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「川の流れのように」の歌詞の不思議

 たぶん誰もが知っている美空ひばりの代表曲のうちの1曲で、今でも聞く機会が多い。

 昔、飛行機の機内で、イヤホンをして聞いた時に、最後の「川の流れのように」の言葉が流れてくると、音符と音符の間にも無限に近い音符があるかのように、ものすごくスムーズに響いてきた。それは膨大な水の粒が集まって大きな流れのようになるようにさえ感じ、美空ひばりというシンガーの技術のとんでもない凄さを、改めて思い知らされたのを覚えている。自分の無知も分からされたような気もした。

 そういう時は、歌の力で圧倒され、言葉の細かいことは考えられなくなるし、最後の「川の流れのように」は聞いていても、高揚感があって気持ちがいいから、この歌詞について、何かを考えることもできなかった。

 だけど、年月がたって、何度か聞く機会があり、冷静さを持って考えられるようになったら、この「川の流れのように」の歌詞の不思議さを感じるようになった。

橋と川

 ラジオで、オリンピックにも出場した選手が、気持ちを盛り上げるために聴いた曲として、「ゆず」の「栄光の架橋」をあげたのを聴いたことがある。そのくらい人の気持ちを高めてくれる楽曲だと思う。この歌は、いろいろな困難を乗り越える象徴として「橋」をあげている。つまり、「川」というのは乗り越えるべき障害として扱われているといっていい。そして、困難な道を歩いて、さらに橋をわたって高みに至っていく、というオーソドックスな意味合いになっている、と思う。

 もうずいぶんと昔になってしまうけれど、この歌詞が、教室の後ろの小さい黒板にチョークで書かれていたのを見たことがあるくらい、広く知られていた楽曲だった。サイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」の歌詞は、荒れ狂う川があったら、君のために自分が橋になる、といった内容だから、ここでも川は障害の象徴になっている。そして、とてもドラマチックな盛り上がりを見せる楽曲でもある。


 歌の世界だけでなく、実際の歴史上でも、江戸時代は、箱根の険しい道はなんとかなっても、大井川という広い川はどうしようもできない象徴として語られていたから、伝統的にも「川」は障害物の象徴として扱われてきたと思う。

「川の流れのように」の歌詞の不思議さ

 こうした「川」の扱われ方を見てくると、「川の流れのように」は、おそらくは人生を歌っていると思われる内容で、その上で、最後に「川」が人生の象徴になっているようにも感じるのは、実は、かなり異色ではないか、とも思えてくる。

 その上、さらに不思議なのは、この歌の前半は、ずっと「道」の話をしていることだ。それも、「でこぼこ」だったり「曲がりくねったり」しているから、やはり困難もあった「人生」の象徴のように思える。

 文化圏の違うビートルズでも、この曲では「人生」を「道」として象徴的に描いているように思えるし、「長く曲がりくねった道」だから、「川の流れのように」は、この曲から影響を受けている可能性もある。

 「川の流れのように」も、こうした流れを受け継ぐように、前半は、ずっと「道」を「人生」として描いているのに、不思議なことに、最後になって急に「川」が圧倒的に登場することで「道」がどこかに行ってしまうようにさえ感じる。

 それでも、「川」は「人生」にも感じるが、それよりも、もっと大きい「時代」みたいなことにも思えてくるし、そうなると、「道」が「川」に飲み込まれてしまう、ということなのだろうか、とまで考えさせられる。

 そのつながりの唐突さが、ずっと不思議だった。

 だけど、人類の歴史でいえば、文明は「川」のそばで生まれ、それは当然、洪水などもあって、恵みと災害の二面性があるのが「川」でもあるのだから、そんな意味合いも含めているとしたら、「川の流れのように」は、そう簡単に分からない歌詞で当たり前かもしれない、とも思う。

美空ひばりの歌声

 そして、もう一つ、もっと単純なことなのだけど、もしかしたら、美空ひばりが歌うから、最後は「川」になったのかもしれない

 「川の流れのように」という歌を、美空ひばりが歌う。最後まで「道」として歌いきったとしても、十分以上の高揚感を招き寄せられると思うのだけど、それよりも、「川」という、さらに大きくて無限に形を変えるものが来たほうが、さらに、大きい歌にでき、美空ひばりだから、その大きさを歌いきれる。そんな意図もあって、「川」という言葉を(意識的な、そうでないのかは分からないが)、作詞家の秋元康が選択したのかもしれない、とも思う。

 そうであれば、やはり、美空ひばりの歌声があってこその、「川の流れのように」だったと、改めて思う。

「マイウェイ」の不思議さ

 自分の人生を歌ったといえば、「マイウェイ」で、それは日本語訳もあって、それこそ、今の中高年のカラオケ自慢の男性は、一度は歌ったことがあるような曲だと思う。

 もともとの「マイウェイ」は、「自分のやりかた」みたいな意味合いが強いと思われるのだけど、日本語訳では、やはり「道」が強く出ているように思う。それは、「道」というのは東洋の思想で重要だから、というのもあるかもしれないから、それが「人生」とフィットするのかもしれない。

 日本語訳だと布施明が、紅白歌合戦でも何度も歌ったから、いちばん一般的なのかもしれない。その歌詞にも、「道」が出てくるのだけど、冒頭が元の歌詞にはない「船出が近づく」という言葉から始まるから、「海」から始まり、「道」で終わる歌になっている。

 もともとは、人生終盤の歌だった歌詞の冒頭は、どうやら布施明自身が変えたらしい。

 当時20代前半の若者であった布施に合致しないため、布施が代替案を考えたのが「今船出が近づくこの時に〜」である。

 この歌も、布施明の歌唱力で、そうした不思議さに気がつきにくいけれど、結果として、最初は「海」で、後半が「道」という不思議な組み合わせになってしまっている。


 ただ、こうして細かい辻褄合わせを考えすぎるよりも、わかりにくいことや飛躍が含まれているほうが、音楽として表現される時に、より豊かな楽曲になる可能性もある。もしかしたら、「川の流れのように」も、布施明の歌う「マイウェイ」を参考にしている可能性はないだろうか、と思うのは、やはり考えすぎかもしれない。



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