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「そちらがよくても、こちらが困るんです」…… 駅員にかけられた言葉から考える①

  今の時間の流れのテンポでいえば、もう昔の話になってしまうのだろうけど、今年の春に、「車椅子の電車への乗車」に関して、「論争」が起きていた。

 この話を読んで、こうした出来事が、今も「ワガママ」と言われていること。そして、駅員が「エッセンシャルワーカー」として語られていることを知り、昔の出来事を、改めて考えようと思った。

車イスでの移動

 とても個人的で狭い経験に過ぎないけれど、私は家族の介護をしていた。そして、妻の母親(私にとっては義母)は、立ち上がれないような状況だったので、外出をする時は、いつの頃からか、必ず車イスを使うようになった。耳もほぼ聞こえない状況だったので、障害者手帳も取得した。

 私と妻が二人で、その車イスを押すようになったが、一緒に出かける時は、基本的には私が押すようにしていたのは、やはり少しは力が必要になるからだった。

 そして、もう15年以上前のことになるので、とても昔のことになるのだけど、都内の自然公園のような場所に出かけた。
 とても都心とは思えないような森深い場所で、しかも夕方に近いから、怖さも感じるところだったけれど、普段は、外出はデイサービスや買い物くらいだったので、義母にとっては珍しい場所だったし、家族や親戚で一緒に出かけられたから、少し嬉しそうだったと思う。

 ただ、こうした場所は、舗装もされていないし、土の上に砂利のように小さめの石がちりばめれているようなところだったから、車イスを普通に押すと、小さめの前輪が引っかかってしまい、とても進みにくい。

 少したって、わずかに前輪を浮かせて、いつもよりも、体を寄せて、後輪だけで支えて、それで押すことによって、やっとややスムーズに進むことができた。

 乗っている義母の安全に気をつけながら、ずっと持ち上げつつ、さらに前に進めなくてはいけないから、結構力も必要だし、疲れた。それでも、いつもではない場所を移動できたから、新鮮な時間でもあったし、義母から、感情が少し高まった時に出る言葉、「まー、まー、まー、まー」が聞こえてきたから、少しは喜んでくれていたと思う。

利用していた車イス

 義母が利用していた車イスは、自走介助兼用車椅子だった。

 義母が自走することはほぼないし、できたら使って欲しくないから、本来であれば、介助用の車イスを使うべきだったのかもしれないけれど、この時も、自走介助兼用を使っていた。

 それは、最初に使い始めたから、というような、どちらかといえば、やや怠惰な理由もあったけれど、病院に通う時に電車に乗るから、ということも大きかった。

 2000年代に入って、駅にエレベーターが設置されることが進んだ。それまでは、小さい階段でも、人力で運ぶしかなく、その時に微妙に腰を痛めたりしていたから(それで筋トレも始めた)、こういう変化はありがたかった。

「普段私たちは、駅にエレベーターがあるのは当たり前だと思って生活しています。でも、駅のエレベーターは“自然の流れ”で出来たのでも、鉄道会社や行政の“思いやり”で出来たのでもありません。鹿野さんのように地域に出た障害者が、1970年代から『駅の段差をなくしてほしい。エレベーターを設置してほしい』と延々と陳情や運動を続けて、ようやく実現した成果なんです」

 こうした状況も、後になって知るのだけど、駅で車イスを使うことが楽になっていたのも事実だった。あとは車両に乗り降りするときに、駅によっては、ホームと車両にやや広めのすき間が開いていることがあり、そこを、スムーズに移動するには、車イスの車輪は大きい方がいい。

 基本的には、この介助兼用の車イスの後輪は22インチ(約55センチ)あるので、駅のホームと車両の間のすき間は楽に超えられるはずだった。この車イスであれば、どの電車でも、少なくとも、車両とホーム間の移動では、多少の段差があったとしても、不自由さを感じたことはなかった。そのためもあり、この自走介助兼用の、大きい後輪を持った車イスを使い続けていた。

