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『「サッカー」という時間』(後編)

 古くて、すみませんが、2010年1月、主に全国高校サッカー選手権の試合の話です。
 自分が高校の時に試合をして、すごいと思っていた選手が、それから約30年後に、監督として、全国大会に出場したと聞いて、1回戦を見に行きました。
 その時に書いた文章です。どこかに応募しようとして、どこにも送らず、そのまま誰にも見せずに、ただフォルダの中にあったものですが、よろしかったら、前編(リンクあり)から読んでいただければ、ありがたいです。

背番号14

 私は、高校に入って、下手な癖にサッカー部に、また入った。
 そして、組み合わせの偶然で、新人戦で大友正人選手のいる高校と戦うことがあった。大友選手というのは、中学の時に、神奈川県大会でも優勝したチームの中心選手で、そのプレーの姿を、三ツ沢競技場で見た私には、クールでスマートな印象が残っていて、自分とは全く縁がないような上手い選手だとも思っていた。

 残念ながら、そのチームと、私が所属する高校とはレベルが違っていたから、次の試合のためにも、全員がレギュラーでなかったみたいだし、完全になめられているのもわかった。でも、勝てなければ、相手の方が上手かったら、悔しくても怒っても仕方がなかった。

 大友選手14番の背番号をつけていた。それは普通ならば控えの番号なのだが、1974年のワールドカップでのオランダ代表の中心選手、ヨハン・クライフの真似だろう、と思った。1970年代後半から1980年代前半まで、チームで一番うまい選手は、その番号をつけたがる風潮があった。

 ディフンダーをしていた私のところに大友選手が来る機会ももちろんあった。いいようにかわされる。反則をしてでも、止めようと思った。でも、うまかった。ケガをさせたら、やっぱりまずいんじゃないか、と思うくらいだった。ただのビビりかもしれないが、でも、それだけ、うまかった。

違う時間の流れ

 それからは、接点は一切なかった。その1年後に、大友選手は、神奈川県代表として全国大会に出た。一回戦で、強豪校にリードされながら、追いつき、同点のままPK戦で負けた。その時の大友選手と同じチームにいたのが、日本からは二人目のプロサッカー選手となった尾崎加寿夫で、その2人のコンビは、とても強力といわれていた。その後、大友は、読売クラブ(現在のヴェルディ)に入り、日本代表にもなった事も、新聞の記事で知るくらいだった。

 私は大学を卒業して、スポーツマスコミの仕事をするようになり、サッカーの事も書くようになり、2002年のワールドカップを「取材して書く」という立場でサッカーに関わりたい、というのを一つの目標にしていた。中学生の頃、日本代表がワールドカップに出たり、日本でワールドカップを開催する、という事は、考えてはいけないいくら遠い事だった。

 だが、1999年からは、私は親の介護をする事になり、その途中で私は心臓の発作を起こし、仕事をあきらめ、介護に専念することになった。ひらすら病院に通い、母をみて、帰ってきてから義母の介護を手伝う毎日になった。

 サッカーは、とんでもなく遠くなった。

風のうわさ

 その時間の途中で、大友正人が、神奈川県の武相高校の監督をしているのを知った。私が高校の頃の印象では、全国レベルの強豪チームではなかった。何かの拍子に、高校サッカーに詳しい人間に聞いたら、「監督が、ヴェルディのレギュラーだったんですから、そりゃ、選手は来ますよ」という話を聞いた。

 だけど、そのことを半分忘れかけ、クールな大友選手のイメージのまま、記憶の中だけにいて、ほとんど忘れていたのに、2010年の1月の高校サッカーの全国大会に、武相高校が初めて全国大会に出るのを知って、調べたら、監督は大友正人のままだった。

 あの華やかに見えた選手でも、成果を出すには、かなりの時間がかかるのは、当然かもしれないが、少し意外に思えた。私は、介護をしていた母を2007年に亡くしたが、妻と二人で、義母を介護する生活は続けていて、そういう介護だけに専念する生活が10年を超えていた。それでも本当に久しぶりに高校サッカーを見に行こうと思った。

2010年1月2日

 第88回高校サッカー選手権大会。
 一回戦。日章学園VS武相高校。

 試合が始まって10分過ぎると、ほぼまっしろい髪の武相高校の大友正人監督がベンチから出てきて、ピッチの近くに来て、指を指して指示を出していた。ただ叫ぶのではなく、なにかのアドバイスを冷静に与えているように見えるところが、昔のイメージと重なった。

 武相高校は、ゴール前に攻められる時間が長くなり、日章学園の持つ九州勢の「プレーの強さ」みたいなものが目立ち始めた頃に、コーナーキックからヘディングでゴールを決められた。大友監督は、ずっと変わらず、ベンチのところで立ったままだ。0対1。

