手としか付き合えないのではないだろうか、と予感させる。今回は確実に「負けて」いるのに、それすら素直に認められないから、そんなことを思ってしまう。
変われない男と、変わろうとしている組織。
その両方も描かれていたドラマだと思った。
不満と満足
一つ、不満があったのは、亀山宝子(永作博美)の扱われ方だった。
この人のライターとしての力を編集長が認めているのであれば、なるべく早い時期に、例えば「オバハンライター」の記事を単行本として、出版し、彼女のライターとしての力を、社会に対しても、より正当に評価されるようにしてほしかった、と思った。
このドラマは予定は10回だったが、緊急事態宣言のこともあり、9回になった、という。もしかしたら、なくなった回で、そうしたことも描かれたのかもしれない、と勝手ながら、思いたいです。
それでも、全体的には、他にもいろいろと書きたくなる「いいドラマ」だったと、個人的には思います。
(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。
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