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noteを1年続けて、いま思っている8つのこと。

 急に画面に、「おめでとうございます!」という文字とともに、1年がたったことが伝えられ、バッジをもらいました。つい先日のことでした。

 感慨というよりは、力が抜けるような感覚を覚えました。
 この1年のことをイメージしてみると、ネガティブなことが多くなりそうで申し訳ないのですが、それでも、今の自分の気持ちを、少し先の自分のためにも、なるべく正直に残しておこうと思います。

1、微妙に残念な気持ち

 1年といっても、始めてから連続投稿を続けて、「277日」まで行ったところで、コンピューターの故障と、自分のスキルの低さのために、それが途絶えてしまったのです。12月の下旬でした。



 『沈黙の13日間』(リンクあり)の後は、また連続投稿で、今はだいたい80近くにまで来ているから、それこそ1年たったのは分かるのですが、始めた時は、とにかく連続投稿は続けて、最低でも1年は書き続けようと思っていました。

 毎日、すごく追われるような気持ちだったのですが、こういうことは、続けて初めて成果が出るのではないか、と思っていたので、「1年が経った」ということが分かっても、もしも、そのまま連続投稿を続けて、「365日連続で、1年が経ちました」といった成果につながっていれば、もっと違う気持ちだったのだろうか、と思っても仕方がないことを、考えました。

2、微妙な虚無感

 下書きを含めて380記事という数字を見て、そして、始めてから少したった時の期待感だと、何か劇的な変化があるのではないか、と思っていたことも、思い出しました。

 最初は目に止める余裕もなかったような「noteを始めて人生が変わった」といったことが、続けて1ヶ月が過ぎる頃には、だんだん気になるようになり、もしかしたら、そんなことが自分にもあるのでは、と思うこともありましたが、1年がたって、それなりに書いても、特に大きな変化があるわけでもないのがわかってきます。

 というよりは、人生が変わるほどの変化がある人は、それまでのポテンシャルがあって、それがnoteによって伝わる、ということだったり、もしくは、成功バイアスがあることにも思い至ります。

 何か劇的なことがある人の方が、圧倒的に少数であることが、だんだん分かるようになり、リアルな人生で何かがなければ、noteだけで、何かがあるわけでもないことに「1年が経ちました」と告げられ、改めて気がつき、少し虚無感に襲われました。

3、少し恥ずかしい気持ち

 気持ちのどこかで、新しいことを始めれば、何かが起きるのではないかと思っていました。

 そして、その変化が、劇的で、心躍ることではないか、といった分不相応で、ふわふわした期待を、自分が、まだ持ってしまうようなことに対して、それは大人気ないことでもあるので、少し恥ずかしい気持ちになりました。

4、それでもnoteを始めてからの変化を振り返る

 一番最初の記事は、これ↑でした。
 

 それまでも、文章は書いてきたものの、その分量が増えました。そして人に見せるという意識で文章を書くというトレーニングも、この1年で出来てきたように思います。

 さらには、noteを毎日書くために、という気持ちもあって、暮らしまわりの微妙な変化などにも敏感になり、特に妻の影響もあって、植物に関しての見方も、少し変わったように感じています。

5、人との関わりについて

 最初は本当におっかなびっくりですが、noteを始めて、驚いたのがすぐに反応があったことでした。

 よくできているシステムでもあるのですが、人の反応があるというのはありがたいことですし、それを増やしたくなる気持ちも常に強くなりそうでした。

 その度に、noteを始めたのは、まずは、自分が「書きたいことを書きたいように書くこと」が目的だったのを、思い出すようにしています。

 少し話が、それたかもしれません。すみません。

 noteを続けていくと、本の感想を書いた時に、著者本人から「スキ」をしてもらって、それは嬉しかったのと、Twitterで取り上げてもらったこともあって、その日だけアクセスが増えて、こういうことがあるんだと思えたのが始めて1ヶ月後くらいのことでした。

 それからは、そんな劇的なことは起こらずに1年が経ちました。ただ、その著者の方には作品にも敬意を持っているので、ありがたく、嬉しいことだったのに変わりはありません。


 そして、どこの誰かもよく分からない私のような人間にフォローをしてくれる人もいらっしゃって、そのうちに、文章を読んで、読んでもらっての関係に過ぎないのに、突然、退会されたりした時は、やはりショックと寂しさもありました。

 その後、しばらくたって、急にサポートをしてくださる方がいらっしゃいました。
 驚くのと、意外なのと、やっぱりとても嬉しく、ありがたいことでした。
 それは、私が誰か、ということは関係なく、書いたものだけを評価してくれたわけですから、かなり新鮮な嬉しさでした。

 この記事↑に対して、サポートをいただき、この文章は、コロナ禍で自分が不安も膨らんできていて、何より自分の不安を減らしたいと考え、書いたものが、他の方にも届いたことが、とても嬉しく思いました。

 その後、その方にはフォローしてもらって、私もフォローして、ご本人の経験から生じる切実で正直で鮮やかな文章だったのですが、ある程度の予告はあったものの、急に退会をしてしまい、痕跡も残さないように消えてしまいました。

 その人の文章をもっと読みたかったのに、コメントをきちんとすることもなく、サポートをすることもなく、関わりがなくなってしまい、勝手な気持ちですが、後悔は残りました。