「そちらがよくても、こちらが困るんです」

 広い公園のような場所に行き、時間も経ったので、帰ることにして、最寄りの駅に着く。その頃できたばかりの新しい駅だった記憶がある。初めて利用する駅だけど、新しいから、当然のようにエレベーターがある。スムーズに階下へ行き、改札のある階に着く。

 あとは、切符を人数分、買って、改札を抜けて、電車に乗るだけだ。

 どの駅まで行かれますか?と、駅員に声をかけられる。

 本当は、この質問にも答える必要はないと思っていのだけど、このあたりの質問は、時々、される。だから、駅名を答えて、改札を通って、エレベーターに乗ろうとしていたら、さらに声をかけられる。

「ちょっと待ってください」。

「どうして、ですか?」

「車両に乗るときの補助をしますので、その準備のために、待ってください」。

「大丈夫です。私が、車イスを押しています。この車輪なら、車両に乗るときに十分です。これまで、何年も、これでやってきて、一度もトラブルはありません」。


 そんな会話をして、それでも、「待ってください」というので、「大丈夫です。問題ないです」と言って、そこから去って、もう電車も来てしまうし、急いで、エレベーターに向かう。

 そこへかけられたのが、この声だった。

「そちらがよくても、こちらが困るんです」

 それを聞いて、なんとも言えない嫌な気持ちにもなったが、一緒にいた妻に、「あれだけ言うんだから」と言われて、待つことにしたけれど、やっぱり、とても嫌な時間だった。表面的には、もめごとに見えるだろうから、妻にも負担をかけてしまっていたと思う。

補助されること

 声をかけられたのは、女性の駅員だったけれど、鉄製か何かの板を持って、男性の駅員が二人も来て、一緒にホームに行って、電車を待った。こちらが大丈夫なのに、こうして人の助けを借りるのも変だった。こちらも、駅員にとっても、どちらにとっても、無駄なことだと思った。

 電車が来て、2人の駅員は、車両に向けて、その「板」をセッティングしてくれた。そこを登って、車両に乗るときは、ガタガタして、やりにくかった。車イスの補助者としての私には、本当にない方がよかった。

 これまで、ずっと、少し前輪を浮かせて、大きい後輪で乗せてきた。このホームと車両のすき間もそれほどなかった。どう考えても、必要のない補助だった。それでも、作業をしてもらったから、お礼を言って、電車に乗った。こういうことを減らすために、2級のホームヘルパー(訪問介護員)の資格も取ったのに、何の意味もなかった。

 駅名を聞いていたはずなのに、降りる時には、誰もいなくて、普通に、車イスをおして、降りて、エレベーターで移動して、何の問題もなかった。


 その後、2018年に義母が亡くなるまで、病院に行ったりする時に、数限りなく、電車を利用したのだけど、そんなことは一度もなかった。

 最初のうちは、降りる駅名を聞かれていたけれど、そのうちに、駅名も聞かれなくなり、「補助は必要ですか?」「大丈夫です」といった短い会話をするだけになった。

 本当は、こちらから声をかけなければ、何か声をかけられる必要もないと思っていたのだけど、ほとんどの場合は、何か声をかけられ続けたかもしれない。

どうして、「こちらが困る」のだろうか

 今は、以前よりも、もっと補助の仕方が自然になってきて、車イス利用者も快適になってきたのかもしれないという希望を持っていたのに、2021年現在でも、車イス利用者に対して、駅員から、あのような態度を取られ、それについて、何かを言うと、周囲から叩かれる。

 ということを知ると、こうしたささやかな体験を伝えるだけでも、ちょっとした怖さはある。

 だけど、あの「そちらがよくても、こちらが困るんです」といったことを言われた時の嫌な気持ちについては、もう少し考えておかないと、これから先、自分が再び、車イスに関わるようになった時に(もしかしたら自分が車イスに乗っているかもしれない)、また同じようなことが起こると思ったので、再考しようと思った。

 あの時の駅員は、「そちらがよくても、こちらが困る」と言っていた。

 何が、困るのか。すでに随分と時間がたったから、確認のしようもないけれど、どうして、そんな発言をしたのだろうか。その人を責めたいわけではない。その人自身の意志ではなく、「駅の体制」(会社の論理)の中で、その言葉を言わざるを得なかったのではないか、と想像する。

