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詩「ある盲ろう者の夢」(アレックス・ガルシア) 日本語訳ノート

 ブラジル在住の盲ろう者、アレックス・ガルシアさんの詩が、とある国際障害者コミュニティで注目され、世界各国語への翻訳が続いています。
 私も日本語訳を試みています。

原詩へのリンク

ポルトガル語

英語

作者ご本人は英語からの翻訳を歓迎しているので、原詩に準ずるものとして挙げました。

各国語訳へのリンク


こちらにあります。

日本語訳へのリンク

Version 0.5(2022年8月30日)

 とりあえず訳してみた

翻訳にあたって心がけたこと、悩んだこと

音調(2022年8月30日)

 この詩の各国語訳にあたっては英語訳がベースとされていますが、もともとはポルトガル語で書かれています。
 ポルトガル語の音調を可能な限り活かせればと思ったので、自動音声読み上げで何回か聞いてみました。しかし、各行冒頭の「私は夢見ています(直訳)」の繰り返し以外は、今のところ反映に成功していません。

脚韻(2022年8月30日)

 気にしてみたものの、もともとの詩に脚韻がありません。音調や音韻にはもっと考慮の余地があると思いますが、とりあえず考えないことにしました。

一人称(2022年8月30日)

 詩を書いたアレックス・ガルシアさんは男性です。ポルトガル語の人称代名詞には、男性/女性があります。「人称代名詞の男性/女性をなるべく避けようとしたのかな」という感じも受けましたが、それでも男性人称代名詞は出てきます。詩の内容は「差別される現実をそのままに生きさせられる自分でありたくない」という意味ではマッチョです。表層的に読めば「能力主義!」という批判につながるかもしれないほどです(きちんと読めば、そういう読みは成り立ちませんが)。日本語訳にあたっては、一人称は「僕」「オレ」が適切なのかもしれません。
 しかしアレックスさんは、男性盲ろう者に限定したいわけではなく、ジェンダーが何であれ、「盲ろう」という厳しい障害、すなわち究極の情報弱者である状態を生きることから始まる希望を詩に紡いでいます。だから、数多くの言語への翻訳が相次いだのでしょう。ちなみに、英語訳は明確に「ジェンダーは無関係」という用語法になっています。
 さて日本語訳にあたり、一人称は「僕または私」とすべきでしょうか? あるいは、「私」「わたくし」とジェンダーをぼかすべきでしょうか? 
 日本語は「主語抜き」が出来るため、誤解を招くこともあります。しかし、使い方によっては極めて便利です。ポルトガル語も、ある程度は「主語抜き」が可能なようです。原詩は、主語抜きが可能な部分ではそうすることによって「男性ジェンダー限定」という色を薄くしているようです。
 結局、「私」・主語なし・人称代名詞の省略によってジェンダーをぼかし、男性的な表現に近いと思われる部分ではそのニュアンスを残し、しかし「男性限定ではないようだ」と読み取れる要素を前後に入れるようにしました。不完全ではありますが。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。