守谷茂泰

俳人・歌人・童話作家。著書に童話「おならゴリラ」(北村直子 絵 偕成社)絵本「スプーン…

守谷茂泰

俳人・歌人・童話作家。著書に童話「おならゴリラ」(北村直子 絵 偕成社)絵本「スプーンのさじろうくん」(山口マオ 絵 小学館)「ペロずきんちゃん」(山本まもる原案・絵 小学館)などがあります。第十九回現代俳句新人賞、第二十一回現代俳句評論賞、第十四回歌壇賞を受賞。

最近の記事

季節の博物誌 14 鳥の記憶

 まだ寒い日の夕暮れ。庭のフェンスに見慣れない鳥が止まっているのを見つけた。この時期になると時折庭にやって来るヤマガラに似ているが、少し違う。地味な灰色の体で尾はほんのりと紅く、背中の羽に白い斑点がある。調べてみると、ジョウビタキの雌だとわかった。つぶらな目で辺りをきょろきょろ見回しながら、尾を上下に振っていたが、やがてどこかへ飛去って行った。  小鳥たちを見ていると、子供の頃、実家でジュウシマツやインコを飼っていたことを思い出す。最初に飼ったジュウシマツは真っ白な羽の小さな

    • 雪晴れ

      最果てや冬の切手が抽斗に 雪晴れや記憶のかけらで出来た街 冬苺日々の明滅手に包む まんさくに空のほつれ目しずかなり

      • 季節の博物誌 13 冬の樹

         木枯らしが街に吹き始めた初冬のある日、広い公園の雑木林を歩いた。  鬱蒼としていた林は、一日毎に空が広くなり、明るい冬の光があふれていた。所々に残っているハゼやイロハモミジの黄色や赤に色づいた葉が、澄んだ空気に映えている。古い大きなケヤキの樹の下に来て、美しい枝ぶりや、その向こうに広がる空の様子をしばらくぼんやり見上げていた。  緑が一斉に芽吹く春の林や、新緑が風にそよぐ初夏の林も魅力的だが、一番好きなのは、葉を落としたこの季節だ。広葉樹が一年の仕事を終えて、ようやく本来の

        • 季節の博物誌 12 百日紅と雨雲

           七月の上旬、梅雨明けの発表もまだだというのに、猛暑がやってきた。特にこの二三日は暑さの頂点で、体力を奪われる気温が続いた。それが少しだけ落ちついた日の昼、用事があって外出した。  近所の住宅街を歩いていると、よその家の庭に、百日紅の紅い花が咲いているのに気づいた。百日紅は夏の酷暑や渇水をものともせずに秋まで咲き続ける。気温三十五度を越えた真夏の真昼、街角に人の姿が絶えて、影のない景色がしんと静まりかえってしまう時間がある。そんな時も百日紅の花だけは、紅い炎が静かに広がってい

        季節の博物誌 14 鳥の記憶

          季節の博物誌 11 花冷えとシューベルト

           桜の時期は、毎年天気の変動が大きい。初夏を思わせる陽気に汗ばんだかと思うと、冬に逆戻りしたような冷え込みになったりする。花冷えと呼ばれるこの季節の寒さは、油断しているといつのまにか忍び寄ってきて、指先をかじかませる。それでも今は春。季節の歩みは立ち止まったり後ずさりを繰り返しながらも、着実に進んでいく。  この頃になると聴きたくなる音楽がいくつかある。そのひとつがシューベルトの歌曲「春の信仰」である。フォークソング的な美しいメロディと、さざ波のように鳴り続けるピアノのアルペ

          季節の博物誌 11 花冷えとシューベルト

          春夕焼

          地球儀の中まで花冷えでありぬ 寒卵皺よっている時間かな ふんわりと猫のげんこつ春夕焼 春の日は暮れ生きている水たまり

          季節の博物誌 10 ロウバイとマンサク

           夏の季節、汗をかきながら雑草を取るのに追われていると、抜いても抜いても生えてくる植物たちの生命力にしばしばうんざりする。しかし植物の多くが活動を停止する真冬の頃、日だまりの中でひっそりと咲く花を見ると、いじらしくなってしまう。厳しい寒さに負けずに咲く姿を心の拠り所にしたくなって、植物への関心が他の季節よりも強くなる。とりわけ毎年気になるのが、ロウバイとマンサクの花だ。  ロウバイは早い年には年末頃から開花する。色硝子のように透き通る黄色い花弁を開き、良い香りを放つ。青空に映

          季節の博物誌 10 ロウバイとマンサク

          季節の博物誌 9 カマキリ

           冬のある日、庭の金柑の木の枝に、親指の先くらいの大きさの奇妙な白い塊があるのを見つけた。ひしゃげた袋状で、薄い黄色の縞模様がある。これと同じものを確か子供の頃に見たと思い、しばらく記憶をたどって、カマキリの卵であることを思い出した。カマキリの卵は春に孵る。この卵は、寒さに耐えて冬を越すために、秋に母カマキリが産みつけたものだろう。遠い昔、図鑑を開いて調べ、名前が分かった時は、とても嬉しかった。  カマキリが卵を産むのは見たことがないが、獲物を捕まえる姿は、半年前にこの金柑の

