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『「サッカー」という時間』(前編)

  古くて、すみませんが、2010年1月、主に全国高校サッカー選手権の試合の話です。
 自分が中学生の時に見て、すごいと思っていた選手が、監督として、全国大会に出場したと聞いて、1回戦を見に行きました。
 その時に書いた文章です。どこかに応募しようとして、どこにも送らず、そのまま誰にも見せずに、ただコンピューターのフォルダの中にあったものですが、よろしかったら、読んでいただければ、ありがたいです。

高校サッカー選手権

 中学生なのに、どこかクールな気配を漂わせていた。フリーキックになり、ボールを芝のピッチに置く時に、ふっと逆回転をかけて微妙に放り投げる。スタンドから見ていて、そのプレーのうまさと妙に一致していて、なんだかかっこ良く見えた。もう30年以上前の出来事なのに、その一連の動きは、まだ目の前にある。



 2010年1月2日。 

 最寄りの駅が2つあり、そのうちの小さい方の駅に着いたら、武相高校のスタッフの男性が2人いた。首からカードをぶらさげていた。ここから歩く。約20分かかるらしい。歩いて、地図を見ながら角を曲がり、途中のコンビニで昼食と飲み物を買い、ショウガ入りのお茶がなくて、寒いのは嫌だな、と思いながら午後1時20分にはスタジアムに着いた。

 だんだん、あちこちから人が集まってきて、会場に着く頃には、正月の2日なのに、こんなに人が、というくらいの人数になっている。等々力陸上競技場、普段は川崎フロンターレのホームなのだが、今日は会場から、かなり遠くからでも、ブラスバンドの応援の音楽が聞こえてきて、それだけで高校サッカーの印象が強くなる。

 入り口付近には黄色ののぼりを持った武相高校の父母会か何かの人がいて、さらには、「応援団へのお願い」として、サッカーの応援も、教育と一環として考えていて、武相のクリーンなイメージを大事にしたいので、スタンドでの飲酒は控えていただきたく、という文章まであった。

 少し列に並んで入場券を買った。1500円。何も言わない高校生らしき少年が窓口の向こうから券を渡してくれた。階段をのぼり、カタログを1000円で買う時にも、値段以外にはほぼ無口な若い高校生らしき人だった。

 スタンドに出る。この前来た時は、2年前のアメリカンフットボールのワールドカップの時だった。同じ競技場が全く違って見える。今日は明るく、どこか軽やかな印象まである。スタンドはけっこううまっていて、ゴール裏は人がほとんどいないが、バックスタンドは応援席で、メインスタンドもウインドブレーカーの人たちで埋められている。ここでは、コーチ、という言葉が飛び交い、子供も多く、サッカーボールを持っていたり、アディダスやナイキというブランドを身につけた人間が圧倒的に多い。「ちわっす」というようなあいさつが聞こえてきたり、どこか、上下を厳しく守るような空気が微妙に漂っていて、それがスポーツ業界を嫌う人が指摘することかもしれない、とも思った。

試合の終わり

 メインスタンドのやや左側。前から4列目に空席を見つけて、座った。フィールドにある、チームが使うベンチ席はプラスチック製のカバーで覆われていて、太陽に照らされて、反射し、中にいる人があまり見えない。今、行われている試合は後半になっていて、ルーテル学園が2対0でリードしている。この時間帯ならば、もう勝負は決まっているような点差だった。思たよりも観客が多い。

 午後2時10分キッキオフ予定の、次の試合を見ようとして来たのだけど、アップはどこでやっているんだろう。うしろから「高校サッカーはボールが空中に飛んでる時間が長いから」という“通”な会話が聞こえてくる。ここにいる人間の9割くらいが今もサッカーをやっているか、昔やっていたのではないか、と思えてくるような空気感が確かにある。

 ピー、というホイッスルの音が響いて、でも、それはテレビで見ているように、はっきりとではなく、観客にとっては「あ、今なったの」くらいの音量だけど、ピッチにいる選手にとってはもっと決定的なものなのだろう。その瞬間、白いユニフォームの、負けたチームの選手は明らかにがっくりきていた。ものすごく長い時間、サッカーを始めた頃から考えたら、練習をしてきたのは間違いなく、その成果が全国大会出場という成果として出て、でもここで終わった。

