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鬱:UTSU〜初めての自殺未遂〜

鬱と診断されて2年が過ぎた。

昨年は休職明けから調子が良く、この病気とうまく付き合っていけると思った矢先、秋ごろからまた調子が悪くなって、2月から病気休暇をいただいている。この件については、他の記事に書いたので省く。しかし、病休を摂ろうか悩んでいたあの時よりも、まだ底があった。

2月の末から3月の頭にそれは訪れた。春と共に。
以前よりも死ぬことが頭から離れず、来る日も来る日も死にたいという衝動とその言いようのない苦しみから逃れたいという誘惑が、崖の縁に立つ私の背を押す様に吹き付ける。

死んでしまいたい。
でも家族や友人に知られて、心配をかけたくはなかった。

そんな中、何とか手を差し伸べてくれた人に安心を求めたけど、1カ月と経たず電話で「重いからもう無理。」と縁を切られてしまった。
その拒絶に、私の心は希望も生きていく糧も失われたように感じられた。
、、、そりゃあ重かろう、人ひとりの命を守ろうというのだから。

そうして切られた電話を握りしめて、ベランダに出て柵をよじ登り、飛び降りようとした。
これが私の人生初めての自殺。

でもその瞬間、母が気がついて私の名前を叫んだ。私の手をとり、部屋に入れ、暖かい飲み物を与え、落ち着いた声で話しかけてくれた。ただ、その後のことはあんまり覚えてない。

ほんの一瞬、後2秒、重心が前に傾く一瞬さえあれば、あの時確実に死ねていた。そのはずだった。
母は気がつくはずがなかった。別の部屋で会議をしていたのだから。

しかし、何かが私を生かした。

その後も数週間、堰を切った様に隙をみて自殺行為を繰り返した。
まずは定番、手首を切る。これがなかなか難しい。人間の皮膚や軟部組織は切りずらいのだ。我が家のナイフや包丁、カッターはどれも切れ味が悪く、引いても突いてもなかなか切れない。私は解剖実習の時の切れないメスを思い出しながら、包丁で付けた傷から少しずつピリピリと皮膚を割いていったけど、時間がかかって疲れてしまい失敗。2度目は、爪切り用ニッパーが一番切れると思い立ち、これが上手くいった。橈骨動脈に沿って切り口を作り、動脈めがけて切り進んでいった。水をはった洗面器に手首をつけて後は眠るだけと思っていたけど、朦朧としてきたところで母が帰宅して止められてしまった。ベランダの前に立てば注意をされ、危なっかしいので、24時間行動を見守られるようになった。隙をみて車のシートベルトで何度か首を吊ってみたりしたけれどまたも時間が足らず発覚。
自分で衝動を止められないと主治医と相談したところ、強い薬を処方されて
行動化(死にたい気持ちを行動に移すこと)はだんだんできなくなった。

薬を増やしてから1カ月。副作用で体重は20kg増え、口がひどく乾き、呂律が回らなくなり、手は震え、足はむずむずし、常に頭にもやがかかった様だけど。
行動化できない日々が続き、押し寄せる衝動もだんだんと収まってきた。

また色のない灰色の世界にいて、「花がきれいだね」と言われても、何も感じない心で、口からは「そうだね」と返す日々。
何をしてても、10秒前のことも忘れてしまう日々。
1日に1タスクしかできないし、電車に乗れば何度も降りそびれて目的地にたどり着けない日々。
ひどく疲れやすく、けど眠れず、また眠りすぎ、眠りの質が悪いのか文字道理 ”首が回らない”日々だけど。

どっこいおいらはまだ生きているのである。
自殺とはこうも難しいこととは思わなかったし、失敗したその後がこんなにデメリットがあるとは思わなかった。

まだ、生きていたいとは思わないし、もう十分に生きたと思うけど、初めての自殺はこうして未遂になったわけで。
もうしばらくはこのままだろう。

願わくは早く楽になれる日を望む。

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