 同じ頃、毎日のように更新をして、その仕事ぶりや日常を淡々と書いているのですが、正確な描写のため、知っているようで知らない仕事の実態みたいなものが目に浮かぶような、私にとって好きな文章の方がいらっしゃったのですが、ある日、生活や生き方自体が変わります、といったような文章の後に、突然、更新が止まりました。

 こうした方々には、今も、できれば、なるべく幸せな毎日であれば、と思ったりしています。


 思い切って、有料note↑も試みたことがありました。

 誰も購入してくれないのではないか。そうなると、誰にも読まれない文章がインターネット上にただある、というアーティスティックな存在になってしまい面白いけど、寂しいかも、と思っていたら、購入してくださる方がいらっしゃったので、その方には、今でも感謝しています。


 どこの誰かをお互い分からないままでも、関わることができる、というのは、これまでSNSを全く経験したことがなかったので、やはり、今でも新鮮で不思議だと思うことはあります。

6、人から見ての変化

 こうして書いていると基本的にはネガティブなことばかりが思い浮かぶので、そういえば、この1年のことは、外から見たら、どう見えるのだろう、と思って、妻に聞いてみました。

 すぐに、「すごい躍進だと思う」という言葉が返ってきました。あまりにもストレートに言われ、少し恥ずかしいですが、ありがたくも、ちょっと驚きました。
 
 その理由として、まずは写真のことを指摘され、「毎日のように撮っているし、うまくなったと思う。それに、使ってくれる人が増えてきたんだから。人に欲せられているのは、すごい」。

 「みんなのフォトギャラリー」に登録して、使用された回数は100回は超えましたので、それは、確かにありがたいことでしたし、自分が撮った写真を人が使ってくれる、というイメージは、始める前は、全くありませんでした。


 さらに、妻は「何しろ、1年、毎日のように書いてきたんだし、たくさん読んでもらえるようになったのだから、それがすごいことだと思う」と言ってくれました。

 1年かけて9万ビューという数字は、note成功者の記事の華やかさとは比べ物にならないと思っていたので、その妻の言葉は、自分の記事を読んでくれた人のありがたさを、改めて思い起こさせてくれるものでした。


 それから、妻のお姉さんも、このnoteを読んでくれているので、「うちの様子が伝わりやすく、わざわざ説明しなくても、分かってくれるようなことが増えた気もするので、それがありがたい」とも、言われました。

 いろいろと意外でしたし、こうしてプライベートな会話を書くことは、ややひんしゅくだとは思いますが、それでも妻のポジティブな言葉を聞いて、この1年、やってきた意味があるのかもしれない、と少し思えるようになりました。

7、中断後の変化

「1、微妙に残念な気持ち」でも書いたのですが、連続投稿が途絶えた時期があって、再開までに時間がかかりました。ただ、再開後は、気持ちが明らかに変わっています。

 続けることが目的になり過ぎていたことに気がつきました。毎日連続投稿すること自体が目的ではなく、それは、あくまでも結果で、書きたいことを書いた上で、それで質を(文章の質が何か、というのは難しいことですが)あげていくようにする、というのが、当初の目的だったことを思い出せました。

 そして、連続投稿が途切れてもいいや、と思えたので、少し楽にもなり、その上で、書くだけでなく、もっと本を読んだり、色々なことを見聞きすることが大事だし、に改めて気がつけたような思いになりました。

 同時に、毎日書けるのだろうか、という焦りが減り、今は、まだ書きたいことはあるから、しばらくは書き続けていられる、というゆとりができたように思いました。

 書きたいから、書く。

 それが基本だと、再確認できたと思います。

8、これからのこと

 まずは、とにかく書こうと思って始めて、どこかで他力本願の劇的な変化を願っていた部分も、恥ずかしながらあったことに気づき、それでも、ただ書くだけでは、変化も少ないと気がつきました。

 今はコロナ禍という非常時であるということもあり、書き続けても、書けることも書きたいこともまだたくさんあると思った上で、これからは、書くことを仕事にしたい、という気持ちも強くなってきました。

 それでも、ただ書いて、誰かが見つけてくれるのを待つ、といっただけだと、原宿を歩いて、スカウトされるのを期待する、という芸能人志望の発想と似ているので、それだけでなく、他にもできることをしていこう、と思いました。

 

 書くことが仕事として成り立つかどうかの基準は、一つは、お金を払っても読みたい、と思える文章を書けるか、どうか、だと思っています。

 それは、ただ、書いているだけでは分からないので、そのことを「サポートしてください」という文章で伝えるか、有料noteや、有料マガジンをより積極的に使うことで、これから試していきたいとも思っています。


 さらには、noteの利用そのものに関してですが、この1年間で、noteの運営に関して、さまざまなトラブルといっていいことがあるのを知ることもあり、その抗議の意味も含めて退会される方も、少なからず、いらっしゃったことも知るようになりました。

 その度に、自分はどうすればいいのか、とも考えましたが、自分が直接嫌な思いをしていなかったことや、恥ずかしながら詳しくは分かっていないことや、その時には、確か、すでに200を超える記事を書いていましたから、それらを考えると、退会する、という決断まではできませんでした。それは、見方によっては意識が低いのかもしれません。


 それでも、今のところは、何かあったら、そのたびに考えつつも、書きたいことを、このnoteで書いていく毎日をまだ続けたい、という思いでいます。





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