 あの駅員は若かった。新入社員とは言わないけれど、それに近いくらい慣れていない気配はあった。
 あの駅は新しかった。

 おそらく、「車イス利用者」が「電車を利用する際のマニュアル」が作られていたのだろう。
 補助板を使って、乗る時には「必ず」補助する。
 そんなルールがあったのかもしれない。

 だから、そのルールに従わない車イス利用者がいた場合は、このマニュアルに従わせない駅員が「責められる」。そして、その駅員は若く、より「上」からのプレッシャーが強くなる。今よりもずいぶん昔なので、女性であることで、そのプレッシャーがより強くなる可能性もある。

 本来は、安全性を優先させて、どの方法を取ればいいのか、を検討すればいいのに、いつの間にか「マニュアルに従うか、従わないか」。そこが重要になり過ぎていなかっただろうか。

 おそらく、その駅員は、マニュアルに従わない車イス利用者がいたことで、「どうしてルールを守らせなかったんだ」と怒られるかもしれず、そのことを分かっていたから、「こちらが困るんです」と大きな切実な声を出していたのかもしれない。

 それでも、たかだか車イス利用者の補助者の視点に過ぎないけれど、利用者のためのルールが、駅のためのルールになっていた印象だった。

 安全が保証されれば、問題がないのに、どうして、「補助板を使う補助以外の方法」が頭から否定されなくてはいけないのだろうか。

 こちらの動向で、駅員が怒られるのも嫌だった。

 それに、安全な運行のために、そして、駅員の力を借りなくてもいい、より合理的な選択があるのに、「駅の体制」が決めた(私から見たら)理不尽なルールに「とにかく従え」と強制されるのも、嫌だった。

 その気持ちは、今もそれほど変わらない。

では、どうすればよかったのだろうか

 その後、このような出来事がなかったから、私たちだけでなく、いろいろな声が「駅」や「会社」に寄せられて、その対応が改善されていったのかもしれない。

 ただ、その後に変化が可能であれば、最初から、私や駅員の両方が不快にならない方法も取れたはずだと思う。

 だから、基本的に思うのは、駅ができた時でも、もしくは鉄道会社全体でも、車イス利用者の(当事者の)意見や声を十分に聞いたのだろうか、という疑念がある。

 私が体験したようなことは、前もって知っていれば、補助がなくても、十分に「安全」であることは分かるはずだから、私にとっても、駅員にとっても、不快な出来事は避けられたと思う。

 もし、マニュアルを作るときに、車イスの形状、もしくは補助者がいる場合は、要求された以外は、補助は必要ない、という一文を、当事者の意見などを聞けば、入れるのは容易いと思う。

 実際のところは分からないけれど、そうした「いろいろな意味で、違う存在である人の意見」を聞いていない可能性もある。

 基本的に、そうした「ルールはルールですから」というような「固く冷たい態度」や、指定されていないやり方以外は認めません、と言った「強制」の気配が、そこにあったから、嫌な気持ちがしたのかもしれない。

 安全のために「ルール」があるとすれば、状況に応じて、より合理的な方法を取ればいいのにその方が、駅員の労力も減らせる可能性があるのに、そんな検討をするよりも、とにかくルールを守らせる、といった組織のあり方が透けて見えた気もする。

 その目に見えない「強制する力」が、「そちらが良くても、こちらが困るんです」という声を生んでしまったとも思っている。

 車イスのことは、車イス利用者に聞けばいいのに、それを十分にしていないだけなのではないか。もしくは、電車に関することは関係者だけで決めたい、という「内」に関する欲望が強すぎるから「外」の意見を聞けない可能性はないだろうか。


 そんなことを、改めて考えさせられるような出来事が、「そちらが良くても、こちらが困るんです」と声をかけられてから数年後に、再び、あった。

 その時は「車イスだけが、ここを通るわけじゃないですからね」という声をかけられた。

 そのことは、「駅員にかけられた言葉から考える②」で考えたいと思っています。





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