 試合は進む。オフサイドがあると、それに関して、微妙な文句がスタンドの周囲から聞こえてきて、やっぱりある意味で“通”な人しかここにはいないのかもしれない、などと思う。

ボールを扱う仕草

 武相高校の選手がフリーキックの時に、ボールを逆回転に回して放るように置いて、強引に大友監督の選手時代のイメージと重ねようと自分の気持ちが動いていた。でも、それは今ではわりと普通に見られるような動作かもしれない。

 それに、あの大友選手のような余裕のある動きでもなく、今、追いつこうとしている必死な動作でしかなく、観客の妙なノスタルジーを受け付けない、現在進行中のサッカーの時間が流れていた。自分はまだ、失礼な話だけど、自分の中学生の頃の思い出も頭を回りながら目の前の試合を見ていて、中学や高校の頃は、結局気持ちで負けていたんだ、と思う。だから、あれから、あきらめる事はやめよう、と決めたのだけど、でも今だに努力は足りない、などと、つまらないこだわりみたいな思い出が、1周くらい頭の中を回って、それから今に戻ってきた。

 まだ午後3時前なのに、スタジアムには日陰の部分が多くなってきて、スタンドも明らかに気温が下がってきた。その中で武相のサッカーはちゃんとパスをつなぐプレーを続けていた。前半も30分過ぎに、まだ0対1のまま試合は進み、ゴール前の決定的なチャンスを、何度か武相の選手ははずした。スタンドが、あーという声で揺れるような場面だった。

 大友監督はベンチのイスの前で、ずっと立ち続けている。あまり動きもない。それからも武相が攻め続ける時間が続いたが、結局は得点もないまま前半が終わった。

 ベンチの中から、まだピッチにいる選手たちをしばらく見ていて、それからグランドコートをはおって、大友監督はスタンドの下へ消えた。大勢の中にいるのに一人で動いているように見えた。

ハーフタイム

 午後2時50分。誰もいないピッチが目の前に広がる。

 もう随分と前になってしまうけれど、取材をしている時に、すごい選手も含めて、多くの関係者も多かれ少なかれ、コンプレックスに近いものを持っていることに気がついていた。考えてみれば、スポーツは勝ち負けがはっきりしているから、そして、勝ち続ける人なんてごく一握りだから、私から見たら雲の上のプレーヤーでも、達成できなかった事はあるはずで、それがコンプレックスのようになっている場合もあるようだった。変な言い方だけど、生きていくのは、そこからどうしていくか?みたいな事なのだろうと、思うようにはなった。

 トイレに行ったら、女子ではなく、男子トイレに列が出来ていた。珍しい光景だった。

試合後半

 後半が始まって2分。武相が決定的なチャンスをつかみ、あとはシュートをうつだけの場面で、ふわっと浮いたボールを蹴って、キーパーにとられてしまった。そこから逆襲され、今度は自陣ゴールへボールが急速に近づき、大友監督がベンチから出てきて、何か指示を出そうとしているように見えたところで、また失点につながってしまった。0対2。致命的な失点だった。

 そのあと、長いロングパスから、また失点したのが後半の13分。0対3。周囲のスタンドは、ものすごく静かになってしまった。もう勝負は決まってしまった、としか思えない。大友監督はずっとベンチで立ち続け、時々、出てきて、また戻った。どちらもチームも選手を交代させ始めているが、意味が違うはずだ。勝っている方は温存や経験を積ませるためだろうし、負けている方はなんとか追いつくためだろう。

 後半も25分になり、スタジアムの中に影が多くなり、さらに寒くなり、試合もなんだか少しダレてきたと思う頃、武相が1点を返した。オフサイドっぽかったが、何しろ得点をとった。思い出したように盛り上がるスタンド。だけど、それから1分くらいで、また失点。1対4。だめ押し。大友監督は得点の時も失点の時もほとんど体の動きもなかったし、感情が動きも、少なくともスタンドからは、分からなかった。

 試合後半35分。もう試合は終わった空気が強くなり、さらにスタジアムに影の部分は増え、もう半分くらいはおおわれている。寒い。ちょっと眠い。試合が、ほぼ終わる頃、武相の選手が、点を決めた。当然だけど、まだあきらめていなかった事に、ちょっと驚く。そして、その驚くことが失礼だと自分で思う。試合が終わってなければ当たり前の事で、このくらいであきらめていたら、全国大会まで来れるはずもない。

敗戦

 そこから、ロスタイムが3分。武相高校は、かなり攻め続け、スタンドに、おー、という本気のどよめきを何度も起こし、それで温度が上がったような気がして、だけど、午後3時45分に、点の動きはそれ以上なく、試合は終わった。

