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鬱:UTSU

 先週、うつ病と診断された。

 別にショックはない。なんとなく、そうなるだろうと思っていたし。うつ病を経験する人は約15人に1人。ありきたりな病気だ。

 更に、我が家は両親ともうつで、私は遺伝的にうつ病に対する神経学的脆弱性を持って生まれてきている可能性が高い。育った環境が性格を左右するなら、ストレス耐性の低さも似たものがあるだろう。

 ストレスなど、挙げてみればキリがない。

 父はアルコール依存症も伴っていて、家族としてはかなり苦労したし、疎遠になってからもお金のむしんやら、父の主治医から自殺する可能性があると電話がかかってきたこともあった。そして、一昨年、5年ぶりに会った父を看取った。アルコール性の肝不全に伴う多臓器不全だった。

 5年前の面影もない、ガリガリに痩せた父を看取ったのも、生命維持装置を切るようお願いしたのも、ICUの付き添いを抜け出して葬式の手配をしたのも、父の横で嘆く彼の親友たちを慰めたのも、酒瓶の転がった狭く寂しいアパートの部屋を片付けたのも、どこを思い出しても気が重い。

 5年前、今からでは7年前になるが、別れた後も大変だった。失望する父に「俺を見捨てるのか」と言われながら別れ、彼が追ってこられないように他県に移り住所も隠した。離婚と引っ越しと新天地での仕事は、母をうつ病にし、私は自己免疫疾患を発症した。

 それから、私は毎年寛解と再燃を繰り返し、職場に迷惑がかかるので仕事を辞めた。辞めてもすることがないと困るので、大学院に行くことにして、初めての一人暮らしを始めた。親友の近くに住むのも、大学院の研究生活も非常に楽しく充実していた。

 ある研修会で男性と知り合い、付き合うことになった。彼はDV野郎だった。なんて男を見る目がないんだと思っていたら、別れた後そいつはストーカー野郎に進化した。怖くてそこには住めなくなってしまったので、再び母の家に身を寄せることにし、リモートで論文を書き上げた。

 卒業後、予てから心に引っかかっていた、修道者を目指すことを決め、方々の修道会を巡り、お世話になる先を決めたところで父に報告しようと思い立ち、その数日後父が倒れ看取ることになったのだった。

 修道会というところは、カトリックの修道者(神父、ブラザー、シスター)の共同体であり、神様と人のために生活をささげて働き、祈る人たちの集団である。父を看取った後、私は修道会で見習いを始めた。

 ちなみに、現代の修道会は男女別の組織で、2005年には同性愛者の入会を禁じる手引きなるものまで出されていて、組織的には強烈にホモフォビアな面がある。(今は同性愛者でも入会できるらしい。公表して残ってる人はほとんどいないけど。)でも、今どきそこまで明らかに差別を表に出してくる人はいないだろうし、目の前の個人を大切に想う人ならば一緒に暮らしても大丈夫だろうと高をくくっていた。

 そして、一緒に暮らして初めて分かった事は、シスター達は心根はとても良い人たちだが、とにかく世間知らずな人が多いということだった。自分の興味のあるニュースだけ少し知っている程度で、他のトピックスは知らぬ存ぜぬということがよくある。当然ながら、食卓ではセカンドレイプやセクシュアリティ差別の無知蒙昧な刃が私を刺しまくり、これではやっていけないと、カミングアウトをしたところ、状況はさらに悪化した。半年の我慢の末、半ば家出の様に修道会を去ることになった。

 そこからは、宿もないので他の修道会に泊めてもらうことになり、私のセクシュアリティも性暴力被害の経験も知った上で受け入れて下さるというので、今はそこにお世話になっている。

 年末に、正式に前の修道会を辞め、自分のセクシュアリティをオープンにしてやっていこうと決めた。タイミングよく、先月オンラインイベントでセクシュアリティについて語る機会をもらい、張り切って頑張ったところ、私のダムはついに決壊し、うつ病を発症したというわけだ。

 ダムというのは、うつ病のメカニズムの説明にしばしば使われる例えである。ダムのサイズは人それぞれ生まれつきのものであり、例えば大雨(大きなストレス)が降ってもダムが大きければ問題はないが、ダムが小さければ放水する必要があり、間に合わなければ決壊してしまう。ゆえに、うつ病の治療は流れてくる水の量(ストレスや刺激)を減らすことと、放水(リラックスしたり、趣味などでストレスを発散)することでダム内の水の容量をしっかり減らすことが基本となる。そして、抗うつ剤や入眠剤といった薬でダムの補修をサポートするのである。

 というわけで現在の私は、「ダラダラする」という目標のもと、布団の中でこれを書いているわけであるが、これがなかなか難しい。これでも30年近くうつ病患者の家族をやってきて、大学で精神医学も勉強して、一応専門職でもあるというのに。。。

 「今は何もしないで、ゆっくりしなさい。」言うのは簡単だが、一日中転がっていると焦燥感に駆られてソワソワしてくる。かと言え、何かをしようとか、したいとかいう意欲も湧かず、気持ちだけがぐるぐるとから回るのだ。

 買い物に行けば、何を買っていいかわからなくなり、物が選べない。考えるのも動くのも時間がいつもの倍ほどかかるのでスケジュール管理が難しい。テレビの話しが頭に入らず、音がとにかくうるさく感じる。本を読む意欲も集中力もない。出かけたり、人と会うのが億劫で仕方がない。急に涙が出る。夜なかなか眠れない。

 全部よく聞く症状だけど、なるほど知ってるのと経験するのは全然違うなと、実感する。薬も、思ったほど効かなかったり、逆に効きすぎたり、折り合いが難しい。

 「貴重な経験だな。」と、しみじみ布団の中で困難を噛みしめる。


 

 

 

  




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