          季節の博物誌 9 カマキリ

          冬星

          水仙と書いて光が痛き朝 無人駅のごとくに置かれかりんの実 冬星のもとにピアノという個室 ノートより聴こゆる羽音日脚伸ぶ 如月のチェンバロの彫る光かな

          季節の博物誌 8 蜘蛛

           昔から蜘蛛が苦手だった。凶悪そうな外見のオニグモ。毒々しい縞模様のあるジョロウグモ。あの八本足の姿には絶対に触れない。田舎の実家では、夜、柱や壁に、闇の気配をまとって出てくる大きなアシダカグモが、妖怪のようで怖かった。  そんな蜘蛛への見方が変わったのは、井の頭文化園で飼育されているミズグモを見た時だ。ミズグモは水中で生活する唯一の蜘蛛だという。ミズグモは水草の枝などに糸を吐いて作ったドーム状の膜を張り、ここに水上から空気のかたまりを抱えて何度も運び、丸い空気の部屋を作っ

          季節の博物誌 8 蜘蛛

          季節の博物誌 7 夜の窓

           冬が近づき、昼の時間が短くなってくるにつれて、自分が夜の明かりに敏感になっているのに気がつく。闇が怖いのが人間の本能なので、夜の長い季節に光を求めるのはごく自然なことだろう。しかし時として夜の明かりは思わぬ感情を呼び起こすことがある。  例えば夜の電車に揺られている時、車窓から知らない誰かの家や集合住宅の窓に明かりが灯っているのを見た瞬間、それがなんの変哲のない建物であっても、妙に心を引かれる。夜更けの高速バスに乗っている時、真っ暗に寝静まった雑居ビルのひとつの部屋だけが煌

          季節の博物誌 7 夜の窓

          季節の博物誌 6 烏瓜

           蒸し暑い夏の夕暮れ。草むらに目を引く花が咲いているのを見かける。星形の花弁から純白のレースが裾をなびかせているような不思議な花だ。これがカラスウリの花だというのは大人になってから知った。夕闇が降りてくるにつれて開いていくその花は、暗くなった周囲からぼおっと白く浮かび上がっている。その姿は清純にも、妖艶にも見えた。夜に飛び交う蛾たちにとっては、さぞ魅力的な花なのだろう。夜が更けて蛾達が群がる妖しい光景を想像しながら、夜の闇に溶けこんでゆくこの花を見ていたことがある。  晩夏の

          季節の博物誌 6 烏瓜

          季節の博物誌 5 秋の星座

           空気の澄んだ秋は空を見上げることの多い季節である。しかし星空となると、秋の宵は冬や夏と違って目を引く星座はなく、明るく目立つ星も少ない。しかし空が暗く星が沢山見える場所なら、秋の星座の茫漠とした広がりを観察することができる。星座早見盤を手にして、虫の音を聞きながら星達を探すのは、秋の夜長の楽しみである。  秋の星座を象徴するものといえば、ギリシャ神話に出てくる天馬をかたどった「ペガスス座」であろう。十一月の中旬の二十時頃、夜空を見上げると、ひとつの二等星と三つの三等星が作る

          季節の博物誌 5 秋の星座

          季節の博物誌 4 コオロギ

           子供の頃の、ある秋の日の出来事である。夜遅く、すっかりぬるくなってしまった風呂に入っていると、どこからか一匹のコオロギが風呂場に入って来ていて、部屋の隅で鳴き始めた。もう晩秋の季節で、家の外に鳴く虫はいなかった。水音を立てると、その瞬間は鳴き止むが、すぐにまた鳴き始める。初めは仲間などいるはずのないこんなところで寂しそうだなと思っていたが、ずっと耳を傾けていると、そのコオロギの歌が、長い夜をたった一匹でいることを心ゆくまで楽しんでいるように聞こえてきた。  秋に鳴く虫の中に

          季節の博物誌 4 コオロギ

          季節の博物誌 3 金木犀

           秋のある日、路地を歩いていると、どこからか甘い香りがする。おや、と立ち止まり辺りを見渡すとやはり金木犀だった。誰かの家の庭の隅に目立たないように植えられている木に、オレンジ色のこじんまりとした花がひっそりと、しかしほんのり周囲を明るませて咲いている。その花の姿には香りに遅れて気付くことが多い。時には香りだけで花がどこにも見あたらない時がある。近くのどこかで咲いている奥ゆかしい姿を想像しながら歩くのは楽しい。  金木犀は庭木に多く用いられる常緑樹である。控えめで温和な印象の葉

          季節の博物誌 3 金木犀

          季節の博物誌 2 迎え火

           旧盆の時期の夕暮れ時になると、あちこちの家の玄関先で迎え火が焚かれる。この時期に家に帰ってくると言われる亡くなった人の魂を迎えるための風習である。住宅事情などから今では行わなくなった家も多いだろう。  故人が本当にその火を目印にあの世から帰ると信じるには現代人はあまりにも素朴さを失っている。しかし夕闇の地面にゆらゆらと揺れている小さな炎を見ていると、思いは自然と亡くなった人へと向かっていく。炎の色彩と呼吸するような揺らめきには、人の心を過去や失われたものに向かわせる力がある

          季節の博物誌 2 迎え火