 隣の親子連れも、うしろの親子も、すばやく席を立って帰っていく。人がどんどん流れていく。ピッチではひざに手をついてしばらく動かない武相の選手もいる。もう相手チームの監督のインタビューが始まっている。貫禄がついたが、高校サッカーのスターだった早稲田一男監督だった。

 大友監督はグラウンドコートを着て、最初は軽やかに走ってバックスタンドへあいさつへ向かう。早稲田監督と並んで何か話しながら歩きに変わった。選手たちは、あいさつへ行き、またベンチに戻ってくる過程で泣いて、他の選手に腰を抱えられてやっと歩いてくるような選手もいる。

 大友監督は、選手に声をかけつつも、歩いて戻ってきて、ベンチで飲料を飲んで、少し周りを見ながら、スタンドの方にも視線を動かしてから、すっとスタンドの下へ消えた。この約2時間の間、ずっとどこかクールな印象だった。そして、まっすぐ背筋を伸ばした姿勢だった。それは、選手としては視野の広さにつながる姿勢でもある。そういう基本的なものは30年くらいじゃ変わらないのかもしれない。

 ただ、でも当たり前だけど、クールなだけで、50歳近くになってサッカーの指導者という仕事はとても出来ないはずだ。ずっと選手たちに正面から向かい合ってないと、少なくとも全国大会へ出ることなど出来ないと思う。さらに、全国大会に出場するチームの多くは100人を超える部員を抱えている中で、武相高校は30数名の部員なのだから、単純にいえないにしても、よりコーチングの質の高さが要求されると思う。

 試合が終わって5分くらいで、もうスタンドの観客はかなり姿を消していた。トイレに寄ってスタジアムから出て行く途中でも、場内のあちこちにテレビがあり、この試合の得点シーンを映していて、それをじっと見る人たちもかなりいた。

サッカーという時間

 ここにも、サッカーという名前の時間が流れている。
 正式にこういう競技になったのは200年前くらいだろうけど、サッカーの起源は、何かを蹴ることを楽しむという意味では、1万年前という説もあるらしい、と何かで読んだこともある。

 大げさかもしれないけど、今も、地球のあちこちでサッカーという時間が流れている、と感じた。
 スタジアムだけでなく、河川敷とか、学校のグランドとか、町の片隅とか、アスファルトの道路の上でも、おそらくボールは蹴られているはずだ。そして、サッカーを見る人の中にも、サッカーという時間は流れている、と思う。そんなとんでもなく大きな流れがあって、中心には、たとえばワールドカップで活躍した伝説的な選手がいたりするのだろうけど、でも、たとえば大友監督は、少なくとも日本の中では、流れの中心に近いところに、ずっといてくれるおかげで、こうして私も観客として、サッカーという時間の流れのすみっこで関わることができた。


 スタジアムの外では武相高校の応援団で父兄の方らしい人たちが話しているのが聞こえてきた。強いところと当たっちゃったね。○○高校とかだったら、よかったのに、と聞きようによっては失礼な話だったのけど、でも、選手たちが、膨大な時間をサッカーにかけた事を思えば、そして、その父兄から見たら、それは仕方がない発言でもある。

 そういう話を聞くと、サッカーの強さをフェアに競い合えるように、ワールドカップなどは最初からトーナメントではなく、ブロックに分けてリーグ戦から行うという工夫をしている、などとよけいな知識も頭に浮かんできた。

 こういう会話を含めて高校サッカーを見に来た、という満足感まであった。あちこちでサッカーに関する話ばかりがされている。サッカーという空気におおわれているようにも見える。

スポーツショップ

 駅までの途中で神社により、初詣をした。それから、駅の近くのスポーツショップに寄った。そこには福袋も並んでいて、外の商店街の静かさと比べると明らかに熱気があった。サッカーのスパイクやボールや道具が並んでいる。ここにも「サッカーという時間」が流れている。

 つい最近になって、心臓の調子もいいので、20年ぶりくらいに、少しボールを蹴るようになった。大学のサッカー部のOBたちと、すごく小さくて誰でも参加できるけど、フットサルの大会にも出るようになった。(リンクあり)

 スネ当てを止めるベルトとシューズを入れる袋を買った。1000円ちょっとなのに、新年のせいか、ありがたいことに、今年のカレンダーをもらった。また「サッカーという時間」に関われるようになった、ささやかな証に思えた。

 中学生の頃、試合が終わってから、店舗は小さいけど「国際」という大きな名前のついたサッカーショップに寄り、お金がなくてなかなか買えないけれど、独特のわくわく感があり、ここに来て、その気持ちを思い出し、今も、自分の中では、その感覚が、あまり変わらないことに気がついた。

 それは、やっぱりうれしいことだった。



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