 陸上のトラックのそばでは台の上で、勝ったチームの監督のインタビューが、もう始まっている。観客席では帰る人もいて、その空席に座ろうとする人がいて、私ももう少し真ん中よりの席に移ろうとして右側を見ていたが、とてもそのスキはなかった。

 今、試合を終えたばかりの両チームの選手たちは、相手チームのベンチに行き、あいさつをし、それから、また向こう側の応援席のスタンドまで移動する。負けたチームの足取りはさっきまでとは違って異様に遅い。

 ベンチには誰もいない。千羽鶴がかけられている。それぞれのチームが応援席にあいさつをし、また歓声をうけ、振り返り、ピッチを歩いている途中で、決められたやり方かもしれないがスタンドから「ありがとう」という揃った声がかけられ、その時に負けたチームの何人かがユニフォームのそでで顔をふいた。ベンチに着いた1人の選手が、グランドコートを着た選手と抱き合い、しばらく動かなかった。空はすごく青い。何十年か前と比べると、少し薄い色になったような気もするが、すごくいい天気だった。
 緑のピッチには誰もいない。
 大げさだけど、どこか神聖に近い空気まであった。

試合前

 午後1時50分。次の試合のために、次のチームの選手やスタッフが、ベンチに人が来る。必勝のペナントを、おそらくサッカー部員が何か話しながら、笑顔で、とりつけている。そして、ベンチの中にはもう控えの選手たちやスタッフが座っている。神奈川県代表の武相高校。今回、初めての全国大会出場になる。

 向こうのスタンドの観客席の1階と2階の間に怖いくらいに人がぎっしりつまって見える。これから位置につこうという応援団だろう。席割りが手間取ったのか、少しそのまま止まっていて、それから水があふれるように向こうのスタンドの席がうまっていく。振り向くなよー。という歌詞のある、もう何十年も前から同じ大会のテーマソングが流れる。

 バックスタンドにはそれぞれの高校の垂れ幕がセットされる。日章学園の方が3倍くらい大きいようだ。九州からわざわざ来た、という力の入れ具合いもあるのかもしれない。

 この競技場の最寄りの駅が武蔵小杉で、武相高校は、確か妙蓮寺だから、同じ東横線沿線で10数分のはずで、ホントにものすごく地元だった。等々力陸上競技場では、まだ、あんまり全国大会、という感じも薄いかもしれない。やっぱり国立でサッカーをやりたいはずで、それまでにはあと2回くらいは勝たないといけない。

 トイレに行ったら、男性の小便器にはサッカーボールのシールがはってあった。ここを目がけて小便してください、という事だろう。それは、誰もが知っているが、手前に散らないための工夫だった。

監督

 午後2時になって、髪全体が白髪になって、でも薄くなっているわけでもなく、気を使った髪型で、武相高校の監督が現れた。ゆっくり歩いて、ピッチのそばまで歩き、芝の状態を確認するように下を向き、振り返るとベンチまで戻り、選手達に笑顔で何かを言っていた。全体にはそれほど太っていなかったが、腹回りは多少立派になっている。もう50歳くらいのはずだった。年相応というか、年齢を考えたら、十分に若い、といっていい外見だった。

 あの人が、大友正人だった。30年以上前、中学の時、三ツ沢競技場で、フリーキックの際、ボールを芝のピッチに置く時、ふっと逆回転をかけて微妙に放り投げる。その姿が、印象に残っている人だった。今も、あのクールに見えた気配が残っている。指導者として、神奈川県でナンバーワンになり、全国大会にまで進んできた。

 少したつと、スタンドの下から前触れの音楽や放送もなく、レフェリーを先頭に両チームの選手たちがあらわれた。武相高校は鮮やかな黄色のユニフォーム。この日に合わせて新調したかもしれない色合いだった。相手は赤と黒の縞。

 仕上げのアップを始める前に、大友監督は選手たちを集めて、一声二声かけて、それから全体の写真撮影をする。そして、ピッチに散った選手たちはボールを回し合う。走る。タッチが柔らかく感じる。

 アップが終わると、ベンチに戻ってきて、控えの選手たちが飲料を渡して、それから試合に出る11人は、センターサークルへと移動する。試合前。選手たちは輪になり、手をつなぎ、目をつぶるわずかな時間を持ってから、声を出して、散っていく。

 午後2時10分キックオフ。最初に相手陣内にボールを持ち込み、けっこう激しいあたりをうけた上に、武相高校の方がフリーキックをとられた。それで最初のチャンスは潰えた。

 武相高校は、そのあとの時間、今度は、フリーキックをとった時、プレー再開後、ボールを浮かすことが多いような場所で、芝を転がる強めのボールを蹴った。そのプレーの選択に、どこかセンスを感じさせた。
 大友監督はベンチでずっと立っていた。

サッカーの取材

 私は、10年以上前の1990年代の後半、サッカーの取材をしていたことがあった。
 厳しい部分もあるが指導力が抜群にある高校の指導者に初めて取材をした時に、どこでサッカーをやっていたの?と聞かれ、学校の名前を答えると、それじゃスポーツの魂は知らないな、という言葉がかえってきて、確かにそうかもしれない、と思えた。

 それまで取材するチームは、世界で戦うようなプロフェッショナルか、アマチュアでも、全て「全国レベル」で、自分がサッカーをしていた時は、全国大会へ出るようなレベルは雲の上の事だから、そして、そういうチームのトレーニングを取材を通して見ていると、確かに、そうした指導者たちも、ここにいる選手たちも、自分が知らないものを見ている気がしていたからだ。

三ツ沢競技場

 さらに、個人的な経験に過ぎないが、30年以上前、中学に入ってサッカーを始めた。なんとか練習についていくのが精一杯で、それでも家へ帰ってきて筋トレなんかをしていたのだが、ずっと自分が下手な上に、足が遅い事がコンプレックスだった。今、思えば、努力の方法が間違っていたのだけれど、その頃に選手としての武相高校の大友監督を見たのは覚えている。

 中学生であっても神奈川県では県大会の決勝に近づくと、今はJリーグでも使っている三ツ沢競技場を使わせてくれた。普段は、土のグランドでしかサッカーをやった事がないから、緑の上にボールを転がすと、さくさくさくさく、という軽い音がするのが新鮮だったし、足の感触も柔らかく、スライディングタックルをしても太もものところが嫌な感じですりむけて、長くジクジクする事もなさそうだった。

 ただ、芝を楽しめたのも試合が始まるまでで、あとはスタンドに座り、先輩たちの試合を見て、夏の日差しをまともにあびながら、たまに飛んでくるボールを拾う役目をしながら、試合を見ていた。それから、先輩たちの試合が終わっても、同じ会場で行われる別のゲームも見た。勝ち上がっていけば、これから戦う相手になる可能性があるからだった。

 顧問の先生や、先輩たちの話によると全国大会を目指すにはいくつかのライバル校があって、その中でも何度か話に出てきた中学の名前があった。そして、ある大会では、2点負けていたのに、5分で3点を入れてひっくりかえした、と、ある種の伝説みたいに語られているチームだった。

 その中学校が、今は、三ツ沢で試合をしていた。中心選手のプレーは、スタンドから見ていても目立った。それほどのサッカーの経験もまだ積めていなかったが、そのうまさは分かった。クールな感じもあって、なんだかかっこよかった。あまり身近にはいないタイプだった。

 相手の反則でホイッスルがふかれてプレーが止まる。その選手がボールを抱え、立ったまま、無造作にボールを逆回転させて芝の上に転がす。落下地点から少しだけ戻って止まる。それは、芝の上の方が効果的なやり方に見え、芝の上でのプレーに慣れているようにも思え、かっこよかった。そんな感想は、心の中で思っていただけだった。

 それを見ながら、もしも、自分たちのチームでそれをやると、ボールは両手で丁寧に置け、と怒られそうだ、とも思った。緑の芝と青い空と、関係するサッカー部員やスタッフ以外には誰もいないような競技場で、その選手のプレーは、重さというより軽やかさがあった。

 その夏の県大会では、3年生の先輩たちは準決勝で2年生主体のチームに負けて、スポーツ刈りから5分刈りになった。後輩の私たちも、なぜかみんな5分刈りにする事になった。その時から、それまでまっすぐだった私の髪の毛は軽い天然パーマになった。

 その軽やかに見えた選手の名前は覚えた。大友正人、という名前だった。その大会で、先輩達が負けた2年生主体のチームを決勝で破って、県大会で優勝したことも知った。



(後編)へ続きます





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おちまこと
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